ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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「殿下が、君と話せず残念だと仰っておられた。」
「まあ。」

秋晴れの日射しが注ぎ込むテラスにいて、ハロルドと向かい合ってお茶を飲む。
二人の間柄は境界線も曖昧なままである。勿論、再婚約などと巫山戯た事も為されていない。
友達でもなく恋人でもない。敢えて言うなら「時を経た元婚約者」、これしか表現出来そうにない。

それなのに、何故か両親がハロルドを受け入れて、ヘンリエッタも、あのランドリールームで涙が甦ってからはハロルドを冷たくあしらう事が出来ずにいる。

『何も知らない他人から始めないか。今日此処で初めて会った名前だけ互いが知っている、そこから始めないか』

馴れ合うつもりは無かったのに、結局はハロルドの言葉通りになっていた。

誘われた観劇が真逆の『ベルかす』だったのがいけなかった。あそこで何だか打ち解けちゃって、滝の如く流れた涙に判断力も流された。

だから、きちんと先触れを出して邸を訪れるハロルドを「茶飲み元婚約者」として迎え入れてしまうのであった。

エドワード殿下が学園を訪れたのは一昨日の事である。男子生徒トーテムポールを盾にして上手く隠れたつもりでいたのに、悔しいかな、見破られていたらしい。

「君の前に大きな体躯の学生がいたからね、態々彼を除けさせるのも憚られたそうだ。」
「まあ。」

あんなに縮こまって頭を垂れたのに、垂れ損ないも甚だしい。

「来月、学園の創立記念式典があるだろう。」
「ええ。」

いい加減、第二王子殿下の話題は終えたいのに、まだ話しが続くらしい。創立記念式典には第二王子殿下が列席する。
今、学園ではその式典準備が生徒会と教員らで進められていた。

ひと口お茶を含んでから、ハロルドは続きを話し始めた。

「当日の式典で君にも手伝ってもらってはどうかと。成績優秀者の君なら相応しいからと。」
「それは何方が?」
「エドワード殿下だ。」
「では、お断り致します。」
「君はそう言うと思っていた。」
「解っていてどうしてお尋ねになるのです?」
「一応、主からの伝言であるからね。」
「何の判断も無しに何でも請け負われるのですか?」
「私は殿下にお仕えする身だ。それに、殿下は君に無理を言うおつもりではない。」

学園の身分で過ぎた発言であるのは解っているが、ついつい険のある物言いになってしまう。殿下の要請をその側近が正式に伝えたのなら、こんな断り方など許される事ではないだろう。

正式な要請ではないのだからいいんです。
開き直ったヘンリエッタは、どうやらウィリアムにも注意された、眉間に皺が寄っていたらしい。

「君は、そんな顔もするんだな。」

思わず眉間を手で隠す。ブリジットが後ろから剣呑な気配を漂わせている。

「と、兎に角、私は生徒会の役員ではございません。殿下にお声掛け頂く理由もございません。」

「承知した。その様にお伝えするよ。」

もう良いのか?これで話しは終わったのか?
目線で確認してみたが、どうやら通じていなかったらしい。

「式典の後で、」

尚も式典の話題を続けようとして、そこで少しハロルドは口籠った。それはいつも真っ直ぐ前を見る彼の印象からは解り難い、逡巡のようなものを感じさせた。

「夜会があるだろう。」
「ええ。」

創立から200周年を祝う節目の記念式典である。例年には無い大掛かりな催しとなり、式典の後には在校生及び歴代卒業生が参加する夜会が開かれる。
王立貴族学園は国内に数か所あるが、王都の学園は当然ながら最大規模であるから、貴族達の大半、特に嫡子等は王都の学園を卒業している。
そうして、夜会には王族も参加をする。

「君のパートナーを願って良いだろうか。」

直ぐには答えられなかった。

「解っている。勝手な言い分だと。」
「それも殿下のご命令なので?」
「そうではない。私の意志だ。」 
「何の為に。」

ハロルドはヘンリエッタの瞳を見つめた。テラスに降り注ぐ日射しの下で、綺麗な青い瞳は宝石の様に見えた。

濃く青い瞳が人には冷ややかな印象を与えるらしいが、以前のヘンリエッタはこの瞳が温かなものに見えていた。思慕を込めて見入っていた。それは婚約者に恋する少女が、何の疑いも持たず彼を唯一と信じていたからだろう。

「ヘンリエッタ嬢。君を得たいと言ったらどうする。頼むから、席を立たずに聞いて欲しい。」

ヘンリエッタが立腹するあまり席を立つのを見越したのだろう。ハロルドはそれを許してはくれなかった。
せめてもの抗議の為に、ヘンリエッタは扇を開いて口元を隠した。

「君は、ちゃんと戦えるんだな。君が貴族令嬢として成長するのを、私は側で見守るる資格を失った。」 

ハロルドは、真っ青な澄んだ瞳を細める。

「ヘンリエッタ。そう呼んでも良いだろうか?」

そうして、ヘンリエッタから敬称を外して名呼びするのを求めた。

「君を手放そうと思った事など、唯の一度も無い。」

瞬間的に頭に血が上ってしまうのは悪い癖だろう。全然、貴族らしくない。貴族令嬢失格だ。
涙が蘇ってからは特に感情の起伏が激しくなった。ハロルドと再会してから止まった時が動き出して、頑なに固まった胸の内の塊が解け出して、怒りも哀しみも喜びも、全てがい交ぜになって凍土の中から蘇ってしまった。

芽吹いては駄目よ。折角忘れようとしていたのに。貴方という男性ひとを、この世に唯一人愛すると信じた自分を漸く諦められると思っていたのに。

凍えた土を溶かして芽吹こうとする心の発露を必死に抑える。胸が痛い。痛みが喉の奥まで迫り上がって、息を吐くのも吸うのも忘れた様に、この痛みが怒りなのか哀しみなのか歓びなのか解らなくなった。

そうして、確かに激しい感情の中に歓喜が湧き出す浅ましい自身のさがを目の当たりにして、目の前が真っ暗になった。




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