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【67】
年の末までにマルクスとは一度お茶をしたのだが、そこでも「貴族青年マルクス」は、度々姿を現した。
馴染んだマリーとして話していたのに、何かの瞬間にスッとマルクスに変化する。
初めはヘンリエッタも戸惑った。マルクスに一体何があったのかと考えてもみた。けれども終いには、どちらでも良いのだと思った。それなのに、「貴族青年マルクス」と話すのに照れてしまう自分が情けなかった。
どうやらマルクスが、それを楽しんでいるらしい事に気が付いて、少しばかり悔しく思った。
「夜会の顛末を聞いたかしら。」
今は男の娘であるらしいマリーに問われて、「ええ」と答える。
王城での聖夜の夜会に、ひとつ発表された事があった。
エレノア王女の療養である。療養という名の蟄居と思われた。
そうであれば隣国へ帰国するのかと思えば、母国よりもこの国の風土が療養するのに適しているとかで、彼女は南の辺境伯領地にある山間の保養施設に移るのだと言う。
それってつまり、母国から帰国を許されなかったということではなかろうか。
王女の療養により、第二王子殿下エドワードは、健康上の不安を抱えるエレノア王女との婚約を解消することとなった。
ここまで聞けば、あの夜エドワードから聞かされたカトレア王女との婚約者挿げ替えが計画通りになるのだろうと思うだろう。
しかし、現実はあまりに衝撃的であった。
カトレアは、エドワードからの婚約打診を断って自身の護衛との愛を貫き通した。何やらそれは身分を超えた「真実の愛」なのだと言う。
それはまるで、真実はどうであれ、王太子であった父王が「真実の愛」の名の下に、元々の婚約者であったカトレアの母を側妃に落とすことでしか事を納められなかった結果への意趣返しにも思えた。
しかし、もしかしたら、カトレアは本当に護衛騎士との純愛を貫いたのかも知れず、ヘンリエッタにはそこら辺の事情は皆目理解が及ばなかった。
ただ一つ言えたのは、エドワードがカトレア王女を得られなかったと言うことだろう。
彼女に婚約の打診をして隣国へ遊学した。
横槍を入れるエレノアを排除するのにハロルドが餌となり、その煽りを受けてヘンリエッタは婚約を解かれた。
とんだ迷惑。お騒がせ。
ノーザランド伯爵家、ダウンゼン伯爵家ばかりでなく、宰相や王太子を巻き込んで四方に影響を与えたカトレアとの婚約話は、真逆のカトレア本人が他所に愛を得たことで潰えてしまった。
「エドワード殿下は意気消沈なさっておられるのでしょうね。」
結果から言えば、彼は二年もエレノアの婚約者となり苦労したにも関わらず、結局苦労だけで終わってしまった。ハロルドとヘンリエッタなんて二度も婚約したのに、最後の最後までエレノア絡みで最終的には婚約破棄となったのだ。
「とんだ馬鹿をみたわ。私の青春、返せ。」
「お怒りね、ヘンリエッタ。」
「当然よ。しかもエレノア王女はこの国に残るのよ。不良債権、いいえ不渡手形を握らされて、大馬鹿をみたのは王家よね。」
「でも、お陰で貴女は小説を書いた。そうして私は貴女というパートナーを得られた。私にとってはおこぼれみたいな幸運よ。」
「私こそ世間ではすっかり不良債権なのよ。それを拾ってくれたのは貴女だわ。」
エドワードは自業自得であるから良いとして、ハロルドの事を思うと胸が痛んだ。
自身の名誉も婚約も犠牲にしてまでエドワードの想い人を得るために奔走したのに、結果は最も悪い最期となった。
「心配?」
「え?」
「元婚約者殿。」
「可哀想だと思うわ。あのお方はご自分の名誉も犠牲にしたのにこんな結果になるなんて。きっとこんな事になるだなんて思わなかったのではないかしら。」
「まあ、宰相も付いていたのですもの、立派な国の失策よ。隣国に良いようにされたのか、カトレア王女が強かであったのか、それとも本当に真実の愛であったのかも知れないわ。寧ろ、そうであれば良いわよね。真実の愛の前では国策も成す術は無かった。隣国王の姿そのものね。まあ、実際の所は解らないけれど。」
聖夜の夜会から帰ってきた母に事の顛末を聞いて、マリー→マルクスの変化に動揺していたヘンリエッタは、すっかりその事を忘れた程であった。
蜂蜜たっぷり甘々ミルクティーを美味しそうに飲んでいるマルクスを見つめるうちに、今なら聞けるのだろうかとヘンリエッタは尋ねてみた。
「マリー、貴女はエドワード殿下と近しい関係であったのでしょう?」
マルクスは、エドワードとは古い知り合いだと言っていた。
「そうね。剣の稽古仲間ではあったわ。」
「剣の稽古?」
「ええ。私、幼い頃は王城の騎士団で稽古を受けていたから。エドワード殿下は剣仲間。まあ、幼馴染みたいなものかしら。」
それは初耳である。
「マリーは騎士になりたかったの?」
「子供の頃はね。でも、騎士団を抜けてからも稽古は続けているわよ。」
フランクとあれほど楽しそうに剣技について話していたのだから、そうなのだろう。
「手を見せてもらっても構わないかしら。」
「やあね、貴女の白魚の様な手と比べるなんて酷い事しないわよね。」
「そんな事しないわ。」
なんだかんだ言いながら、マルクスはヘンリエッタの前に手の平を差し出してくれた。
硬そうな剣ダコがある。ヘンリエッタよりもずっとずっと大きな手。
騎士の手の平なんて確かめた事など無かったが、マルクスの手の平は何処からどう見ても立派な男性の手であった。思わず触れたくなってしまって、そろりと手を伸ばした。
それは唐突であった。マルクスの手の平に伸ばしたヘンリエッタの片手を、徐ろにマルクスが掴む。
「マ、マリー?」
「小さな手だな。白くて柔らかで、温かい。」
そう言ってマルクスは、ヘンリエッタの指先に触れるだけのキスをした。
馴染んだマリーとして話していたのに、何かの瞬間にスッとマルクスに変化する。
初めはヘンリエッタも戸惑った。マルクスに一体何があったのかと考えてもみた。けれども終いには、どちらでも良いのだと思った。それなのに、「貴族青年マルクス」と話すのに照れてしまう自分が情けなかった。
どうやらマルクスが、それを楽しんでいるらしい事に気が付いて、少しばかり悔しく思った。
「夜会の顛末を聞いたかしら。」
今は男の娘であるらしいマリーに問われて、「ええ」と答える。
王城での聖夜の夜会に、ひとつ発表された事があった。
エレノア王女の療養である。療養という名の蟄居と思われた。
そうであれば隣国へ帰国するのかと思えば、母国よりもこの国の風土が療養するのに適しているとかで、彼女は南の辺境伯領地にある山間の保養施設に移るのだと言う。
それってつまり、母国から帰国を許されなかったということではなかろうか。
王女の療養により、第二王子殿下エドワードは、健康上の不安を抱えるエレノア王女との婚約を解消することとなった。
ここまで聞けば、あの夜エドワードから聞かされたカトレア王女との婚約者挿げ替えが計画通りになるのだろうと思うだろう。
しかし、現実はあまりに衝撃的であった。
カトレアは、エドワードからの婚約打診を断って自身の護衛との愛を貫き通した。何やらそれは身分を超えた「真実の愛」なのだと言う。
それはまるで、真実はどうであれ、王太子であった父王が「真実の愛」の名の下に、元々の婚約者であったカトレアの母を側妃に落とすことでしか事を納められなかった結果への意趣返しにも思えた。
しかし、もしかしたら、カトレアは本当に護衛騎士との純愛を貫いたのかも知れず、ヘンリエッタにはそこら辺の事情は皆目理解が及ばなかった。
ただ一つ言えたのは、エドワードがカトレア王女を得られなかったと言うことだろう。
彼女に婚約の打診をして隣国へ遊学した。
横槍を入れるエレノアを排除するのにハロルドが餌となり、その煽りを受けてヘンリエッタは婚約を解かれた。
とんだ迷惑。お騒がせ。
ノーザランド伯爵家、ダウンゼン伯爵家ばかりでなく、宰相や王太子を巻き込んで四方に影響を与えたカトレアとの婚約話は、真逆のカトレア本人が他所に愛を得たことで潰えてしまった。
「エドワード殿下は意気消沈なさっておられるのでしょうね。」
結果から言えば、彼は二年もエレノアの婚約者となり苦労したにも関わらず、結局苦労だけで終わってしまった。ハロルドとヘンリエッタなんて二度も婚約したのに、最後の最後までエレノア絡みで最終的には婚約破棄となったのだ。
「とんだ馬鹿をみたわ。私の青春、返せ。」
「お怒りね、ヘンリエッタ。」
「当然よ。しかもエレノア王女はこの国に残るのよ。不良債権、いいえ不渡手形を握らされて、大馬鹿をみたのは王家よね。」
「でも、お陰で貴女は小説を書いた。そうして私は貴女というパートナーを得られた。私にとってはおこぼれみたいな幸運よ。」
「私こそ世間ではすっかり不良債権なのよ。それを拾ってくれたのは貴女だわ。」
エドワードは自業自得であるから良いとして、ハロルドの事を思うと胸が痛んだ。
自身の名誉も婚約も犠牲にしてまでエドワードの想い人を得るために奔走したのに、結果は最も悪い最期となった。
「心配?」
「え?」
「元婚約者殿。」
「可哀想だと思うわ。あのお方はご自分の名誉も犠牲にしたのにこんな結果になるなんて。きっとこんな事になるだなんて思わなかったのではないかしら。」
「まあ、宰相も付いていたのですもの、立派な国の失策よ。隣国に良いようにされたのか、カトレア王女が強かであったのか、それとも本当に真実の愛であったのかも知れないわ。寧ろ、そうであれば良いわよね。真実の愛の前では国策も成す術は無かった。隣国王の姿そのものね。まあ、実際の所は解らないけれど。」
聖夜の夜会から帰ってきた母に事の顛末を聞いて、マリー→マルクスの変化に動揺していたヘンリエッタは、すっかりその事を忘れた程であった。
蜂蜜たっぷり甘々ミルクティーを美味しそうに飲んでいるマルクスを見つめるうちに、今なら聞けるのだろうかとヘンリエッタは尋ねてみた。
「マリー、貴女はエドワード殿下と近しい関係であったのでしょう?」
マルクスは、エドワードとは古い知り合いだと言っていた。
「そうね。剣の稽古仲間ではあったわ。」
「剣の稽古?」
「ええ。私、幼い頃は王城の騎士団で稽古を受けていたから。エドワード殿下は剣仲間。まあ、幼馴染みたいなものかしら。」
それは初耳である。
「マリーは騎士になりたかったの?」
「子供の頃はね。でも、騎士団を抜けてからも稽古は続けているわよ。」
フランクとあれほど楽しそうに剣技について話していたのだから、そうなのだろう。
「手を見せてもらっても構わないかしら。」
「やあね、貴女の白魚の様な手と比べるなんて酷い事しないわよね。」
「そんな事しないわ。」
なんだかんだ言いながら、マルクスはヘンリエッタの前に手の平を差し出してくれた。
硬そうな剣ダコがある。ヘンリエッタよりもずっとずっと大きな手。
騎士の手の平なんて確かめた事など無かったが、マルクスの手の平は何処からどう見ても立派な男性の手であった。思わず触れたくなってしまって、そろりと手を伸ばした。
それは唐突であった。マルクスの手の平に伸ばしたヘンリエッタの片手を、徐ろにマルクスが掴む。
「マ、マリー?」
「小さな手だな。白くて柔らかで、温かい。」
そう言ってマルクスは、ヘンリエッタの指先に触れるだけのキスをした。
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