サスキーアの恋人

桃井すもも

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第四十四章

 その後ろ姿に、サスキーアは黙って通り過ぎようと思った。
 東の国では、触らぬなんとか、神に触っちゃならんということわざがあるのだという。ならば、偶々見かけた王子にも触っちゃならんだろう。


 この日は公爵が王城にお泊り中で、サスキーアは差し入れを届けに王城に来ていた。
 公爵の執務室でお茶を淹れて、お肩をトントンしてきたところだ。

 帰り道で、偶然でもウォーリックに会えたら良いのに。
 そんなことを考えながら外回廊を歩いていると、

「あら?あそこに見ゆるは?」

 サスキーアは、抜き足差し足になって回廊を進んだ。

「やっぱり殿下だわ」

 サスキーアの視界の前方にベンチが見えた。
 そのベンチに、ひとり青年らしき人物が腰掛けている。
 三人掛けのベンチなのに、ど真ん中に座ってベンチごと占領している後ろ姿は、いつか見たような光景だった。

 テリウスは、のんべんだらりんとベンチに背中を預けて、庭の鑑賞に没頭しているように見えた。

 ポエムタイムなのだろうか。

 テリウスは、ポエムが絡むと面倒くさくなる。
 こういうときは「触らぬポエム詩作中のテリウス」なのだ。

 ベンチは外回廊から庭園に降りたすぐそこで、サスキーアはその後ろをそろりそろりと通り過ぎた。

「やあ、サスキーア嬢」

 ええ?なんで見つかるかな。
 貴人とは、背中にも目がついているのだろうか。

 聞こえなかったフリは有効かもしれないと、サスキーアは気づかなかったていで、そのまま立ち去ろうとした。

「やあやあ、サスキーア嬢」

 テリウスは、ベンチに腕を掛けてこちらへ振り返った。

 ばっちり目が合ってしまった。

 見えなかったフリは有効か?視線がばっちり合っているのに無視を決め込んだサスキーアに、テリウスは麗しの微笑みを向けてきた。

 渋々、嫌々、サスキーアは外回廊から庭園へと降りた。なんでこんなところにご丁寧に階段があるのか。

 のろのろと庭園に降り立つと、

「こっちこっち」

 テリウスが手招きをした。

「ご機嫌麗しゅう。テリウス殿下」
「随分のろまなご令嬢だね」

 挨拶したのに初手から嫌味を言われた。

「ほら」

 テリウスは、ど真ん中に座っていたのを右側にズレて、サスキーアの座るスペースを空けると、ポンポンとベンチを手で叩いた。

 サスキーアは、渋々嫌々テリウスの真横に座った。

「おめでとうございます」
「なにが?」
「ご婚約に決まっているではないですか」
「それほどめでたくもないけどね」

 婚約がめでたくなければ、あとはなにがめでたいというのだ。
 サスキーアは相変わらず天邪鬼あまのじゃくなテリウスを、横目でちらりと見た。

「そんなことより、クッキーはどこに?」
義父ちちがもう食べてしまいましたが」
「ええ?なんだ。君が歩いていたから、てっきりクッキーを持っているかと思ったのに」

 婚約話をそんなこと呼ばわりしたテリウスは、先日めでたく婚約した。お相手は王妹が降嫁した公爵家のご令嬢で、テリウスとは従姉妹になる。

 長く婚約していた他国の王族との婚約が破談となって、嫁ぎ先を失ったことからテリウスとの縁談となった。

 少し前にテリウスが、縁談が持ち上がっていると言ったのは、彼女のことである。

「バツイチって言葉、知ってるかな?」
「⋯⋯」
「私たちのようなのを言うそうだ」
「殿下が破談となられたのは、婚姻ではなく婚約ですから、✕は付かないのではないでしょうか」
「王族の婚約が潰れるのは、立派な✕案件だよ」

 数年前に、テリウスは一度婚約を解消している。
 王国に隣接する公国の令嬢との縁談であったが、あちらに他に好きな男性ができてしまった。

 好きや嫌いで王族との婚約がどうこうなる筈がないのに、テリウスはあっさり解消にしてしまった。
 代わりに、公国と王国を結ぶ街道の通行料に掛けられていた関税を撤廃させた。

 公爵令嬢にしても、婚約中であった他国の王子が「真実の愛」に目覚めたらしく、彼女もまた、あっさり解消に持ち込んでいる。
 慰謝料は大粒を通り越して塊と言えそうなダイヤモンドであったとかなんとか。

 こうして破談経験者同士の婚約が結ばれたのである。

「はあ。空が青いな」

 え?何?今の。

「だが、私の心は青くない」

 ポエムだ。行き成りのポエムだ。

「未来は真っ暗」

 随分悲観的なポエムだな。

「二年の辛抱」

 ?

「二年だけ、待っていてくれサスキーア」

 五七五?

「そういうわけだ、サスキーア。ちゃちゃっと婚礼を済ませて最速で子を儲けるよ。二人連続で頑張ろうと思う」
「⋯⋯」

 王太子の婚礼が、ちゃちゃっとなんて。
 彼の婚礼に併せて大規模な恩赦が実施されるとは、ウォーリックから聞いたことだった。

「マクロン男爵とクリーマー子爵は確定している」

 それは、カミーラの夫とフランツの陞爵のことだった。

「君の生家はみそぎを終えたからね」

 父の弔いは、少し前に終わっていた。フランツの言葉通り、眠るような最期だったという。

「御慈悲を賜りまして、感謝いたします」

 王家は父に、安らかな死を許してくれた。
 喪が明ける半年後には、フランツは監査官の令嬢と婚約することになっている。

「君の婚礼だって来春だろう」

 学園を卒業したら、サスキーアはウォーリックの妻となる。

「君もいよいよ公爵夫人か」
「公爵夫人はお義母様ですわ」
「では、『もうすぐ公爵夫人』と呼ばせてもらおうかな」

 テリウスは続ける。

「もうすぐ公爵夫人サスキーア。いいんじゃないか?そんな小説のタイトルあったよね」

 そんなのあるか。
 王太子の馬鹿馬鹿しい話に付き合いながら、サスキーアも空を見上げた。

 気持ちのよい青空が広がっている。

「あの雲、猫に似てないか?猫、猫、」

 呑気な腹黒王太子が、新たなポエムを生み出す前に、さっさと帰ろうとサスキーアは思った。


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