アナベルの二度目の婚約

桃井すもも

文字の大きさ
5 / 32

【5】

しおりを挟む
教室に入ってクラスメイトに挨拶をする。それから自分の席に着いて漸く、アナベルはほっとした。

教室までの道のりの途中、渡り廊下を通る手前で先を歩く見覚えのある後ろ姿を見つけた。

婚約が解消されてから、まだ顔を合わせたことはなかった。
どうやら今日は一人であるらしいデズモンドの後ろ姿に、ここで鉢合わせるのが戸惑われた。
どんな顔をして話せばよいと云うのか。
貴方のご希望通りになりましたわね、なんて只の嫌味でしかないし、彼(か)の方とお幸せに等と言うほどお人好しではない。出来れば卒業まで、デズモンドにもクレア嬢にも一目だって会いたくない。

「お早うございます。アナベル様。」
「お早うございます。カテリーナ様。」

カテリーナはアナベルの二度目の婚約を知る数少ない人の一人である。何しろ婚約者となったデイビッドの遠縁に当たるのだから。
それまでも会話はあったが、特別親しい間柄ではなかった。自身が子爵家の令嬢である事を考慮して控えていたのかもしれない。
デイビッドと婚約した事により、こうして親しく挨拶をする間柄となった。
自分の席へ向かうカテリーナの背を見ながら、確実に自分の世界が変化しているのを感じた。それが良いとか悪いとかではなく、デイビッドの世界に自分が取り込まれた結果なのだと思うのだった。

ひとつの縁(えにし)が切れて、ひとつの縁と結ばれた。
あと一年で学園を卒業すれば、直ぐに婚姻となる。
年上のデイビッドに合わせて、姉のアリシアの様な花嫁修業の期間はすっ飛ばしての婚姻である。
求められる役割を一日も早く果たして、夫となるデイビッドの家系を盛り立てていかねばならない。
その時には、先程挨拶したばかりのカテリーナとも、同じ一族として付き合うことになるのだろう。

デイビッドはアンドーヴァー子爵家当主である。
今年26歳になるから、アナベルよりも8歳程年上ということになる。
それだけ聞けば、随分と年の離れている様に思えるが、実際会った彼の印象はもっと若々しく感じられた。
勿論、まだまだ青年の盛りであるから当然なのだが、8歳年上と云うだけで、まるで高齢の老人に後妻に出される様な心持ちでいたアナベルは内心ほっとしたのであった。

アナベルよりも濃いチョコレー色の髪は艶やかであったし、短髪のそれを緩く撫で付けた様は大人の色気を感じさせて、学園以外では大人の男性と接する機会の無いアナベルは、どきりと胸が音を立てた気がした。
アナベルよりもほんの少し淡い青い瞳。
自分とよく似た色合いを纏ったデイビッドに、初見での緊張が幾分薄まるのを感じていた。

こうやって新しく結ばれた婚約者の事を考えれば、消えた縁も砕かれてしまった恋心も、あの後ろ姿も忘れられる気がした。完全に忘れる事は無いかもしれないが、いつかそんな事があった位に思えたら、きっと楽になるのだろうと思うのであった。

デイビッドは父の仕事仲間であった。
であれば、当然デズモンドの父親とも関わりがある筈で、遠からず二人の婚約は知られることだろう。
デズモンドにはクレア嬢がいるのだから、今更アナベルを思い出す事は無いかもしれないが、もしかしたら自分が縁を切った令嬢が婚期を逃しはしないか、そんな肩の荷が降りてすっきりするのかもしれない。何だかそれも面白くはないのだが。 

親の庇護の下にあっても、夫の下にあっても、結局貴族の女性とは寄る辺の無い頼りない存在なのだと、つくづく考えさせられたアナベルであった。
貴族に限らず、女に生まれるというのはそう云うものなのだろう。

デイビッドとの婚約が無かったら、今頃自分は捨てられた傷と先の見えない不安、家からお荷物扱いされる居心地の悪さと、どれだけの荷を背負うことになったのだろう。
デイビッドの穏やかな眼差しに安堵して、姉妹の中でも軽く扱われる自分であるが、父が思いの外良縁を結び付けてくれた事に感謝した。

穏やかと云うなら、デズモンドも穏やかな気質であったのを、あんな手痛い仕方で裏切られたのだから、あまり当てには出来ないかもしれない。

それでも、令嬢としては背丈のあるアナベルよりも更に上背があり、肩幅が広く手足の長い体躯のデイビッドに、理由の無い安心感を覚えた。
どうかこの人に裏切られません様に。
そんな事を願ってしまうのは、仕方が無い事だと思った。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

さよなら 大好きな人

小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。 政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。 彼にふさわしい女性になるために努力するほど。 しかし、アーリアのそんな気持ちは、 ある日、第2王子によって踏み躙られることになる…… ※本編は悲恋です。 ※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。 ※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目の人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...