ヘンリエッタの再婚約

桃井すもも

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【61】

「素晴らしいわ、マルクス様。私、感動致しました。昨今の煮え切らない殿方達に、貴方の爪の垢を飲ませて差し上げたいものね。ええ、勿論、貴方を信じましょう。ヘンリエッタを宜しくお願い致します。それから、娘を疵から護って頂いた事は本当に感謝しているのですよ。強欲な王女からも、娘を擦り減らしてくれた不実な婚約者からも。それから無能な王家からも。」

マルクスが両親に向けた言葉に対して、父の前に母が応えた。若干後半に不敬発言が散見されるも、多分両親はその王家と今の今まで会合していた筈であり、そこでの王家の対応が母の怒りと不信を買ったに違いない。
もしかして、そこには宰相、引いては宰相補佐官を務めるダウンゼン伯爵家も含まれているのかも知れない。

父とマルクスとの遣り取りにじっと耳を傾けていた母は、おっとりとした母には珍しく強い語気で語った。そうしてマルクスへ、ヘンリエッタを託すと頼んだ。

「お母様...」

「ヘンリエッタ。旦那様の仰った通りよ。貴女、今まで十分頑張ったわ。そうして十分傷付いた。最初の傷は私達に責任があるわ。あそこでしっかりけじめをつけて、かの方とのご縁を清算すべきだったのよ。私はこの二年、ずっとそれを悔いていたの。
だから二度目の婚約で、ハロルド様が真実誠意を示して下さるのなら、それを信頼して貴女を頼むつもりでいたのよ。あの方が清廉なお人柄であるのは分かっていたから。そんなお方に添う事が、それが貴女の幸せならそれで良いと思ったの。だからといって、たった一人の男性の為に貴女の人生を曇らせてしまうだなんて、そんな事は望んではいないのよ。お国の仕事は大変でしょうね。それに邁進されるのは尊いことだわ。
けれど私は、そこで貴女が不幸せな巻き添えを食うことになるのは望んでなんていないのよ。
貴女は若いわ。進みたい道があるのなら、自由な世界があるのなら、その道を進んでみると良いわ。こんな素敵なパートナーがいらして、貴女を見守りたいと仰って下さるのですもの。」

そうして母は、父に向かって言う。

「旦那様、ヘンリエッタをマルクス様にお預け致しましょう。ね。」

最後の「ね」で、首をこてんとしたのが効いたらしく、父は「うっ」と胸を押さえた。そうして、

「マルクス殿。娘を頼もう。それから、君の、ああ~っと、君と娘の商会に我が伯爵家も協力させて頂こう。」

そう言えば、母が「流石は旦那様」とヨイショして、父がなんだか眦を下げたりなんかしちゃったりして、折角珍しくキリッとしていたのに最後の最後にデレて終わった。


「マリー。」
「ん?」

両親との会合を終えて、邸を去るマルクスを見送るのに、ヘンリエッタは馬車止まりまで出ていた。玄関ポーチで別れ難く、どうしても馬車まで見送りをしたかった。

「マリー、有難う。私、貴女に会えて幸せよ。貴女が私を友と認めてくれて本当に嬉しい。それから、これから貴女と一緒にいられることも。私も貴女の側で貴女のする事を見ていたいわ。非力な私に守るだなんて事は出来ないけれど、せめて守られてばかりにならない様に、私、強くなるわね。」

「貴女、十分強いじゃない。ちょっと自分を下に見過ぎなきらいはあるけど、それで貴女の価値を誰にも搾取させてはいけないわ。それから、気を付けてね。あんまり可愛い事を言っちゃうと、私、貴女を連れ帰ってしまうわよ。」

「え?」

「じゃあね、おやすみ。色々あって疲れたでしょう。ゆっくり休むのよ。」

そう言ってマルクスは、ヘンリエッタの頬を温かな両手の平で包んだ。ヘンリエッタの榛色の瞳を見つめて、おやすみと小さく囁いて、そうしておでこにチュッとキスした。

「へ?」

気が付いたら、馬車は走り出していて、ヘンリエッタは呆けたままそれを見送っていた。
今確かにチュッって、チュッってされた様な...。

後ろに控えるブリジットを振り返れば、彼女は何も見なかった様な涼しい顔をしている。

「気の所為?」
「いいえ」
「はっ!み、見てたの?」
「いいえ」
「見てたんじゃない!」

わちゃわちゃしながら邸に戻る。
就寝前に身を清めるのに、マルクスから言われていた「虫刺され」をうっかり言い忘れて、ブリジットが「あの野郎」と呟いていたが、聞き流した。

ヘンリエッタはそれどころでなかった。
おでこにあたったマルクスの唇。そ、そう言えば、肩も、そうよ、肩もチュッってされたわ。
その前に、婚約者から濃厚な口付けをされていたのに、親友のおやすみキスの破壊力に全て持っていかれた。

寝しなにホットミルクを飲んで昂った気持ちを鎮める。
色々あり過ぎて、今日一日で幾日も過ごした様に思える。エレノアの事、エドワードの言葉、二年前の真相に、ハロルド。

「ハロルド様。」

どうして私達、出会って互いに惹かれたのに、こんな結果になったのかしら。
結末を選んだのはヘンリエッタ自身であるのに、それはどうやっても抗えなかった事に思えた。

長く燻りすぎた恋心は、その最後に炎を大きくして、そうしてすっかり燃え尽きた。
化粧を落として清めてしまった後なのに、柔らかな唇の感触が残っているようで、ヘンリエッタは指先で額にそっと触れてみた。


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