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第十七章
「ご機嫌よう、クエンティン殿下」
瞳の奥に若干の侮蔑と貶みの色を滲ませて、ジャクリーンは向かい合うクエンティンに挨拶した。
「あゝ、ジャクリーン」
クエンティンの返しに微妙な違和感を覚えたが、最近ジャクリーンはわかってきた。
義兄とクエンティンの可怪しな癖には触れないほうがよい。
クエンティンは今日も麗しかった。実のところ彼は、五人いる王子の中で最も美しいと言われている。
臣籍降下して賜る爵位がほかの兄たちより低く、与えられる領地もないことが、彼の価値を幾分軽いものにしていた。
それでも、見目よく麗しいクエンティンには、高位貴族の令嬢ばかりでなく、どうやら他国の姫君からも縁談の話があったらしい。
だが、美しい薔薇に棘があるように、麗しい王子には性癖があった。
そのために婚約者候補の大半が辞退する事態に見舞われて、持ち上がりでジャクリーンが婚約者に定められることとなった。
本日クエンティンは、そのことを伝えるために、わざわざ生徒会活動を休んで伯爵邸を訪れていた。
当然、義兄も休んでおり、理由は「腹が痛い」だろう。
今頃、学園では、二人は腹を下しやすい「癖」まで持っていると思われているだろう。
ジャクリーンは考えていた。
いろいろクエンティンの情報が漏洩しているようだが、それは婚約者候補の令嬢ばかりではないだろう。
彼女らが、お得意の「ここだけのお話なんですのよ」と行く先々で吹聴するなら、噂はすでに学園にも蔓延している。
生徒会としても、そんなクエンティンの扱いに困っているのではないか。クエンティンは、もしかしたら王族で初めて生徒会役員をクビにされるのではなかろうか。
そうだとすればクビの理由に「癖」問題を挙げるわけにはいかない。「腹を壊してばかりいるから」という、脆弱な胃腸にこじつけざるを得ないだろう。
ジャクリーンは、そんな生徒会の苦悩に同情した。
「間もなく、君と私の婚約が結ばれる。その日にしようか迷ったんだが」
そう言ってクエンティンは、後ろに控えていた義兄へ振り向いた。視線を受け取った義兄は阿吽の呼吸で頷くと、部屋の隅に控えていた近衛騎士へ視線を送った。
何だその視線の連携プレイ。
クエンティンが初めから近衛騎士へ視線を向ければ済んだのではないか?
義兄をワンクッションにした思惑を量りかねて、ジャクリーンはクエンティンを見た。
回りくどい合図をきっちり受け取った近衛騎士が、こちらへ歩み寄ってくる。
彼は一体どこに隠し持っていたのか、布に包まれた何かを携えていた。
あゝ、それ以上は考えたくない。
ジャクリーンは、違う世界に逃避行したかった。
そのやけに細長い形状。どれほどかと言えば、丁度、剣か鞭の長さと合致した。どっちもいらないとジャクリーンは思った。
近衛騎士はクエンティンのそばまで来ると、片膝をついて恭しくブツを差し出した。
クエンティンは、それを大切に抱えるように受け取った。
重さを確かめる表情は、まるで生まれたての我が子を慈しむようだった。
「君に贈るよ」
しばし感覚深げにブツを見ていたクエンティンが、そう言ってこちらへソイツを差し出した。
「……」
中身は間違いなく「鞭」だろう。
ジャクリーンは躊躇った。クエンティンは悪くない。
元はと言えば、ジャクリーンの言葉が発端だった。彼はそこでの誓いを遵守すべく、ブツを発注しただけだ。
あの時、「鞭打ち百回」ではなく、思い切って「斬首」と言ったなら、今ここにあるのは剣だったろう。
クエンティンは、誠実にジャクリーンと向き合おうとしてくれている。その気持ちを自分は踏みにじるのか。
生前の父は、公明正大、嘘偽りのない人だった。どんなことがあろうとも、亡き父に恥ずかしくないように生きたいと思っている。
その父が想念を送ってくるようだった。
——ジャクリーン、何も心配いらない。
ジャクリーンは、そこで腕を伸ばした。鞭(多分)がどれほどの重さなのか持ったことがないからわからない。
大切な「誠意の証」であるから、落とさないように受け取ろうと思った。
「ジャッキー」
感極まって、義兄がジャクリーンを愛称で呼んだ。これは彼の癖の一つである。義兄にも癖がいろいろあるのだ。
すると何を思ったのか、クエンティンは差し出しかけたブツを引き戻し、おもむろに立ち上がった。
え?まさかそのブツで私を打つの?
驚くあまり、そんなことを考えたが、それは間違いだった。
クエンティンは疾風のようにジャクリーンの傍らに回り込むと、先ほどの近衛騎士のように片膝をついた。
それからいそいそと包みから布を剥がして、美しく装飾の施されたケースを開けた。
「君に似合うと思うんだ」
例えばそれが、宝石を散りばめた装飾品なら素敵な台詞だ。
だが、彼が掲げて見せたのは、思ったとおり鞭だった。
黒光りするそれを、クエンティンはジャクリーンに受け取ってくれと目で合図した。
気の所為でなければ、義兄からも「受け取ってくれと」と思念を送られている。ついでに近衛騎士からも「お願いします」と声が届く気がした。
ジャクリーンの白くほっそりとした指先が鞭に触れると、
「うっ」
クエンティンが変な声を漏らした。
「まだ打ってはおりません」
彼は跪いたままだった。目元を紅く染めたクエンティンを見下ろせば、今度は「はふう」と息を漏らした。
思い切ってグリップを握り、ジャクリーンはケースから鞭を持ち上げた。確かな重みを感じていた。
「ジャクリーン、試しに打ってみてはくれないか」
性癖丸だしのクエンティンのことは、触ると危険、無視をした。
黒光りする鞭のグリップにキラリと光るものを見つけた。ロイヤルブルーのサファイアが嵌め込まれている。
「クィーン・ジャクリーンと名をつけたんだ」
私は女王じゃありません。
まさかクエンティンは、王位簒奪を目論んでいるのか?
「それは王妃様に不敬なことですわ」
「いや、私のなかでは君こそクィーンだ」
クエンティンは苦しげに眉を寄せて言った。まるで恋の熱に浮かされるようだった。
前世のクエンティンと今世の彼と、もしも同じ人格ならば、なぜ前のクエンティンはジャクリーンを裏切ったのだろう。
それは心の奥深くに眠る、前世のジャクリーンが思ったことなのかもしれない。
瞳の奥に若干の侮蔑と貶みの色を滲ませて、ジャクリーンは向かい合うクエンティンに挨拶した。
「あゝ、ジャクリーン」
クエンティンの返しに微妙な違和感を覚えたが、最近ジャクリーンはわかってきた。
義兄とクエンティンの可怪しな癖には触れないほうがよい。
クエンティンは今日も麗しかった。実のところ彼は、五人いる王子の中で最も美しいと言われている。
臣籍降下して賜る爵位がほかの兄たちより低く、与えられる領地もないことが、彼の価値を幾分軽いものにしていた。
それでも、見目よく麗しいクエンティンには、高位貴族の令嬢ばかりでなく、どうやら他国の姫君からも縁談の話があったらしい。
だが、美しい薔薇に棘があるように、麗しい王子には性癖があった。
そのために婚約者候補の大半が辞退する事態に見舞われて、持ち上がりでジャクリーンが婚約者に定められることとなった。
本日クエンティンは、そのことを伝えるために、わざわざ生徒会活動を休んで伯爵邸を訪れていた。
当然、義兄も休んでおり、理由は「腹が痛い」だろう。
今頃、学園では、二人は腹を下しやすい「癖」まで持っていると思われているだろう。
ジャクリーンは考えていた。
いろいろクエンティンの情報が漏洩しているようだが、それは婚約者候補の令嬢ばかりではないだろう。
彼女らが、お得意の「ここだけのお話なんですのよ」と行く先々で吹聴するなら、噂はすでに学園にも蔓延している。
生徒会としても、そんなクエンティンの扱いに困っているのではないか。クエンティンは、もしかしたら王族で初めて生徒会役員をクビにされるのではなかろうか。
そうだとすればクビの理由に「癖」問題を挙げるわけにはいかない。「腹を壊してばかりいるから」という、脆弱な胃腸にこじつけざるを得ないだろう。
ジャクリーンは、そんな生徒会の苦悩に同情した。
「間もなく、君と私の婚約が結ばれる。その日にしようか迷ったんだが」
そう言ってクエンティンは、後ろに控えていた義兄へ振り向いた。視線を受け取った義兄は阿吽の呼吸で頷くと、部屋の隅に控えていた近衛騎士へ視線を送った。
何だその視線の連携プレイ。
クエンティンが初めから近衛騎士へ視線を向ければ済んだのではないか?
義兄をワンクッションにした思惑を量りかねて、ジャクリーンはクエンティンを見た。
回りくどい合図をきっちり受け取った近衛騎士が、こちらへ歩み寄ってくる。
彼は一体どこに隠し持っていたのか、布に包まれた何かを携えていた。
あゝ、それ以上は考えたくない。
ジャクリーンは、違う世界に逃避行したかった。
そのやけに細長い形状。どれほどかと言えば、丁度、剣か鞭の長さと合致した。どっちもいらないとジャクリーンは思った。
近衛騎士はクエンティンのそばまで来ると、片膝をついて恭しくブツを差し出した。
クエンティンは、それを大切に抱えるように受け取った。
重さを確かめる表情は、まるで生まれたての我が子を慈しむようだった。
「君に贈るよ」
しばし感覚深げにブツを見ていたクエンティンが、そう言ってこちらへソイツを差し出した。
「……」
中身は間違いなく「鞭」だろう。
ジャクリーンは躊躇った。クエンティンは悪くない。
元はと言えば、ジャクリーンの言葉が発端だった。彼はそこでの誓いを遵守すべく、ブツを発注しただけだ。
あの時、「鞭打ち百回」ではなく、思い切って「斬首」と言ったなら、今ここにあるのは剣だったろう。
クエンティンは、誠実にジャクリーンと向き合おうとしてくれている。その気持ちを自分は踏みにじるのか。
生前の父は、公明正大、嘘偽りのない人だった。どんなことがあろうとも、亡き父に恥ずかしくないように生きたいと思っている。
その父が想念を送ってくるようだった。
——ジャクリーン、何も心配いらない。
ジャクリーンは、そこで腕を伸ばした。鞭(多分)がどれほどの重さなのか持ったことがないからわからない。
大切な「誠意の証」であるから、落とさないように受け取ろうと思った。
「ジャッキー」
感極まって、義兄がジャクリーンを愛称で呼んだ。これは彼の癖の一つである。義兄にも癖がいろいろあるのだ。
すると何を思ったのか、クエンティンは差し出しかけたブツを引き戻し、おもむろに立ち上がった。
え?まさかそのブツで私を打つの?
驚くあまり、そんなことを考えたが、それは間違いだった。
クエンティンは疾風のようにジャクリーンの傍らに回り込むと、先ほどの近衛騎士のように片膝をついた。
それからいそいそと包みから布を剥がして、美しく装飾の施されたケースを開けた。
「君に似合うと思うんだ」
例えばそれが、宝石を散りばめた装飾品なら素敵な台詞だ。
だが、彼が掲げて見せたのは、思ったとおり鞭だった。
黒光りするそれを、クエンティンはジャクリーンに受け取ってくれと目で合図した。
気の所為でなければ、義兄からも「受け取ってくれと」と思念を送られている。ついでに近衛騎士からも「お願いします」と声が届く気がした。
ジャクリーンの白くほっそりとした指先が鞭に触れると、
「うっ」
クエンティンが変な声を漏らした。
「まだ打ってはおりません」
彼は跪いたままだった。目元を紅く染めたクエンティンを見下ろせば、今度は「はふう」と息を漏らした。
思い切ってグリップを握り、ジャクリーンはケースから鞭を持ち上げた。確かな重みを感じていた。
「ジャクリーン、試しに打ってみてはくれないか」
性癖丸だしのクエンティンのことは、触ると危険、無視をした。
黒光りする鞭のグリップにキラリと光るものを見つけた。ロイヤルブルーのサファイアが嵌め込まれている。
「クィーン・ジャクリーンと名をつけたんだ」
私は女王じゃありません。
まさかクエンティンは、王位簒奪を目論んでいるのか?
「それは王妃様に不敬なことですわ」
「いや、私のなかでは君こそクィーンだ」
クエンティンは苦しげに眉を寄せて言った。まるで恋の熱に浮かされるようだった。
前世のクエンティンと今世の彼と、もしも同じ人格ならば、なぜ前のクエンティンはジャクリーンを裏切ったのだろう。
それは心の奥深くに眠る、前世のジャクリーンが思ったことなのかもしれない。
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