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教室に入ってクラスメイトに挨拶をする。それから自分の席に着いて漸く、アナベルはほっとした。
教室までの道のりの途中、渡り廊下を通る手前で先を歩く見覚えのある後ろ姿を見つけた。
婚約が解消されてから、まだ顔を合わせたことはなかった。
どうやら今日は一人であるらしいデズモンドの後ろ姿に、ここで鉢合わせるのが戸惑われた。
どんな顔をして話せばよいと云うのか。
貴方のご希望通りになりましたわね、なんて只の嫌味でしかないし、彼(か)の方とお幸せに等と言うほどお人好しではない。出来れば卒業まで、デズモンドにもクレア嬢にも一目だって会いたくない。
「お早うございます。アナベル様。」
「お早うございます。カテリーナ様。」
カテリーナはアナベルの二度目の婚約を知る数少ない人の一人である。何しろ婚約者となったデイビッドの遠縁に当たるのだから。
それまでも会話はあったが、特別親しい間柄ではなかった。自身が子爵家の令嬢である事を考慮して控えていたのかもしれない。
デイビッドと婚約した事により、こうして親しく挨拶をする間柄となった。
自分の席へ向かうカテリーナの背を見ながら、確実に自分の世界が変化しているのを感じた。それが良いとか悪いとかではなく、デイビッドの世界に自分が取り込まれた結果なのだと思うのだった。
ひとつの縁(えにし)が切れて、ひとつの縁と結ばれた。
あと一年で学園を卒業すれば、直ぐに婚姻となる。
年上のデイビッドに合わせて、姉のアリシアの様な花嫁修業の期間はすっ飛ばしての婚姻である。
求められる役割を一日も早く果たして、夫となるデイビッドの家系を盛り立てていかねばならない。
その時には、先程挨拶したばかりのカテリーナとも、同じ一族として付き合うことになるのだろう。
デイビッドはアンドーヴァー子爵家当主である。
今年26歳になるから、アナベルよりも8歳程年上ということになる。
それだけ聞けば、随分と年の離れている様に思えるが、実際会った彼の印象はもっと若々しく感じられた。
勿論、まだまだ青年の盛りであるから当然なのだが、8歳年上と云うだけで、まるで高齢の老人に後妻に出される様な心持ちでいたアナベルは内心ほっとしたのであった。
アナベルよりも濃いチョコレー色の髪は艶やかであったし、短髪のそれを緩く撫で付けた様は大人の色気を感じさせて、学園以外では大人の男性と接する機会の無いアナベルは、どきりと胸が音を立てた気がした。
アナベルよりもほんの少し淡い青い瞳。
自分とよく似た色合いを纏ったデイビッドに、初見での緊張が幾分薄まるのを感じていた。
こうやって新しく結ばれた婚約者の事を考えれば、消えた縁も砕かれてしまった恋心も、あの後ろ姿も忘れられる気がした。完全に忘れる事は無いかもしれないが、いつかそんな事があった位に思えたら、きっと楽になるのだろうと思うのであった。
デイビッドは父の仕事仲間であった。
であれば、当然デズモンドの父親とも関わりがある筈で、遠からず二人の婚約は知られることだろう。
デズモンドにはクレア嬢がいるのだから、今更アナベルを思い出す事は無いかもしれないが、もしかしたら自分が縁を切った令嬢が婚期を逃しはしないか、そんな肩の荷が降りてすっきりするのかもしれない。何だかそれも面白くはないのだが。
親の庇護の下にあっても、夫の下にあっても、結局貴族の女性とは寄る辺の無い頼りない存在なのだと、つくづく考えさせられたアナベルであった。
貴族に限らず、女に生まれるというのはそう云うものなのだろう。
デイビッドとの婚約が無かったら、今頃自分は捨てられた傷と先の見えない不安、家からお荷物扱いされる居心地の悪さと、どれだけの荷を背負うことになったのだろう。
デイビッドの穏やかな眼差しに安堵して、姉妹の中でも軽く扱われる自分であるが、父が思いの外良縁を結び付けてくれた事に感謝した。
穏やかと云うなら、デズモンドも穏やかな気質であったのを、あんな手痛い仕方で裏切られたのだから、あまり当てには出来ないかもしれない。
それでも、令嬢としては背丈のあるアナベルよりも更に上背があり、肩幅が広く手足の長い体躯のデイビッドに、理由の無い安心感を覚えた。
どうかこの人に裏切られません様に。
そんな事を願ってしまうのは、仕方が無い事だと思った。
教室までの道のりの途中、渡り廊下を通る手前で先を歩く見覚えのある後ろ姿を見つけた。
婚約が解消されてから、まだ顔を合わせたことはなかった。
どうやら今日は一人であるらしいデズモンドの後ろ姿に、ここで鉢合わせるのが戸惑われた。
どんな顔をして話せばよいと云うのか。
貴方のご希望通りになりましたわね、なんて只の嫌味でしかないし、彼(か)の方とお幸せに等と言うほどお人好しではない。出来れば卒業まで、デズモンドにもクレア嬢にも一目だって会いたくない。
「お早うございます。アナベル様。」
「お早うございます。カテリーナ様。」
カテリーナはアナベルの二度目の婚約を知る数少ない人の一人である。何しろ婚約者となったデイビッドの遠縁に当たるのだから。
それまでも会話はあったが、特別親しい間柄ではなかった。自身が子爵家の令嬢である事を考慮して控えていたのかもしれない。
デイビッドと婚約した事により、こうして親しく挨拶をする間柄となった。
自分の席へ向かうカテリーナの背を見ながら、確実に自分の世界が変化しているのを感じた。それが良いとか悪いとかではなく、デイビッドの世界に自分が取り込まれた結果なのだと思うのだった。
ひとつの縁(えにし)が切れて、ひとつの縁と結ばれた。
あと一年で学園を卒業すれば、直ぐに婚姻となる。
年上のデイビッドに合わせて、姉のアリシアの様な花嫁修業の期間はすっ飛ばしての婚姻である。
求められる役割を一日も早く果たして、夫となるデイビッドの家系を盛り立てていかねばならない。
その時には、先程挨拶したばかりのカテリーナとも、同じ一族として付き合うことになるのだろう。
デイビッドはアンドーヴァー子爵家当主である。
今年26歳になるから、アナベルよりも8歳程年上ということになる。
それだけ聞けば、随分と年の離れている様に思えるが、実際会った彼の印象はもっと若々しく感じられた。
勿論、まだまだ青年の盛りであるから当然なのだが、8歳年上と云うだけで、まるで高齢の老人に後妻に出される様な心持ちでいたアナベルは内心ほっとしたのであった。
アナベルよりも濃いチョコレー色の髪は艶やかであったし、短髪のそれを緩く撫で付けた様は大人の色気を感じさせて、学園以外では大人の男性と接する機会の無いアナベルは、どきりと胸が音を立てた気がした。
アナベルよりもほんの少し淡い青い瞳。
自分とよく似た色合いを纏ったデイビッドに、初見での緊張が幾分薄まるのを感じていた。
こうやって新しく結ばれた婚約者の事を考えれば、消えた縁も砕かれてしまった恋心も、あの後ろ姿も忘れられる気がした。完全に忘れる事は無いかもしれないが、いつかそんな事があった位に思えたら、きっと楽になるのだろうと思うのであった。
デイビッドは父の仕事仲間であった。
であれば、当然デズモンドの父親とも関わりがある筈で、遠からず二人の婚約は知られることだろう。
デズモンドにはクレア嬢がいるのだから、今更アナベルを思い出す事は無いかもしれないが、もしかしたら自分が縁を切った令嬢が婚期を逃しはしないか、そんな肩の荷が降りてすっきりするのかもしれない。何だかそれも面白くはないのだが。
親の庇護の下にあっても、夫の下にあっても、結局貴族の女性とは寄る辺の無い頼りない存在なのだと、つくづく考えさせられたアナベルであった。
貴族に限らず、女に生まれるというのはそう云うものなのだろう。
デイビッドとの婚約が無かったら、今頃自分は捨てられた傷と先の見えない不安、家からお荷物扱いされる居心地の悪さと、どれだけの荷を背負うことになったのだろう。
デイビッドの穏やかな眼差しに安堵して、姉妹の中でも軽く扱われる自分であるが、父が思いの外良縁を結び付けてくれた事に感謝した。
穏やかと云うなら、デズモンドも穏やかな気質であったのを、あんな手痛い仕方で裏切られたのだから、あまり当てには出来ないかもしれない。
それでも、令嬢としては背丈のあるアナベルよりも更に上背があり、肩幅が広く手足の長い体躯のデイビッドに、理由の無い安心感を覚えた。
どうかこの人に裏切られません様に。
そんな事を願ってしまうのは、仕方が無い事だと思った。
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