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エリザベスとウィリアムが嘗て婚約関係にあって、それが数ヶ月前に解消されて、そうして昨日は何やら言い合いをしていた。
それだけで二人は、人目を引いてしまう。
それをこうして手を取られ向き合っていては、要らぬ憶測を招いてしまう。
今も、ちらちらこちらを窺う視線を感じる。
「ウィリアム様。お話しがあるのでしたら邸へお越し下さい。」
そう言うより他は無かった。
学園で二人きりになるよりも、邸で会う方が余程良いだろう。エリザベスが婚約の解消を願った事実は変わらないが、両親や姉にはウィリアムへの悪感情は見受けられない。
「しかし、」
「ここでお話しするより良いでしょう。」
「分かったよ。」
学園で課題を熟すエリザベスの帰宅時間はウィリアムより遅い。既に馬車は返してしまったから、今更迎えの時間を早める事は出来ない。先に邸へ戻るウィリアムとはエリザベスの帰宅に時間を合わせてもらい、その場は別れた。
ウィリアムと会うのが憂鬱に思う日が来るなんて。婚約者である前に、幼馴染でもある。幼い頃の事なら何でも知っている。
幼い頃の事であるなら。
ここ数年、エリザベスの執務見習いが始まり、ジョージが帝国に留学してからのウィリアムは、エリザベスの知り得ないひとになってしまった。
エリザベスが多忙過ぎたせいもある。
観劇やら食事やらに出歩く事も無く、専らそれらは姉のエレノアの専売特許で、誘っても無理だろうとウィリアムを諦めさせたとしたなら、エリザベスの側にも原因はある。
今でこそ幾分の余裕が出来て、お陰でジョージとの共同事業の時間を作る事も出来ている。
私達は、擦れ違っていたのだわ。
それでも、歩み寄りは出来た筈である。
学園ではエリザベスは比較的自由であったから。
やめやめ、終わった事だと思考を切り替えるも、もう充分過ぎるほど考え抜いたたらればに、ついつい囚われてしまうのであった。
邸に戻ると、ウィリアムは既に訪れていた。
何も伝えられずにいたのに、執事は正しく貴賓室へ通していた。
母が在宅であれば慌てたかもしれないが、その様子も無い。
いつも執務中に着る簡素なワンピースではなく、自分で着られる綺麗めのワンピースに着替えたのは、一応の礼儀のつもりである。
「ごめんなさい。お待たせした?」
「いや、ついさっき来たところだよ。」
侍女ではなくセドリックがお茶を淹れてくれる。案ずる眼差しに、大丈夫だと目配せすれば、微かな笑みを浮かべ部屋の壁際に静かに控えた。
「昨日は悪かった。謝りたくて。」
「謝罪を受け入れます。」
一晩掛けてウィリアムなりに考えたのだろう。走って逃げると云う、令嬢としてはあり得ない行為を恥じるべきはエリザベスであるのに、そこには触れないでくれるらしい。
「ウィリアム、」
幼い頃からの呼び方で声を掛ける。
「貴方の気持ちを聞くわ。けれども、結果を変えることは出来ない事だけは、理解して欲しいの。」
「解ってるよ。」
ほんの少しの間、逡巡してからウィリアムは
「リズ。君と一緒にいるつもりだった。」そう話し始めた。
「君が後継教育に忙しい事は、解っていたよ。兄さんもそうであったから。けれど、真逆こんな風になるとは思わなかった。」
ええ、私もよ。エリザベスは心の内で同意する。
「そんなに大変なの?後継教育って。」
側にいても分からないのかもしれない。
「ええ、泳げもしないのに海を泳いでいる位には。」
「はは、それは大変だ。」
「学園でも、何だか声を掛け辛かった。」
「学園こそ自由でいられたわ。」
「放課後も残って?」
「貴方も一緒にいてくれたなら。」
「お喋りも出来ないのに?」
「いてくれるだけで良かったのよ。」
「ねえ、ウィリアム。」
「ん?」
小首を傾げる懐かしい仕草。
エリザベスはウィリアムを既に懐かしいと感じるほど離れてしまったのだと思う。
「ウィリアム、貴方は私の光だったわ。貴方がいたからか頑張れた。貴方と未来を生きる為だと思うから、私、頑張ったのよ?」
「リズ、」
ウィリアムが何かを言い掛けたと同時に、ぱたぱたと微かに音が聞こえて、どうやらそれがこちらへ近付いてくると思ったら
「ウィリアム、お久しぶりね!漸く来てくれたのね!」
朗らか笑みを満面に湛えて、エレノアが扉を開けた。ノックは無かった。
エレノアの向こうには、どうやら上手く抑えられ無かったらしい執事の渋顔が見える。
「嬉しいわ、会いに来てくれて。とっても寂しかったのよ?」
エレノアはエリザベスに同席の伺いも無く、そのまま椅子に座ってしまった。そうしてエリザベスに視線を移して、
「エリザベスったら、どうして教えてくれないの?まだ焼き餅を焼いているの?駄目よ、いつまでもそんなのでは。そんなだからウィリアムにも愛想を尽かされてしまうのよ?」
と、爆弾発言を投下した。
ウィリアムと擦れ違ってしまったのは分っていた。そこを今、心を開いて話せる最後の機会であったのだが、どうやらそう思ったのはエリザベスだけであったらしい。
「エレノア。」
そう名を口にしたウィリアムの横顔は、もう何度も何度も繰り返し見てきた、恋慕に染まる男の顔であった。
それだけで二人は、人目を引いてしまう。
それをこうして手を取られ向き合っていては、要らぬ憶測を招いてしまう。
今も、ちらちらこちらを窺う視線を感じる。
「ウィリアム様。お話しがあるのでしたら邸へお越し下さい。」
そう言うより他は無かった。
学園で二人きりになるよりも、邸で会う方が余程良いだろう。エリザベスが婚約の解消を願った事実は変わらないが、両親や姉にはウィリアムへの悪感情は見受けられない。
「しかし、」
「ここでお話しするより良いでしょう。」
「分かったよ。」
学園で課題を熟すエリザベスの帰宅時間はウィリアムより遅い。既に馬車は返してしまったから、今更迎えの時間を早める事は出来ない。先に邸へ戻るウィリアムとはエリザベスの帰宅に時間を合わせてもらい、その場は別れた。
ウィリアムと会うのが憂鬱に思う日が来るなんて。婚約者である前に、幼馴染でもある。幼い頃の事なら何でも知っている。
幼い頃の事であるなら。
ここ数年、エリザベスの執務見習いが始まり、ジョージが帝国に留学してからのウィリアムは、エリザベスの知り得ないひとになってしまった。
エリザベスが多忙過ぎたせいもある。
観劇やら食事やらに出歩く事も無く、専らそれらは姉のエレノアの専売特許で、誘っても無理だろうとウィリアムを諦めさせたとしたなら、エリザベスの側にも原因はある。
今でこそ幾分の余裕が出来て、お陰でジョージとの共同事業の時間を作る事も出来ている。
私達は、擦れ違っていたのだわ。
それでも、歩み寄りは出来た筈である。
学園ではエリザベスは比較的自由であったから。
やめやめ、終わった事だと思考を切り替えるも、もう充分過ぎるほど考え抜いたたらればに、ついつい囚われてしまうのであった。
邸に戻ると、ウィリアムは既に訪れていた。
何も伝えられずにいたのに、執事は正しく貴賓室へ通していた。
母が在宅であれば慌てたかもしれないが、その様子も無い。
いつも執務中に着る簡素なワンピースではなく、自分で着られる綺麗めのワンピースに着替えたのは、一応の礼儀のつもりである。
「ごめんなさい。お待たせした?」
「いや、ついさっき来たところだよ。」
侍女ではなくセドリックがお茶を淹れてくれる。案ずる眼差しに、大丈夫だと目配せすれば、微かな笑みを浮かべ部屋の壁際に静かに控えた。
「昨日は悪かった。謝りたくて。」
「謝罪を受け入れます。」
一晩掛けてウィリアムなりに考えたのだろう。走って逃げると云う、令嬢としてはあり得ない行為を恥じるべきはエリザベスであるのに、そこには触れないでくれるらしい。
「ウィリアム、」
幼い頃からの呼び方で声を掛ける。
「貴方の気持ちを聞くわ。けれども、結果を変えることは出来ない事だけは、理解して欲しいの。」
「解ってるよ。」
ほんの少しの間、逡巡してからウィリアムは
「リズ。君と一緒にいるつもりだった。」そう話し始めた。
「君が後継教育に忙しい事は、解っていたよ。兄さんもそうであったから。けれど、真逆こんな風になるとは思わなかった。」
ええ、私もよ。エリザベスは心の内で同意する。
「そんなに大変なの?後継教育って。」
側にいても分からないのかもしれない。
「ええ、泳げもしないのに海を泳いでいる位には。」
「はは、それは大変だ。」
「学園でも、何だか声を掛け辛かった。」
「学園こそ自由でいられたわ。」
「放課後も残って?」
「貴方も一緒にいてくれたなら。」
「お喋りも出来ないのに?」
「いてくれるだけで良かったのよ。」
「ねえ、ウィリアム。」
「ん?」
小首を傾げる懐かしい仕草。
エリザベスはウィリアムを既に懐かしいと感じるほど離れてしまったのだと思う。
「ウィリアム、貴方は私の光だったわ。貴方がいたからか頑張れた。貴方と未来を生きる為だと思うから、私、頑張ったのよ?」
「リズ、」
ウィリアムが何かを言い掛けたと同時に、ぱたぱたと微かに音が聞こえて、どうやらそれがこちらへ近付いてくると思ったら
「ウィリアム、お久しぶりね!漸く来てくれたのね!」
朗らか笑みを満面に湛えて、エレノアが扉を開けた。ノックは無かった。
エレノアの向こうには、どうやら上手く抑えられ無かったらしい執事の渋顔が見える。
「嬉しいわ、会いに来てくれて。とっても寂しかったのよ?」
エレノアはエリザベスに同席の伺いも無く、そのまま椅子に座ってしまった。そうしてエリザベスに視線を移して、
「エリザベスったら、どうして教えてくれないの?まだ焼き餅を焼いているの?駄目よ、いつまでもそんなのでは。そんなだからウィリアムにも愛想を尽かされてしまうのよ?」
と、爆弾発言を投下した。
ウィリアムと擦れ違ってしまったのは分っていた。そこを今、心を開いて話せる最後の機会であったのだが、どうやらそう思ったのはエリザベスだけであったらしい。
「エレノア。」
そう名を口にしたウィリアムの横顔は、もう何度も何度も繰り返し見てきた、恋慕に染まる男の顔であった。
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