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「今更ではございません。」
常にない距離を置いた口調になるのは仕方が無い。
目の前にいる婚約者に、たった今その婚約の解消を告げたのだから。これから父に願うので、正確には解消の意志を告げたに過ぎないけれど。
「何故?」
「何故も何も、貴方様がお望みなのでしょう。姉にお心を移して。」
その胸に聞いて見ればよく解る筈である。
移したのではなく、最初から心は姉の下にあったのだと。
こんな事は物語の中のことだと思っていた。婚約者の姉に恋心を抱く。抱くだけなら有るかもしれない。恋とはままならないものだから。
けれども、添い遂げる事を望んでいるのだとしたら、それは貴族の婚姻にあって簡単に許されるものではない。
「解消には応じられないよ。」
その気持ちは理解できる。
侯爵様に何と説明すれば良いのか。
「リズ」
愛称で呼ばれるのが好きだった。こうして呼ばれるだけで、既に気持ちを引っ張られてしまう。
モーランド侯爵家の令息ウィリアムとブルック伯爵家の令嬢エリザベスは、互いに十二の年に婚約を結んだ。
ブルック伯爵家はモーランド侯爵家の寄り子貴族であり領地も隣接していたことから、王都に構えるタウンハウスも程近い位置にあった。
貴族院でも派閥を同じくし事業も傘下のグループとして共同で行っている。ウィリアムとエリザベスは、親同士は主従の間柄で、本人達は所謂幼馴染の関係であった。そこには互いの姉と兄が含まれているが。
互いに兄と姉がいる。
共に長子では無い。では婚姻後の貴族籍はどうなるかと云えば、エリザベスの姉であるエレノアがウィリアムの兄であるジョージの下へ嫁いで行く事が決まっていた。
ブルック伯爵家は妹のエリザベスが跡を継ぎ、ウィリアムはそこに婿入りする事になったのである。
何もそこまでガチガチに政略で固めなくともと思われそうであるが、それ程四人の間柄は幼い頃より親密であったから、二組の婚約は割合とすんなり整った。
仲の良い幼馴染であった。
互いの兄弟姉妹の仲も勿論良い。
兄と姉、弟と妹が共に同い年と云うのにも、そんな上手い組み合わせがあろうかと言われても可怪しくない程丁度よい。
それ程ぴたりとマッチした婚約であった。
エレノアが姉でなければ。
エレノアはブルック伯爵家の嫡子であった。当然その様に教育され育てられていた。それを侯爵家の嫡子であるジョージとの婚約を望んだ故に今の形となってしまった。
お蔭でエリザベスは、本来であれば何処か貴族家へ嫁ぐ筈が急遽後継者に据えられて、急げ追い付けとばかりに後継教育を施される事となってしまった。
教師も増やされ学園にも上る前に、それまでとは雲泥の差がある厳しい教育に切り替えられた。寄り親である侯爵家の事業の実際は、伯爵家がその実務を担っていた。
教育は多岐に渡り、街歩きやお茶会などとご令嬢達と遊ぶ暇さえ激減してしまった。
それでもエリザベスが投げ出す事なく頑張れたのは、ひとえにウィリアムの存在があったからである。
幼心にウィリアムを慕っていた。
烟る金の髪に蒼い瞳。
淡い金髪にヘーゼルの瞳の自分には無い色合いを持つウィリアムに、確かな恋心を抱いている事に気が付いたのは、果たしていつの頃であったか。
いつからであったろう。
ウィリアムが邸を訪れて慌てて身支度をして客室に入れば、そこには既に姉がいる。
「遅かったわね、エリザベス。」
お茶を含んでエレノアが朗らかに言うその横顔を、ウィリアムが見つめている。
私はここよ?
入室するエリザベスに視線を移すのを一、ニ、三秒と数えてしまう。
後継教育は実務に移り始め、エリザベスは父の執務の端を担っていた。客人が訪れたからと、早々に席を離れる事は出来ない。
切りの良い所まで仕上げてしまわねば、後を引き継ぐ侍従に迷惑を掛けてしまう。
エレノアは、幼馴染を待たせてはならないと話し相手になっていたのだろう。ではウィリアムは?
彼は果たして私を待っていたのだろうか。
このままトラブルか何かで私が席を離れられず、そうしてそのまま姉と二人で過ごしたいと望んでいたのではなかろうか。
一度二度ではなく、毎度毎度をそんな風に過ごす二人に、婚約者とのお茶会ではなく姉のお茶会に途中参加している気分になるのは、もういつ頃からであるか思い出せない。
そもそもウィリアムと二人きりになる事すら無くなった。何時でも姉のエレノアが席を外すこと無く一緒にいたから。
学園は既に最終学年を目前にしていた。
今日は年度変わりの休み期間中であったから、執務の合間にウィリアムに訪問を願う事が出来た。
エリザベスは多忙である。エリザベスに限った事ではない。この年齢で家の跡を継ぐ者達は皆、似たような状況にあるだろう。
中には早々に婚家の執務を習うべく通って学ぶ者も多い。ウィリアムにそのような事を求めない父の気持ちは解らないが、今遊んでいられるのは、エレノアとウィリアムだけであろう。
モーランド侯爵家に於いてジョージもまた、今頃は執務に追われているであろうから。
常にない距離を置いた口調になるのは仕方が無い。
目の前にいる婚約者に、たった今その婚約の解消を告げたのだから。これから父に願うので、正確には解消の意志を告げたに過ぎないけれど。
「何故?」
「何故も何も、貴方様がお望みなのでしょう。姉にお心を移して。」
その胸に聞いて見ればよく解る筈である。
移したのではなく、最初から心は姉の下にあったのだと。
こんな事は物語の中のことだと思っていた。婚約者の姉に恋心を抱く。抱くだけなら有るかもしれない。恋とはままならないものだから。
けれども、添い遂げる事を望んでいるのだとしたら、それは貴族の婚姻にあって簡単に許されるものではない。
「解消には応じられないよ。」
その気持ちは理解できる。
侯爵様に何と説明すれば良いのか。
「リズ」
愛称で呼ばれるのが好きだった。こうして呼ばれるだけで、既に気持ちを引っ張られてしまう。
モーランド侯爵家の令息ウィリアムとブルック伯爵家の令嬢エリザベスは、互いに十二の年に婚約を結んだ。
ブルック伯爵家はモーランド侯爵家の寄り子貴族であり領地も隣接していたことから、王都に構えるタウンハウスも程近い位置にあった。
貴族院でも派閥を同じくし事業も傘下のグループとして共同で行っている。ウィリアムとエリザベスは、親同士は主従の間柄で、本人達は所謂幼馴染の関係であった。そこには互いの姉と兄が含まれているが。
互いに兄と姉がいる。
共に長子では無い。では婚姻後の貴族籍はどうなるかと云えば、エリザベスの姉であるエレノアがウィリアムの兄であるジョージの下へ嫁いで行く事が決まっていた。
ブルック伯爵家は妹のエリザベスが跡を継ぎ、ウィリアムはそこに婿入りする事になったのである。
何もそこまでガチガチに政略で固めなくともと思われそうであるが、それ程四人の間柄は幼い頃より親密であったから、二組の婚約は割合とすんなり整った。
仲の良い幼馴染であった。
互いの兄弟姉妹の仲も勿論良い。
兄と姉、弟と妹が共に同い年と云うのにも、そんな上手い組み合わせがあろうかと言われても可怪しくない程丁度よい。
それ程ぴたりとマッチした婚約であった。
エレノアが姉でなければ。
エレノアはブルック伯爵家の嫡子であった。当然その様に教育され育てられていた。それを侯爵家の嫡子であるジョージとの婚約を望んだ故に今の形となってしまった。
お蔭でエリザベスは、本来であれば何処か貴族家へ嫁ぐ筈が急遽後継者に据えられて、急げ追い付けとばかりに後継教育を施される事となってしまった。
教師も増やされ学園にも上る前に、それまでとは雲泥の差がある厳しい教育に切り替えられた。寄り親である侯爵家の事業の実際は、伯爵家がその実務を担っていた。
教育は多岐に渡り、街歩きやお茶会などとご令嬢達と遊ぶ暇さえ激減してしまった。
それでもエリザベスが投げ出す事なく頑張れたのは、ひとえにウィリアムの存在があったからである。
幼心にウィリアムを慕っていた。
烟る金の髪に蒼い瞳。
淡い金髪にヘーゼルの瞳の自分には無い色合いを持つウィリアムに、確かな恋心を抱いている事に気が付いたのは、果たしていつの頃であったか。
いつからであったろう。
ウィリアムが邸を訪れて慌てて身支度をして客室に入れば、そこには既に姉がいる。
「遅かったわね、エリザベス。」
お茶を含んでエレノアが朗らかに言うその横顔を、ウィリアムが見つめている。
私はここよ?
入室するエリザベスに視線を移すのを一、ニ、三秒と数えてしまう。
後継教育は実務に移り始め、エリザベスは父の執務の端を担っていた。客人が訪れたからと、早々に席を離れる事は出来ない。
切りの良い所まで仕上げてしまわねば、後を引き継ぐ侍従に迷惑を掛けてしまう。
エレノアは、幼馴染を待たせてはならないと話し相手になっていたのだろう。ではウィリアムは?
彼は果たして私を待っていたのだろうか。
このままトラブルか何かで私が席を離れられず、そうしてそのまま姉と二人で過ごしたいと望んでいたのではなかろうか。
一度二度ではなく、毎度毎度をそんな風に過ごす二人に、婚約者とのお茶会ではなく姉のお茶会に途中参加している気分になるのは、もういつ頃からであるか思い出せない。
そもそもウィリアムと二人きりになる事すら無くなった。何時でも姉のエレノアが席を外すこと無く一緒にいたから。
学園は既に最終学年を目前にしていた。
今日は年度変わりの休み期間中であったから、執務の合間にウィリアムに訪問を願う事が出来た。
エリザベスは多忙である。エリザベスに限った事ではない。この年齢で家の跡を継ぐ者達は皆、似たような状況にあるだろう。
中には早々に婚家の執務を習うべく通って学ぶ者も多い。ウィリアムにそのような事を求めない父の気持ちは解らないが、今遊んでいられるのは、エレノアとウィリアムだけであろう。
モーランド侯爵家に於いてジョージもまた、今頃は執務に追われているであろうから。
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