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「お前はそれで良いのだな。」
父がエリザベスに問うて来る。
「はい。」
「見逃すことは?」
「出来かねます。」
「侯爵家へは。」
「ありのままをお伝え下さい。」
「エレノアはどうなる。」
「ジョージ様がお考え下さる事と。」
「それでエレノアこそ婚約を解消されるとは考えないか。」
「それは無いでしょう。お二人が望んだからの婚約でしょう。ジョージ様は考え無しではございませんでしょう。」
考え無しはエレノアとウィリアムである。
暫し沈黙が訪れる。
「ウィリアム殿を慕っていたのでは?」
漸く親の顔を見せた父が尋ねて来る。
「お慕い申しておりました。幼い頃より。」
「うむ。」
そこで何やら考えている様子の父を待っていたが、
「お父様。」エリザベスは娘の我が儘を言葉にした。
「私、他の女性に思いを移す殿方と婚姻など出来ないのです。伯爵家の為に、侯爵家の為に、この身を粉にして務める事を誓いましょう。けれども、寄り添う夫には僅かで良いから思い合う愛情を望むのは、私の我が儘です。少なくとも、お姉様を慕う男と添うなど私には到底出来ない事なのです。」
貴族の婚姻に愛を求めても仕方が無い。
現に、父と母も政略での婚姻である。互いに思い合える情を持てたのは幸運な事である。中には初めから愛を他に置く者もいる。それに目を瞑る夫人達も。
けれども、ここはエリザベスの生家であり、エリザベスが跡を継ぐ。せめて一つだけ、我が儘を言わせて欲しい。
ウィリアムだけは駄目である。
幼い頃より慕ってきた。初恋なのだ。
それでも姉に恋慕する男とは、無理なのである。まして後継など、肌を合わせるなどどうして出来よう。
若く潔癖な令嬢は、濁ったものを飲み込む程の胆力は持ち合わせてはいなかった。もう最後には、ウィリアムでなければ誰でも良いとまで言い出しそうであるのを悟った父が、
「分かった。」
そう言ってくれなければ、その先をまるっと全て口に出していた事だろう。
父が執事に視線を送る。
程無く執事は書類を携え戻って来た。
「今ここでサインが出来るか?サインしたなら後には戻れないぞ?」
父の瞳を受け止めて、エリザベスは一つ頷いた。
父は全て知っていた。分かって見逃していたのは、エリザベスの為かそれともエレノアの為か。
それでもこんな時が来るのを予期していたところを見ると、父はエリザベスの考えも行動も正しく把握していたと思われる。
婚約解消の誓約書であった。
エリザベスのサインを携えて、父は侯爵家を訪うのだろう。せめてエレノアの婚約に影響しなければ良い。もう、自分の手を離れてしまった貴族の話し合いに、エリザベスの感情が入る余地は無い。
寝台の上でエリザベスは眠れずにいた。
春の宵は夜気も柔らかく、本来ならば微睡みさえ心地良い筈が、いつまでもまんじりとせずに、夜が耽るまま思考を泳がせていた。
父に話した言葉の一つ一つ。
父が話した言葉の一つ一つ。
どこかで齟齬は無かっただろうか。
侯爵家へ申し出る前に、父に正しく自分の言い分を伝える事が出来たであろうか。
後からそんなつもりは無かったなどと、子供の戯言は通用しない。
侯爵家はどう受け止めるだろう。
傘下の小娘の戯けた言い分と跳ね除けるであろうか。
ウィリアムに傷を付ける愚か者と叱責を受けるだろうか。
ジョージはどうする?エレノアとの婚約はどうなる?
エレノアには反省すべき事は無いのだろうか。我が身に置き換えれば大変な過ちに思えるのに、あの姉を思えば仕方ない様にも思えて来る。それは父も母も同じであろう。
母は悲しむのか。少なくとも、エレノアが矢面に立たされはしないか案ずる事だろう。
三つも年下であるのに、家督を譲られる立場からか、皆エリザベスには厳しい目を向けている。そう思うのは考えすぎなのだろうか。
元々は姉こそが後継者であった。恋をしたからと、それを放棄し妹にあてがった。
エレノアの我が儘は仕方が無いと受け入れられて、エリザベスでは許されないのだとしたら。それでも家を守らねばならない。
真逆、今頃になって当主をエレノアに戻してウィリアムを迎えて、そうしてエリザベスを他所に嫁がせようなどと、
そこまで考えて、それこそが真の答えに思えてしまった。
エレノアとウィリアム。この二年を想い合って過ごしていたとしたなら、本来あるべき姿としてエレノアが伯爵家を継いでウィリアムを伴侶と迎える事こそ理に適った道に思えた。
ジョージはどうなるのだろう。帝国で学んだ青年貴族の未来は明るい。彼なら心配いらない事だろう。
心配すべきは己の未来である。
姉を矢面に立たせた事を両親が罪だと考えたなら、最悪放逐されてしまうのだろうか。少なくとも、ウィリアムを迎えるこの家には置けないだろう。
学園の卒業と同時に他家に嫁がせらるのは間違い無い。
思考の海に何処までも深く沈んだまま、エリザベスは夢か現か分からぬまま、思い浮かぶのは最悪の未来ばかりで、それでも望まずにはいられなかった姉と婚約者への決別を後悔する気持ちにはなれなかった。
そうして、明けの空が白む頃に漸く考え疲れて浅い眠りに誘われたのであった。
父がエリザベスに問うて来る。
「はい。」
「見逃すことは?」
「出来かねます。」
「侯爵家へは。」
「ありのままをお伝え下さい。」
「エレノアはどうなる。」
「ジョージ様がお考え下さる事と。」
「それでエレノアこそ婚約を解消されるとは考えないか。」
「それは無いでしょう。お二人が望んだからの婚約でしょう。ジョージ様は考え無しではございませんでしょう。」
考え無しはエレノアとウィリアムである。
暫し沈黙が訪れる。
「ウィリアム殿を慕っていたのでは?」
漸く親の顔を見せた父が尋ねて来る。
「お慕い申しておりました。幼い頃より。」
「うむ。」
そこで何やら考えている様子の父を待っていたが、
「お父様。」エリザベスは娘の我が儘を言葉にした。
「私、他の女性に思いを移す殿方と婚姻など出来ないのです。伯爵家の為に、侯爵家の為に、この身を粉にして務める事を誓いましょう。けれども、寄り添う夫には僅かで良いから思い合う愛情を望むのは、私の我が儘です。少なくとも、お姉様を慕う男と添うなど私には到底出来ない事なのです。」
貴族の婚姻に愛を求めても仕方が無い。
現に、父と母も政略での婚姻である。互いに思い合える情を持てたのは幸運な事である。中には初めから愛を他に置く者もいる。それに目を瞑る夫人達も。
けれども、ここはエリザベスの生家であり、エリザベスが跡を継ぐ。せめて一つだけ、我が儘を言わせて欲しい。
ウィリアムだけは駄目である。
幼い頃より慕ってきた。初恋なのだ。
それでも姉に恋慕する男とは、無理なのである。まして後継など、肌を合わせるなどどうして出来よう。
若く潔癖な令嬢は、濁ったものを飲み込む程の胆力は持ち合わせてはいなかった。もう最後には、ウィリアムでなければ誰でも良いとまで言い出しそうであるのを悟った父が、
「分かった。」
そう言ってくれなければ、その先をまるっと全て口に出していた事だろう。
父が執事に視線を送る。
程無く執事は書類を携え戻って来た。
「今ここでサインが出来るか?サインしたなら後には戻れないぞ?」
父の瞳を受け止めて、エリザベスは一つ頷いた。
父は全て知っていた。分かって見逃していたのは、エリザベスの為かそれともエレノアの為か。
それでもこんな時が来るのを予期していたところを見ると、父はエリザベスの考えも行動も正しく把握していたと思われる。
婚約解消の誓約書であった。
エリザベスのサインを携えて、父は侯爵家を訪うのだろう。せめてエレノアの婚約に影響しなければ良い。もう、自分の手を離れてしまった貴族の話し合いに、エリザベスの感情が入る余地は無い。
寝台の上でエリザベスは眠れずにいた。
春の宵は夜気も柔らかく、本来ならば微睡みさえ心地良い筈が、いつまでもまんじりとせずに、夜が耽るまま思考を泳がせていた。
父に話した言葉の一つ一つ。
父が話した言葉の一つ一つ。
どこかで齟齬は無かっただろうか。
侯爵家へ申し出る前に、父に正しく自分の言い分を伝える事が出来たであろうか。
後からそんなつもりは無かったなどと、子供の戯言は通用しない。
侯爵家はどう受け止めるだろう。
傘下の小娘の戯けた言い分と跳ね除けるであろうか。
ウィリアムに傷を付ける愚か者と叱責を受けるだろうか。
ジョージはどうする?エレノアとの婚約はどうなる?
エレノアには反省すべき事は無いのだろうか。我が身に置き換えれば大変な過ちに思えるのに、あの姉を思えば仕方ない様にも思えて来る。それは父も母も同じであろう。
母は悲しむのか。少なくとも、エレノアが矢面に立たされはしないか案ずる事だろう。
三つも年下であるのに、家督を譲られる立場からか、皆エリザベスには厳しい目を向けている。そう思うのは考えすぎなのだろうか。
元々は姉こそが後継者であった。恋をしたからと、それを放棄し妹にあてがった。
エレノアの我が儘は仕方が無いと受け入れられて、エリザベスでは許されないのだとしたら。それでも家を守らねばならない。
真逆、今頃になって当主をエレノアに戻してウィリアムを迎えて、そうしてエリザベスを他所に嫁がせようなどと、
そこまで考えて、それこそが真の答えに思えてしまった。
エレノアとウィリアム。この二年を想い合って過ごしていたとしたなら、本来あるべき姿としてエレノアが伯爵家を継いでウィリアムを伴侶と迎える事こそ理に適った道に思えた。
ジョージはどうなるのだろう。帝国で学んだ青年貴族の未来は明るい。彼なら心配いらない事だろう。
心配すべきは己の未来である。
姉を矢面に立たせた事を両親が罪だと考えたなら、最悪放逐されてしまうのだろうか。少なくとも、ウィリアムを迎えるこの家には置けないだろう。
学園の卒業と同時に他家に嫁がせらるのは間違い無い。
思考の海に何処までも深く沈んだまま、エリザベスは夢か現か分からぬまま、思い浮かぶのは最悪の未来ばかりで、それでも望まずにはいられなかった姉と婚約者への決別を後悔する気持ちにはなれなかった。
そうして、明けの空が白む頃に漸く考え疲れて浅い眠りに誘われたのであった。
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