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【63】
ハロルドとの婚約を解いた後、どうやら父は以前の言葉通りにマクルズ邸を訪っていたらしい。
「我が家は独楽鼠の様に働く商人貴族よ。それがあんな立派な馬を頂戴するだなんて、過分な褒賞を賜った下級兵の気分だわ。」
父は先般のエレノアの愚行からヘンリエッタを護ったことで負傷してしまったマルクスへの謝罪と礼に、馬を雄雌で贈ったらしい。
特に雄馬は、騎士団長が目を付けていた馬であったらしく、近衛騎士が側に付いていながら何やってんだと云う父の盛大な嫌味であろう。エレノアの側付きはアレックスであったから、彼の人懐こい笑顔が浮かんで、今頃は団長に叱られちゃってるんじゃないかと可哀想になった。
「それでね、ヘンリエッタ。お礼のお礼って、まるでお礼の連鎖みたいだけれど、母が貴女をお茶にお誘いしたいのですって。勿論、私もご一緒するわ。どうかしら?」
熱々甘々のホットミルクのをふうふうひと口含んだマルクスは「美味しい~」と目を細めている。
陽当りの良いティールームで、マクルズ子爵夫人の御使いという名目で邸を訪ったマルクスと午後のお茶を楽しんでいた。
「どうかしらと言うその前に、貴女、その御髪はどうしちゃったの!」
多分、後ろに控えるブリジットも同じ事を思っているだろう。
マルクスは金髪に青い瞳が美しい、見目は麗しいけれど中身は乙女の男の娘だ。その金髪も、どんな手入れをしているのか艶々の艶っつやで、ブリジットが香油の種類を尋ねていた程である。
腰まで長く伸ばした艶髪を緩く結わえているのがマルクスのスタイルで、以前ヘンリエッタはロイヤルブルーのリボンをプレゼントした事がある。烟る金の髪に鮮やかな青いリボンはよく似合っていた。
それなのにマルクスは、その艶髪をバッサリ切り落としていた。これには出迎えた母も執事も侍女頭も驚いた。何よりヘンリエッタが一番驚いた。
「あんだけ偉そうに貴女を守るって啖呵を切ったのよ。気概を証明して見せなくちゃ。それって先ずは見た目からよね。」
「見た目って、貴女、あれほど大切にしていた髪を...」
マルクスは今、襟足まですっきりと髪を切り落として、前髪だけを長めに残している。多分、公の場などで前髪を上げて撫でつけたなら、麗しいお顔がまるっと拝める事だろう。今は長めの前髪の隙間から青い瞳が覗いている。
「髪なんて所詮はただの毛よ。直ぐに伸びるわ。」
「あんなに綺麗な髪だったのに。」
「切った髪でウィッグを作ることにしたの。」
「私が買うわ。」「いいえ、私が。」
ブリジットまで参戦して来た。この話はここだけにしておこう。侍女頭まで参戦する可能性がある。
「良かったの?大切な乙女の髪を手放しちゃって。」
「全く。すっきりしたわ。このヘアスタイルに合う帽子を作ろうかしら。」
「まあ!素敵!羽なんて付けてはどうかしら。ふわふわの。いいえ、一層ダンディに攻めてみるのも素敵かも。」
「まあ!それも良いわね。」
「生地はベルベットよね。色はロイヤルブルーかチョコレート色か。」
「早速作ってみるわ。」
「出来上がりが楽しみね!」
ね!と、二人で頷き合う。後ろでブリジットも頷いている。
「それでヘンリエッタ。貴女、聖夜の夜会は欠席するのね?」
「ええ。あんな騒ぎの後ですもの。お父様もそうして良いと仰って。」
聖夜の夜会は王家主催の舞踏会である。今年最後の華やかな会に、貴族は挙って参加するのをヘンリエッタは欠席を決めた。
本来ならば余程の事がない限りそうそう断れるものではないが、ヘンリエッタはデビュタント以降一度も出席したことはなかったし、今回もエレノア絡みで騒動のあったばかりであるから、王家も許してくれるだろう。
「なら、私も欠席しちゃおうかしら。」
「えっ、そんなに簡単に欠席しちゃって大丈夫なの?」
ヘンリエッタの場合は、毎回父が何やら断ってくれていたから心配いらないが、そんな気軽に断れるものではないだろう。
「ええ、平気よ。両親も兄達も出るのだし。一人くらい姿が見えなくってもバレないわ。」
「いえ、一発でバレるわよ。貴女、美しいもの。」
「褒めてくれてるの?」
「勿論よ。」
「嬉しい。」
乙女のお喋りは核心を得ないまま、次々と話題を変えて行く。大事なお話し合いもいつしか世間話に流れるなんてよくある事だろう。
「良ければその晩、私の邸で聖夜の夜会を開かない?」
「貴女と私で?」
「ええ、BB付きで。」
「素敵!是非とも参加させて頂きたいわ!」
ブリジットの瞳がキラキラしてる。
「そうだわ、ブリジット。フランクを護衛に頼みましょう。貴女の夫君も一緒に。マリー、良いかしら。フランクはブリジットの夫で我が家の護衛なの。彼が一緒であれば夜の外出も許されるでしょうし。」
「勿論。それで決まりね。では、それも含めて母とのお茶会で話しましょうね。」
胸が躍る。わくわくしちゃう。
ハロルドとの別れから、ずっと邸に籠って心の整理をしていたヘンリエッタである。冬の曇天を見上げながら、弔った恋心に心が沈む日もあった。
それが一気に日が射す様に、目の前が開けた様に思えた。胸の奥が温かくなる。
マルクスと過ごす聖なる夜が早くやって来ないかと、幼子が心待ちにする様に楽しみに思った。
「我が家は独楽鼠の様に働く商人貴族よ。それがあんな立派な馬を頂戴するだなんて、過分な褒賞を賜った下級兵の気分だわ。」
父は先般のエレノアの愚行からヘンリエッタを護ったことで負傷してしまったマルクスへの謝罪と礼に、馬を雄雌で贈ったらしい。
特に雄馬は、騎士団長が目を付けていた馬であったらしく、近衛騎士が側に付いていながら何やってんだと云う父の盛大な嫌味であろう。エレノアの側付きはアレックスであったから、彼の人懐こい笑顔が浮かんで、今頃は団長に叱られちゃってるんじゃないかと可哀想になった。
「それでね、ヘンリエッタ。お礼のお礼って、まるでお礼の連鎖みたいだけれど、母が貴女をお茶にお誘いしたいのですって。勿論、私もご一緒するわ。どうかしら?」
熱々甘々のホットミルクのをふうふうひと口含んだマルクスは「美味しい~」と目を細めている。
陽当りの良いティールームで、マクルズ子爵夫人の御使いという名目で邸を訪ったマルクスと午後のお茶を楽しんでいた。
「どうかしらと言うその前に、貴女、その御髪はどうしちゃったの!」
多分、後ろに控えるブリジットも同じ事を思っているだろう。
マルクスは金髪に青い瞳が美しい、見目は麗しいけれど中身は乙女の男の娘だ。その金髪も、どんな手入れをしているのか艶々の艶っつやで、ブリジットが香油の種類を尋ねていた程である。
腰まで長く伸ばした艶髪を緩く結わえているのがマルクスのスタイルで、以前ヘンリエッタはロイヤルブルーのリボンをプレゼントした事がある。烟る金の髪に鮮やかな青いリボンはよく似合っていた。
それなのにマルクスは、その艶髪をバッサリ切り落としていた。これには出迎えた母も執事も侍女頭も驚いた。何よりヘンリエッタが一番驚いた。
「あんだけ偉そうに貴女を守るって啖呵を切ったのよ。気概を証明して見せなくちゃ。それって先ずは見た目からよね。」
「見た目って、貴女、あれほど大切にしていた髪を...」
マルクスは今、襟足まですっきりと髪を切り落として、前髪だけを長めに残している。多分、公の場などで前髪を上げて撫でつけたなら、麗しいお顔がまるっと拝める事だろう。今は長めの前髪の隙間から青い瞳が覗いている。
「髪なんて所詮はただの毛よ。直ぐに伸びるわ。」
「あんなに綺麗な髪だったのに。」
「切った髪でウィッグを作ることにしたの。」
「私が買うわ。」「いいえ、私が。」
ブリジットまで参戦して来た。この話はここだけにしておこう。侍女頭まで参戦する可能性がある。
「良かったの?大切な乙女の髪を手放しちゃって。」
「全く。すっきりしたわ。このヘアスタイルに合う帽子を作ろうかしら。」
「まあ!素敵!羽なんて付けてはどうかしら。ふわふわの。いいえ、一層ダンディに攻めてみるのも素敵かも。」
「まあ!それも良いわね。」
「生地はベルベットよね。色はロイヤルブルーかチョコレート色か。」
「早速作ってみるわ。」
「出来上がりが楽しみね!」
ね!と、二人で頷き合う。後ろでブリジットも頷いている。
「それでヘンリエッタ。貴女、聖夜の夜会は欠席するのね?」
「ええ。あんな騒ぎの後ですもの。お父様もそうして良いと仰って。」
聖夜の夜会は王家主催の舞踏会である。今年最後の華やかな会に、貴族は挙って参加するのをヘンリエッタは欠席を決めた。
本来ならば余程の事がない限りそうそう断れるものではないが、ヘンリエッタはデビュタント以降一度も出席したことはなかったし、今回もエレノア絡みで騒動のあったばかりであるから、王家も許してくれるだろう。
「なら、私も欠席しちゃおうかしら。」
「えっ、そんなに簡単に欠席しちゃって大丈夫なの?」
ヘンリエッタの場合は、毎回父が何やら断ってくれていたから心配いらないが、そんな気軽に断れるものではないだろう。
「ええ、平気よ。両親も兄達も出るのだし。一人くらい姿が見えなくってもバレないわ。」
「いえ、一発でバレるわよ。貴女、美しいもの。」
「褒めてくれてるの?」
「勿論よ。」
「嬉しい。」
乙女のお喋りは核心を得ないまま、次々と話題を変えて行く。大事なお話し合いもいつしか世間話に流れるなんてよくある事だろう。
「良ければその晩、私の邸で聖夜の夜会を開かない?」
「貴女と私で?」
「ええ、BB付きで。」
「素敵!是非とも参加させて頂きたいわ!」
ブリジットの瞳がキラキラしてる。
「そうだわ、ブリジット。フランクを護衛に頼みましょう。貴女の夫君も一緒に。マリー、良いかしら。フランクはブリジットの夫で我が家の護衛なの。彼が一緒であれば夜の外出も許されるでしょうし。」
「勿論。それで決まりね。では、それも含めて母とのお茶会で話しましょうね。」
胸が躍る。わくわくしちゃう。
ハロルドとの別れから、ずっと邸に籠って心の整理をしていたヘンリエッタである。冬の曇天を見上げながら、弔った恋心に心が沈む日もあった。
それが一気に日が射す様に、目の前が開けた様に思えた。胸の奥が温かくなる。
マルクスと過ごす聖なる夜が早くやって来ないかと、幼子が心待ちにする様に楽しみに思った。
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