死に戻ってはみたけれど

桃井すもも

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第五章

「ヒルデガルド、ここにいたの?遅れるわよ、って、どうしたの?朝食が足りなかったの?」

 ローレンの部屋で、ソファに二人並んで座りクッキーを食べていると、母が迎えにきた。
 馬車の用意ができても、玄関ホールに降りてこないヒルデガルドを探していたらしい。

「お母様」
「もうお腹が減ったのかしら。朝からステーキを出さなくては駄目?」
「そうではありませんわ、お母様。あのつまらん(二度目だから)学園に行く前に、ローレンの顔を見にきたのです」

 そうなの?ローレン、と母がローレンを見れば、ローレンはにこりと笑みで答えた。

「百歩譲ってそうだとして、それとクッキーを貪るのとはお話が違うわ」
「ローレンの顔を眺めながら食するクッキーが最高に美味なのですわ。お母様も一枚如何?」

 叔父がローレンの見舞いに持ってきたクッキーを、ヒルデガルドがポリポリ食べる。それをにこやかに見つめるローレンに、母までうっかりクッキーを手に取った。

「って、貴女、遅れてしまうわよ。あまり遅れては公侯組と一緒になってしまうわよ」

 母が言う「公侯組」とは、公爵家侯爵家の略である。因みに、他家ではこんな無礼な略はしたりしない。

 貴族の子女らが通う学園は、生家の身分によって登校時間に定めがある。
 平民・ジェントリ・準男爵の順で始まり、貴族カーストトップの公爵家まで続く登校時間は、最後に王族がお出ましになって始業を迎える。

 伯爵家の子女であるヒルデガルドは、あと一枚クッキーを食したなら、公爵家侯爵家組の通学時間に割り込むことが予想された。

「仕方ありませんわね。よっこらしょ」

 四十の口癖は直ぐには治らないから、身体は何処も痛くもないのに、立ち上がるのに、つい腰をかばって「よっこらしょ」を発動する。

 母はなんだか年嵩に思える娘の醸し出す雰囲気に、軽く困惑しているようだ。

「面倒ではありますが(二度目だから)行って参りますわね、お母様」

 命令指示に慣れた侯爵夫人時代の癖が出て、若干顎が上がって女主人の風格が漂った。

「え、ええ⋯⋯。あら、もうこんな時間、ほら急いで、ヒルデガルド」

 母に急かされ部屋を出る前に、

「行ってくるわね。ローレン」
 そう言って、ローレンのおでこにキスをした。ローレンの髪から甘い匂いが香って、こんな朝から無性に泣きたくなってしまう。

「姉上。お土産話を待っているね」
「ええ。大した事ないと思うけれど、頑張って盛って話すわ」


 いよいよ時間が差し迫り、急ぎ足で廊下を歩く。そこでヒルデガルドは、前を行く母の背中に声をかけた。

「お母様」

 その瞬間には母の隣にいたから、母はいきなり隣に並んだヒルデガルドに驚いた。

 同じ速度で早歩きのまま、ヒルデガルドは耳打ちをするように、母の左耳近くで囁いた。

「手癖の悪い使用人とは、誠にむ無い訳があるのか否か。最近入った使用人をあらためてごらんなさい」

 とても十六歳の娘の言葉ではないのだが、昨日まで四十越の侯爵夫人であったのだから仕方ない。

 母は、ギョッとした顔をしたが、流石は伯爵家を差配する夫人である。直ぐにヒルデガルドの言わんとするところに思い当たったようだった。


 馬車の前には御者が既にスタンバイしていた。
 懐かしわね、ポール。ふふ、まだ若いわ。数十年ぶりに会うポールは、三十そこそこに見えた。

「待たせてしまったわね」
「いえ」

 声まで若々しい。
 若々ポールがステップを上がるのに手を貸してくれた。

 あら?膝が痛くない。

 小さな発見が続く。腰も膝も、なんなら肩も、軽く靭やかに動いてくれる。見えない重石を背負うような倦怠感はゼロである。

 走り出した馬車の窓から、外の景色を眺めれば、先ほど母に告げた使用人の姿が庭に見えた。
 あの娘は、庭師ではない。

「まあ、お母様にお任せしましょう。駄目なら私が潰しましょう」

 そう言った瞬間には、ヒルデガルドはもうそのことを考えてはいなかった。多忙を極めた侯爵夫人は、一つ物事の解決を決めたなら、もう次の物事を考えねば務まらない。

 春の庭は、母が端正込めて育てた花が咲いていた。ヒルデガルドは園芸が苦手で、侯爵邸はの庭園は庭師任せだった。だから夫の手を取って、庭の散策をおねだりするなんて可愛いことは出来なかった。

 母が趣向を凝らした、とりどりの花を眺めるうちに、馬車は門扉を通り過ぎる。大通りが近く感じるのは、伯爵邸が嫁いだ侯爵邸より街に近いからだ。
 侯爵邸は、ここより更に王城寄りに建っていた。

「所用を足すのに時短になるわね。役場も銀行も近いようだし」

 考えることは、どれもこれも侯爵夫人のそれである。

 小洒落たカフェも宝飾品もヒルデガルドの目はスルーする。
 宝飾品など宝物庫に歴代夫人のものが山とあった。古いものなど国宝級で、手入れが面倒で大変だった。

 ふと思い出して、頭の後ろに手をやれば、ルイーズが結んでくれたレースのリボンに触れた。真っ白なレースリボンなんて久しぶりで、いつもきっちり後れ毛なく纏めた昨日までの自分の髪を思い出す。

 そう言えば、ヘレンはいつもふわりと髪を垂らしていた。彼女は戸籍上は独身だったから、いつまでもご令嬢のように、髪を纏めることなく背中に垂らしていたのである。

「ヘレン。貴女、ここでは髪の纏め方を覚えなくてわね」

 夫がヘレンと出会って、最愛の彼女と添い遂げられると良い。ほんのり感じた淋しさには、気づかないふりをする。

 忘却と諦念は最大の武器。
 年をとって覚えたことだった。




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