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第二十五章
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斯くしてレジナルドとの婚約は、彼有責による破棄として、あの場で破談となった。
誓約書に署名をするために、当事者であるレパトロワとレジナルド、父とルフィールド伯爵がその場に残り、ルフィールド伯爵夫人と母は部屋を出た。ついでに、プリムローズは母が回収していった。
この話し合いのために、レパトロワもレジナルドもともに学園を休んでいたが、なぜプリムローズがあの時間にここへ来たのか。それは母が確かめた。
プリムローズが言ったことには、朝、登校すると二人とも休んでいたから、自分もそのまま帰ったのだという。
乗ってきた馬車はすでに返してしまったから、仕方がないとプリムローズは子爵邸まで歩いて帰った。
当然であるが、子爵邸はそれに慌てて騒然となったらしい。貴族令嬢は普通、徒歩で帰宅なんてしない。
その後プリムローズは、お茶で渇いた喉を潤し、小腹が減って茶菓子で空腹を満たし、ひと休みして準備万端整ったとばかりにカニング伯爵邸に来てからは、もう皆の知るところである。
プリムローズの乱入で調子が狂ってしまったが、関係者だけが残った部屋はすぐに落ち着きを取り戻した。
兄がその場を整えて、無事に署名を終えたところでようやく破談となったのである。
結局その後、プリムローズはレジナルドと一緒に帰っていった。もうそこからして社会通念としてはズレているのだが、二人はそんなところまで気が合っていた。
どこか消沈した様子のレジナルドが心配らしく、邸を出るときもプリムローズは歩きながらレジナルドを見上げていた。
二人は今にも手を繋いでしまうのではという距離の近さで、肩を並べて去ったのであった。
「あの子はなにがしたかったのかな」
兄はその後ろ姿を見つめて呟いた。
「自分のしていることの結果が、わからなかったわけではないだろう」
プリムローズは、あけすけなところはあっても馬鹿ではない。親戚付き合いにも礼儀があることを失念している筈ではなかった。
だが、彼女にはどこか少女の頃から変わらないものがある。そんなプリムローズのことを、レパトロワも兄も、なぜだか憎みきれないのだ。
「お前は大丈夫か?レパトロワ」
「大丈夫なのかしら、ちょっとわからないわ。ただ、疲れました」
「だろうな」
人と縁を切るというのは、それがどんな縁であってを心を抉るものがある。レジナルドにしても少なからずダメージを負った筈で、そんな彼を目の当たりにして、若いレパトロワにしても、今回のことは思った以上に堪えた。
父と兄があの場の全てを準備して、レパトロワのために立ち回ってくれなかったら、今頃はどこかしっくりこないまま婚約解消ということもあったのだろう。
だがレパトロワは気づいていない。どれほど堪えていようとも、そこにはレジナルドという将来の伴侶とされた青年との別れを惜しむ気持ちはない。
レパトロワにとって、心の奥に仕舞い込んた感情は、アランに抱く恋心なのである。
「お兄様」
「ん?」
「ありがとうございます」
「気にするな。お前はもっと我が儘を言って良いんだ。父上だって、そのほうが楽しいのではないかな」
「えっ、お父様って楽しいことなんてあったの?」
あの表情のない父は、きっと仕事が楽しいのだろう。
「いつだってお前の話を楽しそうに聞いておられるではないか」
「どこが?」
「目が笑ってるだろう」
だからどこが?
どの父を思い浮かべても、判を押したように無表情なまま変わらない。動きのない父の顔が思い浮かぶだけだった。
あれから母は、流石に気落ちしたようで、今は自室で休んでいる。
父は無表情であるが切り替え上手であるから、あの後すぐに仕事に戻るため王城へ向かった。半日休暇で済みそうだとかなんとか言っていた。
兄だけが、目出度く婚約バツイチ令嬢となってしまったレパトロワに付き添ってくれている。あとはもう一人、いつもはくだらないお喋りで笑わせてくれるメイベルが、静かに後ろに控えていた。
それが丁度昼時のことだった。
その後、午後のお茶で空腹を満たして、やっと気持ちが落ち着きを取り戻した頃に、アランからドレスが届いた。
「見事だわ。ちょっと、目に滲みるけれど」
「確かに」
復活した母と兄が衣装ケースを覗き込んで言う。
「貴女、大丈夫なの?婚約が破談になったばかりなのに、こんなものを頂戴しちゃって」
母はそう言って、レパトロワを見た。
「⋯⋯どうしましょう、こんな⋯⋯、こんな素敵なドレスを頂戴してしまっては分不相応も甚だしいわ」
「いや、そんなことはないだろう。きっとレパトロワに似合うよ。ほら、試着してごらん。メイベル、頼んだよ」
兄はそう言ってメイベルにドレスの着付けを頼んだ。
アランが贈ってくれたのは、深紅のドレスだった。
赤髪をコンプレックスに思っているレパトロワは、赤が少しばかり苦手である。
決して嫌いな訳ではないが、ますます苛烈な姿に見られるのかと気にしている。
だが、深紅のドレスは鮮やかであるのに気品があって、そしてどこか懐かしさを感じた。
それがなんであるかと記憶を辿ると、レパトロワはあのリボンに思い至った。
あの頃は、まだアランは髪を背中まで長く伸ばしていた。レパトロワは十歳の少女だった。たった十歳であるのに、赤いベルベットのリボンは、レパトロワの心に密かに切ない傷を残した。
深紅のリボンを受け取ったのに、翌日にはバッサリ髪を切ってしまったアランは、なにを思ってこのドレスを贈ってくれたのだろう。
間もなく聖夜が訪れる。
アランは深紅を纏うレパトロワに、あのリボンを思い出してくれるのだろうか。
誓約書に署名をするために、当事者であるレパトロワとレジナルド、父とルフィールド伯爵がその場に残り、ルフィールド伯爵夫人と母は部屋を出た。ついでに、プリムローズは母が回収していった。
この話し合いのために、レパトロワもレジナルドもともに学園を休んでいたが、なぜプリムローズがあの時間にここへ来たのか。それは母が確かめた。
プリムローズが言ったことには、朝、登校すると二人とも休んでいたから、自分もそのまま帰ったのだという。
乗ってきた馬車はすでに返してしまったから、仕方がないとプリムローズは子爵邸まで歩いて帰った。
当然であるが、子爵邸はそれに慌てて騒然となったらしい。貴族令嬢は普通、徒歩で帰宅なんてしない。
その後プリムローズは、お茶で渇いた喉を潤し、小腹が減って茶菓子で空腹を満たし、ひと休みして準備万端整ったとばかりにカニング伯爵邸に来てからは、もう皆の知るところである。
プリムローズの乱入で調子が狂ってしまったが、関係者だけが残った部屋はすぐに落ち着きを取り戻した。
兄がその場を整えて、無事に署名を終えたところでようやく破談となったのである。
結局その後、プリムローズはレジナルドと一緒に帰っていった。もうそこからして社会通念としてはズレているのだが、二人はそんなところまで気が合っていた。
どこか消沈した様子のレジナルドが心配らしく、邸を出るときもプリムローズは歩きながらレジナルドを見上げていた。
二人は今にも手を繋いでしまうのではという距離の近さで、肩を並べて去ったのであった。
「あの子はなにがしたかったのかな」
兄はその後ろ姿を見つめて呟いた。
「自分のしていることの結果が、わからなかったわけではないだろう」
プリムローズは、あけすけなところはあっても馬鹿ではない。親戚付き合いにも礼儀があることを失念している筈ではなかった。
だが、彼女にはどこか少女の頃から変わらないものがある。そんなプリムローズのことを、レパトロワも兄も、なぜだか憎みきれないのだ。
「お前は大丈夫か?レパトロワ」
「大丈夫なのかしら、ちょっとわからないわ。ただ、疲れました」
「だろうな」
人と縁を切るというのは、それがどんな縁であってを心を抉るものがある。レジナルドにしても少なからずダメージを負った筈で、そんな彼を目の当たりにして、若いレパトロワにしても、今回のことは思った以上に堪えた。
父と兄があの場の全てを準備して、レパトロワのために立ち回ってくれなかったら、今頃はどこかしっくりこないまま婚約解消ということもあったのだろう。
だがレパトロワは気づいていない。どれほど堪えていようとも、そこにはレジナルドという将来の伴侶とされた青年との別れを惜しむ気持ちはない。
レパトロワにとって、心の奥に仕舞い込んた感情は、アランに抱く恋心なのである。
「お兄様」
「ん?」
「ありがとうございます」
「気にするな。お前はもっと我が儘を言って良いんだ。父上だって、そのほうが楽しいのではないかな」
「えっ、お父様って楽しいことなんてあったの?」
あの表情のない父は、きっと仕事が楽しいのだろう。
「いつだってお前の話を楽しそうに聞いておられるではないか」
「どこが?」
「目が笑ってるだろう」
だからどこが?
どの父を思い浮かべても、判を押したように無表情なまま変わらない。動きのない父の顔が思い浮かぶだけだった。
あれから母は、流石に気落ちしたようで、今は自室で休んでいる。
父は無表情であるが切り替え上手であるから、あの後すぐに仕事に戻るため王城へ向かった。半日休暇で済みそうだとかなんとか言っていた。
兄だけが、目出度く婚約バツイチ令嬢となってしまったレパトロワに付き添ってくれている。あとはもう一人、いつもはくだらないお喋りで笑わせてくれるメイベルが、静かに後ろに控えていた。
それが丁度昼時のことだった。
その後、午後のお茶で空腹を満たして、やっと気持ちが落ち着きを取り戻した頃に、アランからドレスが届いた。
「見事だわ。ちょっと、目に滲みるけれど」
「確かに」
復活した母と兄が衣装ケースを覗き込んで言う。
「貴女、大丈夫なの?婚約が破談になったばかりなのに、こんなものを頂戴しちゃって」
母はそう言って、レパトロワを見た。
「⋯⋯どうしましょう、こんな⋯⋯、こんな素敵なドレスを頂戴してしまっては分不相応も甚だしいわ」
「いや、そんなことはないだろう。きっとレパトロワに似合うよ。ほら、試着してごらん。メイベル、頼んだよ」
兄はそう言ってメイベルにドレスの着付けを頼んだ。
アランが贈ってくれたのは、深紅のドレスだった。
赤髪をコンプレックスに思っているレパトロワは、赤が少しばかり苦手である。
決して嫌いな訳ではないが、ますます苛烈な姿に見られるのかと気にしている。
だが、深紅のドレスは鮮やかであるのに気品があって、そしてどこか懐かしさを感じた。
それがなんであるかと記憶を辿ると、レパトロワはあのリボンに思い至った。
あの頃は、まだアランは髪を背中まで長く伸ばしていた。レパトロワは十歳の少女だった。たった十歳であるのに、赤いベルベットのリボンは、レパトロワの心に密かに切ない傷を残した。
深紅のリボンを受け取ったのに、翌日にはバッサリ髪を切ってしまったアランは、なにを思ってこのドレスを贈ってくれたのだろう。
間もなく聖夜が訪れる。
アランは深紅を纏うレパトロワに、あのリボンを思い出してくれるのだろうか。
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