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第十八章
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レパトロワを伯爵邸まで送ると言い出したアランに、どう答えようかと考えた。
兄の友人の申し出に甘えても良いのだろうか。
今のレパトロワはレジナルドと間もなく破談となることが確実で、そんなタイミングでの異性との接触は、避けるに越したことはないだろう。
自分のことばかりではない。
アランにとっても、自邸の茶会で騒ぎとなった令嬢とは、当人同士が顔見知りであるからといって、無闇な交流は避けたほうが無難だろう。
彼は侯爵家の嫡男で、レパトロワとは立場が違う。
そこまで考えてレパトロワは、背筋を伸ばして姿勢を正すと、アランに向かって微笑んだ。
それから、
「お気持ちだけ頂戴いたします」
そう言って、お断りしますと頭を下げた。
「⋯⋯。どうしてかな?」
アランは薄ら笑みを浮かべて、レパトロワを見下ろした。
「お互いに、そのほうが良かれと思いましたの」
「どういう意味で?」
「その、私は、ええっと、今は少々騒がしいことになりそうですし、アラン様にもお立場がおありかと」
「友人の妹が、我が家でお招きした茶会でお困りのご様子だとしたら、お声を掛けるのは当たり前のことだよね」
改まった言い方をしたレパトロワに、アランもどこか同じように改まった物言いで返してきた。レパトロワは自分の態度はそっちのけにして、そんなアランの距離のある話し方が気になってしまった。
「馬車でしたら、ご心配には及びませんわ。兄のものがございますので」
「ああ、それならオリヴァーは帰してしまったよ」
え?そうだったのか。てっきり兄は帰りも自分の馬車を使うつもりだと思っていた。
だが、そうであれば、先ほど侯爵家の侍女に、兄の馬車で帰るからと頼んだときにわかったのではなかろうか。
そんなことをぐるぐる頭の中で考えていると、
「だから、君は素直にうんと頷いてくれるといいんだけれどね」
アランは、幼い頃から知っている、あの優しい笑みを浮かべてレパトロワを見つめた。
くう、格好良すぎ。格好良すぎって罪なのね。
アランのビリジアンの瞳がまるで深海のようで、その海の奥底まで泳いでみたいとレパトロワは思った。ちなみにレパトロワは泳げない。
「お、お願いいたします⋯⋯」
押し切られるような形で、レパトロワはアランに送ってもらうこととなった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
アランの支度が整うまで、レパトロワはメイベルと一緒に玄関ホールで待っていた。
メイベルが案じているのは、兄が巻き起こしたレジナルドとの一悶着のことだろう。
「ダメージゼロとは言い難いけれど、精神面ならノーダメージよ」
令嬢としては、破談によってバツが一つ付いてしまう。それだけでレパトロワの価値はダメージを受けたことになるだろう。
だが、感情的なことで言うなら、ダメージなど全くなかった。元々、自分で望んだ縁談ではなかったし、ダメージを受けないほどには粗末にされた自覚がある。
「敢えて言うなら、開放感、かしら」
「開放感、でございますか?」
「そうよ。寧ろ、レジナルド様と婚約していた時のほうがダメージは大きかったわ」
「ああ~、確かに」
レパトロワの不遇っぷりを熟知しているメイベルが、確かに確かにと言って頷いた。
「お嬢様」
それからメイベルは、彼女にしては珍しく、改まった口調でレパトロワに向き直った。
「ご自分の御心に素直におなりなさいまし」
「メイベル⋯⋯」
「お嬢様は、十分、ご自分の本分をお果たしになられました。ご令息の行いにも、抗議も文句の一つも仰ることなく、婚約者として真摯に向き合っておられました」
「し、真摯だったかしら?」
寧ろ放任に近かった。レパトロワは、要はレジナルドを放っておいたに過ぎない。
「プリムローズ様に対しても、態度を変えることなくお付き合いなさっておられました」
「ええ、ええ、勿論よ。だってプリムローズなのだもの」
プリムローズに邪心はない。悪意もないのだから仕方がない。
「そうではございません。無邪気と無作法を混同しては、お困りなるのはプリムローズ様なのです」
ああ、そうかもしれないと、メイベルの言葉に頷いた。たとえレパトロワが良くても、周囲はそうは見ないだろう。今日の茶会の場がまさにそうだった。
プリムローズは、聖女の噂とともに、従姉妹の婚約者と不適切な交流を図る令嬢だと見做されてしまった。
「⋯⋯。悪いことをしてしまったわ。せめてプリムローズには、彼と近づかないように話したほうがよかったのね」
だがそれでも、二人はきっと変わらなかったのではないだろうか。レジナルドのプリムローズ贔屓は筋金入りで、プリムローズはそういう彼にすっかり馴染んでいた。
「まあ、あのお二人は放っておいてですね」
メイベルは、放っておいてと言ってレジナルドとプリムローズを切り捨てた。
「お嬢様はこれからは、ご自分の幸福をお考えくださいまし」
「もう十分、幸せよ。貴女のような侍女がいてくれて」
それはレパトロワの本心だった。この真っ正直で心根の明るい侍女に、レパトロワは何度も笑わされ助けられてきた。
「存じております。ワタクシ、いつだってお嬢様の幸福を祈念いたしております自覚がございますので」
「まあ。メイベル、そんなに難しい言い回しをしては、舌を噛んじゃうわよ」
「ええ、ちょっと噛みかけました」
やっぱりメイベルは最高である。
レジナルドとここへ来るときには侍女にあるまじき居眠りをして、さあ帰ろうというときになって大演説を披露して、その上、落とし所を見誤らない。
「貴女って、やっぱり最高の侍女だわ」
レパトロワは、ほんの少し年上の心優しい侍女に向けて、おっとりと微笑んだ。そうすると、大きな吊り目が細められて、大人びた顔が幼く見える。
こんな可愛らしいお嬢様の微笑みを、あの粗忽者の令息はどうして気づかなかったのだろう。レパトロワを一番に考える侍女は、そう思うのだった。
兄の友人の申し出に甘えても良いのだろうか。
今のレパトロワはレジナルドと間もなく破談となることが確実で、そんなタイミングでの異性との接触は、避けるに越したことはないだろう。
自分のことばかりではない。
アランにとっても、自邸の茶会で騒ぎとなった令嬢とは、当人同士が顔見知りであるからといって、無闇な交流は避けたほうが無難だろう。
彼は侯爵家の嫡男で、レパトロワとは立場が違う。
そこまで考えてレパトロワは、背筋を伸ばして姿勢を正すと、アランに向かって微笑んだ。
それから、
「お気持ちだけ頂戴いたします」
そう言って、お断りしますと頭を下げた。
「⋯⋯。どうしてかな?」
アランは薄ら笑みを浮かべて、レパトロワを見下ろした。
「お互いに、そのほうが良かれと思いましたの」
「どういう意味で?」
「その、私は、ええっと、今は少々騒がしいことになりそうですし、アラン様にもお立場がおありかと」
「友人の妹が、我が家でお招きした茶会でお困りのご様子だとしたら、お声を掛けるのは当たり前のことだよね」
改まった言い方をしたレパトロワに、アランもどこか同じように改まった物言いで返してきた。レパトロワは自分の態度はそっちのけにして、そんなアランの距離のある話し方が気になってしまった。
「馬車でしたら、ご心配には及びませんわ。兄のものがございますので」
「ああ、それならオリヴァーは帰してしまったよ」
え?そうだったのか。てっきり兄は帰りも自分の馬車を使うつもりだと思っていた。
だが、そうであれば、先ほど侯爵家の侍女に、兄の馬車で帰るからと頼んだときにわかったのではなかろうか。
そんなことをぐるぐる頭の中で考えていると、
「だから、君は素直にうんと頷いてくれるといいんだけれどね」
アランは、幼い頃から知っている、あの優しい笑みを浮かべてレパトロワを見つめた。
くう、格好良すぎ。格好良すぎって罪なのね。
アランのビリジアンの瞳がまるで深海のようで、その海の奥底まで泳いでみたいとレパトロワは思った。ちなみにレパトロワは泳げない。
「お、お願いいたします⋯⋯」
押し切られるような形で、レパトロワはアランに送ってもらうこととなった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
アランの支度が整うまで、レパトロワはメイベルと一緒に玄関ホールで待っていた。
メイベルが案じているのは、兄が巻き起こしたレジナルドとの一悶着のことだろう。
「ダメージゼロとは言い難いけれど、精神面ならノーダメージよ」
令嬢としては、破談によってバツが一つ付いてしまう。それだけでレパトロワの価値はダメージを受けたことになるだろう。
だが、感情的なことで言うなら、ダメージなど全くなかった。元々、自分で望んだ縁談ではなかったし、ダメージを受けないほどには粗末にされた自覚がある。
「敢えて言うなら、開放感、かしら」
「開放感、でございますか?」
「そうよ。寧ろ、レジナルド様と婚約していた時のほうがダメージは大きかったわ」
「ああ~、確かに」
レパトロワの不遇っぷりを熟知しているメイベルが、確かに確かにと言って頷いた。
「お嬢様」
それからメイベルは、彼女にしては珍しく、改まった口調でレパトロワに向き直った。
「ご自分の御心に素直におなりなさいまし」
「メイベル⋯⋯」
「お嬢様は、十分、ご自分の本分をお果たしになられました。ご令息の行いにも、抗議も文句の一つも仰ることなく、婚約者として真摯に向き合っておられました」
「し、真摯だったかしら?」
寧ろ放任に近かった。レパトロワは、要はレジナルドを放っておいたに過ぎない。
「プリムローズ様に対しても、態度を変えることなくお付き合いなさっておられました」
「ええ、ええ、勿論よ。だってプリムローズなのだもの」
プリムローズに邪心はない。悪意もないのだから仕方がない。
「そうではございません。無邪気と無作法を混同しては、お困りなるのはプリムローズ様なのです」
ああ、そうかもしれないと、メイベルの言葉に頷いた。たとえレパトロワが良くても、周囲はそうは見ないだろう。今日の茶会の場がまさにそうだった。
プリムローズは、聖女の噂とともに、従姉妹の婚約者と不適切な交流を図る令嬢だと見做されてしまった。
「⋯⋯。悪いことをしてしまったわ。せめてプリムローズには、彼と近づかないように話したほうがよかったのね」
だがそれでも、二人はきっと変わらなかったのではないだろうか。レジナルドのプリムローズ贔屓は筋金入りで、プリムローズはそういう彼にすっかり馴染んでいた。
「まあ、あのお二人は放っておいてですね」
メイベルは、放っておいてと言ってレジナルドとプリムローズを切り捨てた。
「お嬢様はこれからは、ご自分の幸福をお考えくださいまし」
「もう十分、幸せよ。貴女のような侍女がいてくれて」
それはレパトロワの本心だった。この真っ正直で心根の明るい侍女に、レパトロワは何度も笑わされ助けられてきた。
「存じております。ワタクシ、いつだってお嬢様の幸福を祈念いたしております自覚がございますので」
「まあ。メイベル、そんなに難しい言い回しをしては、舌を噛んじゃうわよ」
「ええ、ちょっと噛みかけました」
やっぱりメイベルは最高である。
レジナルドとここへ来るときには侍女にあるまじき居眠りをして、さあ帰ろうというときになって大演説を披露して、その上、落とし所を見誤らない。
「貴女って、やっぱり最高の侍女だわ」
レパトロワは、ほんの少し年上の心優しい侍女に向けて、おっとりと微笑んだ。そうすると、大きな吊り目が細められて、大人びた顔が幼く見える。
こんな可愛らしいお嬢様の微笑みを、あの粗忽者の令息はどうして気づかなかったのだろう。レパトロワを一番に考える侍女は、そう思うのだった。
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