アナベルの二度目の婚約

桃井すもも

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「ご領地へ?」
「ああ、君に両親を会わせられずにいたからね。お父上とは婚約の際に挨拶出来たのだがね。」

またあの父は、大切な事を一言も話していない。些か憮然としたアナベルには気付かなかったらしいデイビッドが続ける。

「なんてことはない、広いだけの只の田舎さ。けれど風光明媚であるのは間違いない。何より食い物が旨い。」
男性らしく砕けた物言いに、アナベルは思わず笑ってしまった。

グレイ伯爵領は、王都から北東に位置している。
広大な領地には大きな山脈が横切っており、山脈に抱かれた土地には高原野菜に麦などの野菜と穀物、乳牛・肉牛の放牧の他に軍馬の育生と携わる産業は数多く、それだけでも莫大な益を生んでいるのを、それらを加工して販売・流通する為の商会経営がデイビッドの主な仕事であった。

アナベルはあれから、勇気を出して聞いてみた。貴方のお仕事を知りたいと。
聞いたところで理解など出来ない事は分かっている。けれども、貴方のことを知りたいのだ、だから貴方がどんなお仕事をなさっているのかも知りたいのだ、そう話すとデイビッドは面倒そうな素振りも見せずに教えてくれた。
それは意外な事であった。てっきり、君は何も心配することは無い、事業の事は気にせずに君は家政について考えてくれれば良い、位は言われるつもりであったのがデイビッドは噛み砕いてアナベルにも解りやすく説明してくれたのである。

「少しは私に興味が沸いたかな?」などと戯けた振りを見せるデイビッドが、堪らなく眩しく映った。

そこで知ったのが、思った以上に大規模な経営を手広く行っている伯爵家の事業であった。
領地には山々が連なり湖が点在する自然豊かな美しい大地が広がっているという。

王都育ちのアナベルには、馬車で日帰り出来る範囲でしか外の世界を知らない。
芸術を愛する王族に保護されている王都は美しい。郊外には広い庭園もあれば植物園もある。少し足を伸ばせば、散策に適した森林や湖もある。

けれどもそれらは、貴族を中心とした富裕層が楽しむために管理をされたもので、人の手が生み出した造形美であったから、手付かずの自然と云うのをアナベルは見たことが無かった。
生家の領地へ行ったこともあったが、余りに幼い頃の事で、残念ながらうろ覚えの記憶しかない。

デイビッドの領地へは馬車で三日程掛かる。デイビッドはそこを馬を駆けて半分の日程で行き来していると言う。

「今頃は山野が色を変えて美しいよ。少し寒くはあるが空気が澄んでいて気持ちが良い。」
君にも見せたいと思っていた、と熱の籠もった眼差しを向けられるのにアナベルは思わず目を伏せた。
ほんのり頬が色付いたのを見逃さなかったデイビッドに引き寄せられる。

今は、王都に最近出来た話題のレストランに行く途中の馬車にいた。商会経営に加えて野菜や肉類・乳製品を卸すグレイ伯爵家は顔が広い。こう云う場合も優先されるらしく容易く席が取れる。食事の席も観劇も、思うままに得られるのがデイビッドであった。

馬車の揺れも手伝って、そのまま引き寄せられたアナベルが抱き締められる。
それから先に始まる事は、もう身体が覚えてしまっている。
溶かされる様な熱を齎す濃い口付けと互いの熱い掌。抱き締めるきつい腕の圧迫も、何もかもが狂しく心地よい。息を付けぬ口付けにとろとろと溶かされて行く。

「紅が取れてしまいます。」
デイビッドの口角に移ってしまった口紅をそっと指先で拭う。その指さえも手を取られ口付けられる。

「何も付けずとも美しいよ。」
そんな事、今まで誰にも言われた事など無い。学園では目立つ事なく大人しく過ごして来た。初めて結ばれた婚約も、そんな面白みの無い性格と地味な見目から解消されてしまった。

潤んだ瞳で見上げるアナベルに、デイビッドはもう一度触れるだけの口付けを落とした。


デイビッドの領地に行く。
伯爵家当主夫妻に漸く会える。
緊張と期待。デイビッドと共に数日を過ごす事実は甘やかな緊張をもたらした。
最近は会う度に距離が縮まり、別れの際の口付けは、もう無くてはならない褒美であった。
約束の前の日には、肌にも髪の艶にも気を配る。少しでも美しいと思われたい。僅かでも愛されたい。

令嬢の扱いに長けてるデイビッドに、不快になる様な言動をされた事は一度も無かった。
それは、本心を綺麗に隠す男の技にも思えた。どれ程にきつく抱き締められても、耳元で甘く囁かれても、デイビッドの本心が何処にあるのか、世間知らずのアナベルに計り知ることは難しいと思われた。










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