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「そんな事が。ふうん、では当家からも抗議文を出そう。」
「それには及びません。」
「良いのか?」
「ええ、お詫びの文も頂きましたし。」
「君は優しいのだな。」
これは褒め言葉では無い。その程度で良いのかと問われている。
けれどもアナベルは、婚姻を目前に控えて争い事は避けたかった。喩え些細な事であっても。
デイビッドとの婚姻に一滴ほどの染みも付けたくはなかった。
であるのにこの人は。
「アナベル、少し話せないか。」
聖夜を間近にした夜会であった。
事業に関係する貴族家に平民の富裕層や政治家も交えた夜会であった。
商会を経営するデイビッドと間もなく婚姻するアナベルも、この頃にはグレイ伯爵家次期当主夫人として周知されていたので、華やかな中にも緊張を伴う席であった。
その夜会開場で、真逆のデズモンドに声を掛けられた。先程まで一緒にいたクレアがいない。アナベルも一人でいたところであった。
デズモンドの生家モートン伯爵家、クレアの生家ルース子爵家とは、生家も婚家も事業で提携関係にある。当然ながら今日の夜会も互いに出席することは分かっていた。
秋の夜会のデズモンドとその後のクレアとの一件から、アナベルの生家では一度抗議文を出している。それからは学園で擦れ違っても、言葉を交わす事は無かった。
父がアナベルの為に迅速に動いたのは、デズモンドとの婚約解消の話し合い以来であった。
婚約解消の時でさえ、事業の関わりを慮って慰謝料の発生する「破棄」を選ばずに「解消」に留めた。デズモンドの不貞が原因であったのに。当然、二家には不貞に対する「抗議」は行っていなかった。
それが、クレアから礼を欠いた発言をされたと云うだけで抗議文を出したのには、アナベルが既にグレイ伯爵家の管轄にあり、その立場が軽いものではない事を理解しているからであった。
伯爵家夫人に伝わるサファイアの指輪を譲られた事実も大きかったであろう。
「ご機嫌よう、デズモンド様。」
「ああ、少しばかり良いだろうか。」
「何か御用でも?」
「いや、話したい事があったんだ。その、なかなか会う機会が無かったから。」
当然である。礼を欠いたのはそちらなのだから。
「ここで伺っても?」
「出来れば誰も居ない所がよいのだが。」
「無理ですわ。互いに婚約者が一緒ですのに。」
「ああ、その事なんだけど、」
ああ、もうここで話そうと決めたらしいデズモンドが声を潜めて話しを続ける。
「婚約を戻したいと思っているんだ。」
「え?」
「君ともう一度婚約出来ないかと、」
「何を仰っているの?解消を望んだのは貴方よ?」
驚きで言葉が学生調に戻ってしまう。
「後悔している。」
馬鹿な事を言わないで欲しい。
あれ程無神経に振る舞っておいて。
学園でも疎遠を通され、他に心を移され、それを詫びることなく解消を望まれた。デイビッドと婚約出来たからこそ今のアナベルはこうしていられるが、それが無かったらどれ程に不遇な未来が待っていたか分からない。
「後継を降りるつもり?」
「何を言ってるんだ?」
「そう云う事でしょう。それだけの愚かな発言をしているのだから。」
「君は僕を好きではなかったか?」
「ええ、お慕いしておりました。貴方の妻になるのを嬉しく思っていました。」
「であれば、「過去の事です。」
「デズモンド様、私はグレイ伯爵家に嫁ぐのです。」
「あんな年上に?!君はあの男と婚姻できるのか?」
何を言っているのだろうか。
「クレア様を大切になさって下さい。私との婚約を解消する程願った方なのでしょう?」
「彼女では駄目なんだ。」
知ったことでは無い。
「彼女では務まらないんだ。」
「それが私とどう関係すると?彼女に不足があるのなら貴方がお助けすれば良いだけのこと。」
「君なら出来るだろう?今日だって、貴族達に認められているじゃないか。皆君に挨拶している。」
当然だろう。デイビッドの妻になるのであれば。
「それは私の力ではないわ。デイビッド様のお力よ。」
「デズモンド様。」アナベルは改めてデズモンドを正面から見据えた。
「デズモンド様。しっかりなさって。貴方は伯爵家を継承するのでしょう。クレア様と一緒に生きると決めたのでしょう。不安は誰にでもあるわ。全てが上手く行く訳でもないわ。それでも家を守れるのは貴方しかいないのよ。領地領民も、商会も使用人も、貴方の判断一つで路頭に迷うのよ。」
「そこまでだよ、アナベル。」
来てしまったわ。アナベルが唇を噛む。
出来れば穏便に済ませたかった。此処だけの二人だけの胸の内で終わらせたかった。そうでなければ、
「モートン伯爵家ご令息。我がグレイ伯爵家は正式にモートン伯爵家並びにルース子爵家へ抗議文を送る。」
そうなってしまうと分かっていたのだから。
「それには及びません。」
「良いのか?」
「ええ、お詫びの文も頂きましたし。」
「君は優しいのだな。」
これは褒め言葉では無い。その程度で良いのかと問われている。
けれどもアナベルは、婚姻を目前に控えて争い事は避けたかった。喩え些細な事であっても。
デイビッドとの婚姻に一滴ほどの染みも付けたくはなかった。
であるのにこの人は。
「アナベル、少し話せないか。」
聖夜を間近にした夜会であった。
事業に関係する貴族家に平民の富裕層や政治家も交えた夜会であった。
商会を経営するデイビッドと間もなく婚姻するアナベルも、この頃にはグレイ伯爵家次期当主夫人として周知されていたので、華やかな中にも緊張を伴う席であった。
その夜会開場で、真逆のデズモンドに声を掛けられた。先程まで一緒にいたクレアがいない。アナベルも一人でいたところであった。
デズモンドの生家モートン伯爵家、クレアの生家ルース子爵家とは、生家も婚家も事業で提携関係にある。当然ながら今日の夜会も互いに出席することは分かっていた。
秋の夜会のデズモンドとその後のクレアとの一件から、アナベルの生家では一度抗議文を出している。それからは学園で擦れ違っても、言葉を交わす事は無かった。
父がアナベルの為に迅速に動いたのは、デズモンドとの婚約解消の話し合い以来であった。
婚約解消の時でさえ、事業の関わりを慮って慰謝料の発生する「破棄」を選ばずに「解消」に留めた。デズモンドの不貞が原因であったのに。当然、二家には不貞に対する「抗議」は行っていなかった。
それが、クレアから礼を欠いた発言をされたと云うだけで抗議文を出したのには、アナベルが既にグレイ伯爵家の管轄にあり、その立場が軽いものではない事を理解しているからであった。
伯爵家夫人に伝わるサファイアの指輪を譲られた事実も大きかったであろう。
「ご機嫌よう、デズモンド様。」
「ああ、少しばかり良いだろうか。」
「何か御用でも?」
「いや、話したい事があったんだ。その、なかなか会う機会が無かったから。」
当然である。礼を欠いたのはそちらなのだから。
「ここで伺っても?」
「出来れば誰も居ない所がよいのだが。」
「無理ですわ。互いに婚約者が一緒ですのに。」
「ああ、その事なんだけど、」
ああ、もうここで話そうと決めたらしいデズモンドが声を潜めて話しを続ける。
「婚約を戻したいと思っているんだ。」
「え?」
「君ともう一度婚約出来ないかと、」
「何を仰っているの?解消を望んだのは貴方よ?」
驚きで言葉が学生調に戻ってしまう。
「後悔している。」
馬鹿な事を言わないで欲しい。
あれ程無神経に振る舞っておいて。
学園でも疎遠を通され、他に心を移され、それを詫びることなく解消を望まれた。デイビッドと婚約出来たからこそ今のアナベルはこうしていられるが、それが無かったらどれ程に不遇な未来が待っていたか分からない。
「後継を降りるつもり?」
「何を言ってるんだ?」
「そう云う事でしょう。それだけの愚かな発言をしているのだから。」
「君は僕を好きではなかったか?」
「ええ、お慕いしておりました。貴方の妻になるのを嬉しく思っていました。」
「であれば、「過去の事です。」
「デズモンド様、私はグレイ伯爵家に嫁ぐのです。」
「あんな年上に?!君はあの男と婚姻できるのか?」
何を言っているのだろうか。
「クレア様を大切になさって下さい。私との婚約を解消する程願った方なのでしょう?」
「彼女では駄目なんだ。」
知ったことでは無い。
「彼女では務まらないんだ。」
「それが私とどう関係すると?彼女に不足があるのなら貴方がお助けすれば良いだけのこと。」
「君なら出来るだろう?今日だって、貴族達に認められているじゃないか。皆君に挨拶している。」
当然だろう。デイビッドの妻になるのであれば。
「それは私の力ではないわ。デイビッド様のお力よ。」
「デズモンド様。」アナベルは改めてデズモンドを正面から見据えた。
「デズモンド様。しっかりなさって。貴方は伯爵家を継承するのでしょう。クレア様と一緒に生きると決めたのでしょう。不安は誰にでもあるわ。全てが上手く行く訳でもないわ。それでも家を守れるのは貴方しかいないのよ。領地領民も、商会も使用人も、貴方の判断一つで路頭に迷うのよ。」
「そこまでだよ、アナベル。」
来てしまったわ。アナベルが唇を噛む。
出来れば穏便に済ませたかった。此処だけの二人だけの胸の内で終わらせたかった。そうでなければ、
「モートン伯爵家ご令息。我がグレイ伯爵家は正式にモートン伯爵家並びにルース子爵家へ抗議文を送る。」
そうなってしまうと分かっていたのだから。
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