今度の貴方はどうなのかしら。—ジャクリーンの選択—

桃井すもも

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第三十章

「クエンティン様……」

 そこでジャクリーンは、一旦もとのジャクリーンに戻った。

 記憶の端で、薄皮を剥がすように前世の夫が思い出された。

 裏切りは確かだったのだろう。彼が病を得たのなら、たとえ理由があるにしても、ジャクリーン以外と交わりを持ったということだ。

 だがそれが、心からの裏切りではなかったとしたら。

 ジャクリーンは、夫の心変わりに打ちひしがれて、挙句、病を移され、ようやく授かった我が子ともども死なねばならなかった。

 それなのに、ただの一度も夫に確かめることをしなかった。
 きっと意地になっていた。夫から打ち明けられることを願っていた。

 それが誠意だと思ったし、ジャクリーンを愛するなら誤解させたくないと思う筈だと信じていた。

 もし過去の自分に会えるなら、伝えたいことがある。
 自分一人の胸の内で決めつけてはいけない。
 秘密には、愛するゆえに打ち明けられないこともある。

 だから、すれ違う前に本心を確かめることを恐れないでほしい。

 前世の夫は本当に、妻を裏切るばかりの人だったのか。本当に、ジャクリーンのことなど考えもせず、ほかの女性と関係していたのか。

 目の前で不安を瞳に滲ませるクエンティンを見て、あの頃の夫もきっと、こんな瞳を隠していたのではないかと思った。

「クエンティン様。貴方をお慕いいたしております。貴方が何をしたとしても信じております。貴方が私を裏切るとしたら、それはきっと私の幸せを願ってのことなのでしよう」

 今の今まで娼館に乗り込もうと勢いづいていた。それが行き成り素に戻ったジャクリーンに、クエンティンは驚くような顔をした。

 だがすぐに、真剣な眼差しになって言った。

「君が危うくなる前に、必ず迎えに行くから」

 二人はそこで、互いの瞳を見つめて頷き合った。



「いらっしゃい。まあ!なんて可愛らしい男の娘なのかしら」

 開口一番、メロディはそう言った。
 百戦錬磨のお姉様には、王子ルックのジャクリーンは垂涎すいぜんの男の娘だった。

 ジャクリーンは、部屋に入ったところで立ち止まったまま、一歩も前に進めなかった。
 ここに来るまで何パターンものシチュエーションを想定していた。それぞれの対処についてもしっかりシミュレーションしていた。

 だから、ひと言も何も言わないうちにバレるなんて思いもしなかった。
「キィ」と扉が小さく音を立てて、室内に足を踏み入れただけで身バレした。

 二年連続お客様人気投票第一位。
 手練てだれの高級娼婦メロディは、噂通りの歌うような口ぶりでジャクリーンの正体を言い当てた。

 ととと、と小走りになって駆け寄ると、ガシッと思いのほか強い力でジャクリーンの手を取った。

 ——モウ、ニゲラレナイ

 脳内で、自分ではない存在が告げるのが聞こえたような気がした。

「やだ、怯えちゃって可愛い。食べちゃいたい」

 彼女の声には妙な抑揚がついていて、名前の通り歌うようだった。だが不思議と不快な気持ちにはならなかった。

 ジャクリーンは心も身体も自力で制御できなくなった。メロディという蜘蛛の糸に絡め取られてしまったように、彼女のヘーゼル色の瞳を見つめていた。

 メロディは、平凡な容姿をしていた。
 茶色の髪にヘーゼル色の瞳。それなのに、なぜかとても魅力的だった。
 目に輝きがある。彼女の胸に抱かれたなら、きっと大地に抱擁されたように思うだろう。

「お酒は駄目なお年頃?」

 手を引かれて、ジャクリーンはいざなわれるようにソファに座った。光沢のある濃いピンク色の生地が目に染みる。

「ココアにする?さっきお帰りになったお客様からいただいたの」

 そう言ってメロディは、いそいそとジャクリーンのためにココアを淹れてくれた。

 その間、ジャクリーンはひと言も発していなかった。なのにメロディは、以心伝心で心の声を読み取るようだった。まるで二人で会話をするように一人語りをしている。
 それすらなぜか心地よい。

 ここに通うのは、貴族か裕福な平民だろう。
 地位も財産もあり上流に慣れ親しむ彼らがメロディを頂点に押し上げた。

 そんな彼らに、初心うぶなジャクリーンでは知り得ない、めくるめく快楽のひとときを目の前のメロディが提供している。

「もう。緊張しなくてもよいのよ?でも初めてなら仕方ないわね。いいわ」

 私が優しく教えてあげる。
 そう言ってメロディは微笑んだ。

「あ、んっん」

 そこで初めてジャクリーンは声を発した。声というより咳払いと言ったほうが正しかった。

「わた、じゃない、僕のことを」
「きゃー!僕っ娘!カワイイ!」

 興奮したメロディに遮られて、会話の糸口の手前にも辿り着けない。ジャクリーンは、完全に彼女の手中にいた。

 マズい。このままではミッションを完遂できない。焦りから嫌な汗が滲んでくる。

「貴女の、お、お話しが聞きたいの」

 しまった、どもった。
 しかも令嬢口調になってしまった。

「ふふ。本当に素直なお嬢様ね。貴女みたいな人たちは、私のような存在を毛虫がゴミのように思うのでしょうね」

「そ、そんなことはないわ!と、とても、その、頑張っていらっしゃるわ。そうでなければ二年連続でナンバーワンにはなれないもの」

「へえ。貴女はそう思うの?」

 メロディは、しどろもどろながら必死に話すジャクリーンに目を細めた。

「ええ。私、人を見る目はあるほうなの。貴女、凄い人だわ」

 いつの間にか二人は、すっかりガールズトークになっていた。

「ふ~ん」

 メロディはヘーゼルの瞳でジャクリーンを見つめると、クスリと笑った。それだけで、まるで耳元に吐息をかけられたような気持ちになる。

「それで貴女の聞きたいことは何なのかしら?王家の回し者さん」

「え!!」

 驚くあまり目を見開いたジャクリーンに、メロディは、今度こそ心から面白いというように破顔した。




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