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第二十四章
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兄が作成した破談に関する誓約書には、改められた金額が記されていた。だがそれは、妥当と言える金額で常識の範疇だと思われた。
だから、誓約書を確かめたルフィールド伯爵も、あれ?というような顔をした。
父も兄も、ぼったくりをしたいわけではなかった。思うに、レジナルドに順番やルールを守ることを問い質すために、あんな大袈裟な立ち回りをしたのではないかとレパトロワは思った。
ほんの一年ばかりの交流ではあったが、父も兄もレパトロワがレジナルドの元に嫁ぐのだと、彼のことを息子や弟のように思ってくれていたのではないか。
手痛い経験になってしまっても、レジナルドはまだ若く、相手が父と兄でよかったと思った。
「レパトロワ嬢、息子が迷惑を掛けてしまった。君に不遇な経験をさせたことをお詫びする」
ルフィールド伯爵は、手元の婚約破棄誓約書をじっと見つめていたのだが、顔を上げると開口一番にレパトロワに向かって謝罪した。
いつの世も、破談になって疵を追うのは、令嬢のほうである。
「レジナルド。お前も謝罪するんだ」
レジナルドは父と兄に散々口撃されて、いつもの華やかな表情をすっかり曇らせていた。
だが、どこかで自分が勝手をしていたのだと、彼なりに理解していたのだろう。このまま理解ができなければ、きっと彼はいずれ廃嫡されて、後継から降ろされていたのではないか。
レジナルドには一つ年下の弟がいる。彼もまた、スペアとして後継教育を受けている。
「済まなかった。レパトロワ」
呟くような謝罪だった。兄が先ほどの勢いを温存していたなら「聞こえません」くらいは言うだろう。
だが兄は、そんなレジナルドをじっと見つめるだけで、なにも言うことはなかった。
「ご機嫌よう、皆様」
キィと扉が小さな音を立てて開いた。
執事や父の侍従であれば、そんな無作法な音を立てずに扉を開く。
細く開けられた隙間から、「ご機嫌よう」と言って顔を覗かせたのは、プリムローズだった。
まさか、破談の原因となったプリムローズがこのタイミングで部屋に来るとは。
そんなことは、普通であれば考えられない。
だが今は普通ではないので、寧ろ立て込んでいるからこそ、こんなことが起こるのだろう。
「プリムローズ、どうしたんだ?」
初めに声をかけたのは兄だった。
「誰もいらっしゃらないから、モーガンに聞いたらここだって言われて来ちゃったの」
プリムローズ、それは駄目だ。と、誰も言わなかった。プリムローズは一事が万事こうなのだ。無垢と無邪気と無神経がミックスされて絶妙な味わいを醸し出す、そういう令嬢なのである。
そしてモーガンは、きっと敢えてプリムローズをここへ通したのだろう。彼は、一見すると温厚で穏やかなロマンスグレーの老執事なのだが、明晰で論理的な思考を持つ。
その彼が、ここにいると言ってプリムローズを招き入れたなら、それは意図的なことだろう。
「あの⋯⋯、ごめんなさい。大事なお話中だったなら失礼いたしました」
ここにはカニング伯爵家とルフィールド伯爵家の面々が一同に会しており、子爵令嬢のプリムローズはその光景を目にして怯んだようだった。
「プリムローズ、余所ではそんなことをしてはいけないよ」
兄はプリムローズを優しく注意した。だが、余所は駄目だけれど我が家なら許されるという、ふわっとしたニュアンスが漂うようなことを口にした。兄はこう見えて、プリムローズに甘い。
「申し訳ありません」
プリムローズは細く開けられた扉から半身だけを覗かせて、こちらに向かって愁傷なふうに再び謝罪をした。
だがそこで、彼女はようやくレジナルドに気がついた。
「レジナルド様?」
レジナルドは、今は話しかけてくれるなと言うような顔をすると、俯いてしまった。
「レジナルド様、どうしちゃったの?」
驚くことはその直後に起こった。
プリムローズは、細く開かれた扉から、するりと室内に入り込んだかと思うと、そのまま真っ直ぐレジナルドの元に小走りになってやってきた。
そうして驚くレジナルドの真横に跪いて、レジナルドの俯いてしまった顔を覗き込んだ
そんな彼女にレジナルドは「勘弁してほしい」という顔をした。
「レジナルド様、お顔が真っ青よ?」
レジナルドが、プリムローズの言葉に顔の強張りを緩めたのが、レパトロワの席からも見えていた。
二つの伯爵家が揃うこの場で、プリムローズはまるでレジナルドしか見えていないようだった。
本当はそんなことはないのだが、彼女にとって、消沈して顔色を悪くしたレジナルドは、なによりも誰よりも気がかりな存在なのだろう。
レパトロワは思った。
プリムローズは、本当に癒しの聖女なのかもしれない。
放課後の教室で、レジナルドが彼女に言った言葉は本心だったのだろう。物怖じしないのはプリムローズの気質であるが、彼女も歴とした令嬢である。
相応の教育も受けているし、マナーも身に着けている。
彼女は決して愚鈍ではない。無神経かと思える行いは確かにあっても、彼女には悪意も悪びれる気持ちもない。彼女はただ純粋に自身が惹かれてしまうものに正直なのだ。
「大丈夫?レジナルド様」
「⋯⋯プリムローズ」
二人の姿はまるで、昨日の茶会の続きにも思えた。
プリムローズにはこんな不思議なところがあって、どれほど無作法を仕出かしても、根底には突き抜けるようなあっけらかんとした明るさがある。
レジナルドは、そんなプリムローズに惹かれずにはいられなかったのだろう。
だから、誓約書を確かめたルフィールド伯爵も、あれ?というような顔をした。
父も兄も、ぼったくりをしたいわけではなかった。思うに、レジナルドに順番やルールを守ることを問い質すために、あんな大袈裟な立ち回りをしたのではないかとレパトロワは思った。
ほんの一年ばかりの交流ではあったが、父も兄もレパトロワがレジナルドの元に嫁ぐのだと、彼のことを息子や弟のように思ってくれていたのではないか。
手痛い経験になってしまっても、レジナルドはまだ若く、相手が父と兄でよかったと思った。
「レパトロワ嬢、息子が迷惑を掛けてしまった。君に不遇な経験をさせたことをお詫びする」
ルフィールド伯爵は、手元の婚約破棄誓約書をじっと見つめていたのだが、顔を上げると開口一番にレパトロワに向かって謝罪した。
いつの世も、破談になって疵を追うのは、令嬢のほうである。
「レジナルド。お前も謝罪するんだ」
レジナルドは父と兄に散々口撃されて、いつもの華やかな表情をすっかり曇らせていた。
だが、どこかで自分が勝手をしていたのだと、彼なりに理解していたのだろう。このまま理解ができなければ、きっと彼はいずれ廃嫡されて、後継から降ろされていたのではないか。
レジナルドには一つ年下の弟がいる。彼もまた、スペアとして後継教育を受けている。
「済まなかった。レパトロワ」
呟くような謝罪だった。兄が先ほどの勢いを温存していたなら「聞こえません」くらいは言うだろう。
だが兄は、そんなレジナルドをじっと見つめるだけで、なにも言うことはなかった。
「ご機嫌よう、皆様」
キィと扉が小さな音を立てて開いた。
執事や父の侍従であれば、そんな無作法な音を立てずに扉を開く。
細く開けられた隙間から、「ご機嫌よう」と言って顔を覗かせたのは、プリムローズだった。
まさか、破談の原因となったプリムローズがこのタイミングで部屋に来るとは。
そんなことは、普通であれば考えられない。
だが今は普通ではないので、寧ろ立て込んでいるからこそ、こんなことが起こるのだろう。
「プリムローズ、どうしたんだ?」
初めに声をかけたのは兄だった。
「誰もいらっしゃらないから、モーガンに聞いたらここだって言われて来ちゃったの」
プリムローズ、それは駄目だ。と、誰も言わなかった。プリムローズは一事が万事こうなのだ。無垢と無邪気と無神経がミックスされて絶妙な味わいを醸し出す、そういう令嬢なのである。
そしてモーガンは、きっと敢えてプリムローズをここへ通したのだろう。彼は、一見すると温厚で穏やかなロマンスグレーの老執事なのだが、明晰で論理的な思考を持つ。
その彼が、ここにいると言ってプリムローズを招き入れたなら、それは意図的なことだろう。
「あの⋯⋯、ごめんなさい。大事なお話中だったなら失礼いたしました」
ここにはカニング伯爵家とルフィールド伯爵家の面々が一同に会しており、子爵令嬢のプリムローズはその光景を目にして怯んだようだった。
「プリムローズ、余所ではそんなことをしてはいけないよ」
兄はプリムローズを優しく注意した。だが、余所は駄目だけれど我が家なら許されるという、ふわっとしたニュアンスが漂うようなことを口にした。兄はこう見えて、プリムローズに甘い。
「申し訳ありません」
プリムローズは細く開けられた扉から半身だけを覗かせて、こちらに向かって愁傷なふうに再び謝罪をした。
だがそこで、彼女はようやくレジナルドに気がついた。
「レジナルド様?」
レジナルドは、今は話しかけてくれるなと言うような顔をすると、俯いてしまった。
「レジナルド様、どうしちゃったの?」
驚くことはその直後に起こった。
プリムローズは、細く開かれた扉から、するりと室内に入り込んだかと思うと、そのまま真っ直ぐレジナルドの元に小走りになってやってきた。
そうして驚くレジナルドの真横に跪いて、レジナルドの俯いてしまった顔を覗き込んだ
そんな彼女にレジナルドは「勘弁してほしい」という顔をした。
「レジナルド様、お顔が真っ青よ?」
レジナルドが、プリムローズの言葉に顔の強張りを緩めたのが、レパトロワの席からも見えていた。
二つの伯爵家が揃うこの場で、プリムローズはまるでレジナルドしか見えていないようだった。
本当はそんなことはないのだが、彼女にとって、消沈して顔色を悪くしたレジナルドは、なによりも誰よりも気がかりな存在なのだろう。
レパトロワは思った。
プリムローズは、本当に癒しの聖女なのかもしれない。
放課後の教室で、レジナルドが彼女に言った言葉は本心だったのだろう。物怖じしないのはプリムローズの気質であるが、彼女も歴とした令嬢である。
相応の教育も受けているし、マナーも身に着けている。
彼女は決して愚鈍ではない。無神経かと思える行いは確かにあっても、彼女には悪意も悪びれる気持ちもない。彼女はただ純粋に自身が惹かれてしまうものに正直なのだ。
「大丈夫?レジナルド様」
「⋯⋯プリムローズ」
二人の姿はまるで、昨日の茶会の続きにも思えた。
プリムローズにはこんな不思議なところがあって、どれほど無作法を仕出かしても、根底には突き抜けるようなあっけらかんとした明るさがある。
レジナルドは、そんなプリムローズに惹かれずにはいられなかったのだろう。
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