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第二十四章
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「随分、舞踏会で悩んでたね」
ヒルデガルドの盛大な独り言から、アトレイはヒルデガルドが頭を悩ませていたテーマについてを、理解したようだった。
「ええ。でももう解決したから大丈夫よ」
「解決って、どうするの?」
「出ないわ。家でお留守番しているわ」
「舞踏会に参加しないってこと?」
「そう。父と母は参加するから、私はローレンとお留守番してるわ」
アトレイと馬車寄せまで一緒に歩きながら、問題が解決したことを報告する。
「面白そうじゃないか、出ないか?一緒に」
「ええ?」
ヒルデガルドの知るアトレイは、社交でも密かに人気があった。
それは今のアトレイではなく、成人してからの彼のことで、見目良い独身の伯爵家当主であったアトレイは、優良物件と目されていた。
すっきり涼しげな顔立ちに、上背のある姿。なにより彼は紳士中の紳士であった。
賢明実直な彼は、ローレン亡き後の伯爵家を堅実な手腕で盛り立ててくれた有能な人物であった。
両親の最期もまた、アトレイがヒルデガルドに代わって見送ってくれたようなものである。嫁いだヒルデガルドが、生家の両親に関わるのには限界があった。
だが、ヒルデガルドの記憶する限り、アトレイが社交場で楽しそうにしていた記憶は少ない。
妻帯していないためパートナーを伴わず、孤高の存在にも見えた。
親族から年頃の令嬢や婦人を伴うこともできたのだろうが、誠実な彼はきっと、そうすることで女性側に自分との噂が立つのを避けたのだろう。
なにより彼は、ヒルデガルドにも付き合ってくれた。
クリスフォードは、社交場にはヘレンを伴うことはしなかった。どんな小さな集まりでも、パートナーは必ずヒルデガルドであった。
それは彼の中のルールであったらしく、妾と本妻の立場や役割を混同することはなかった。
だが夫は友人も多く、社交場に出れば多くの友人に呼びとめられて、彼を中心とする会話の輪が直ぐにできる。
その輪にヒルデガルドは加わることをしなかった。彼らの話の中には、親密な話、例えばヘレンに纏わることもあるのだろうと勝手に思って遠慮していたのである。
そんなヒルデガルドを、クリスフォードがなんと思っていたのかは聞いたことがないのでわからない。
ただ夫から離れて、華やかな会場からも離れてテラス席で休んでいると、大抵アトレイと一緒になった。
社交に疲れた者同士、夜風を浴びながらシャンパン片手に、他愛もない話をしたのはそれほど前のことではない。
「アトレイ、貴方、舞踏会が好きだったの?」
「好きってほど出ていないじゃないか」
確かに。成人したばかりのアトレイと今年デヴュタントを迎えるヒルデガルドは、社交界のひよっこなのだ。社交と言えば昼間の茶会が精々だ。
「一緒に出ないか」
「ええ?だってそんなことしたら、貴方に変な噂がついてしまうわ」
パートナー選びは慎重さが求められる。未婚の男女であるなら婚約者候補と見做されるし、世間は誰が誰を伴っているか周到に見ている。
夏のバカンスの間、格好の話題にされるのだ。
身体は乙女、中身は中年のヒルデガルドは、その辺りのことは熟知している。
「君は従姉妹だよ。お互い婚約者がいなければ、親族がパートナーになるのが最も無難だと思うけどね」
「確かに」
ついさっき、出ない一択と決着したのに、アトレイが軽く言うものだから「ありかも」と一択が二択に転換する。
「でも、ローレンが一人になってしまうわ」
「ローレンは、君が自分の為に何かを犠牲にするのを望んじゃいないよ」
「確かに」
それに、とアトレイは続ける。
「この前、ローレンと約束したんだ」
「なにを?」
「君が婚約者を決めないうちは、社交場には私がパートナーを務めるって」
「ええ?聞いてないわ、そんなこと」
「言ってないからね」
ローレンはアトレイを信頼している。二人は従兄弟同士であるが、それを抜きにしても気が合う。
「衣装は君に合わせるよ」
「え!衣装も揃えるつもり?」
そこでアトレイは立ち止まった。そうして、ヒルデガルドを頭の先から爪先まで一瞥した。
「なによ」
そんなふうに見ないで、恥ずかしいではないか。
ヒルデガルドは、こんな照れくさい気持ちは久しぶりで、これがティーンエイジャーかと、さくらんぼを噛んだような酸っぱい気持ちになった。
背の高いアトレイに見下ろされて、小柄なヒルデガルドは益々小さくなったような気持ちになる。
「楽しみだな」
「え?」
「ん?夜の社交に出るのは初めてだから」
「⋯⋯そうね」
そうだった。夜会にまみれた暮らしは前世のもので、今は初々しい若人なのだ。
そう思った途端、嘗てのヒルデガルドが思い出された。
十代の社交の思い出は、どれもクリスフォード一色だった。生き方を改めたのだから、
「そうね、アトレイの言う通りだわ。楽しみましょうね」
アトレイの言葉通り、今世では初めての大人の社交場を楽しもうと思った。
「何色にする?」
「君に合わせるよ」
「ええ?暗くなるわよ、この髪と瞳よ?」
馬車が目の前に見えるまで、そんなことを話しながら歩く。
前世でも、こんな話をしただろうか。クリスフォードは格上の侯爵家であったから、ヒルデガルドは大抵のことは彼に任せることが多かったように思う。
結婚してからは、馴染みのドレスメーカーに任せることも増えていた。
「わくわくするわね、アトレイ」
馬車の前でアトレイを振り返り、ヒルデガルドがそう言えば、アトレイも「ああ」と言ってくれた。
夜会のテラスで夜風に当たり、二人でシャンパンを酌み交わしたことが、懐かしく思い出された。
ヒルデガルドの盛大な独り言から、アトレイはヒルデガルドが頭を悩ませていたテーマについてを、理解したようだった。
「ええ。でももう解決したから大丈夫よ」
「解決って、どうするの?」
「出ないわ。家でお留守番しているわ」
「舞踏会に参加しないってこと?」
「そう。父と母は参加するから、私はローレンとお留守番してるわ」
アトレイと馬車寄せまで一緒に歩きながら、問題が解決したことを報告する。
「面白そうじゃないか、出ないか?一緒に」
「ええ?」
ヒルデガルドの知るアトレイは、社交でも密かに人気があった。
それは今のアトレイではなく、成人してからの彼のことで、見目良い独身の伯爵家当主であったアトレイは、優良物件と目されていた。
すっきり涼しげな顔立ちに、上背のある姿。なにより彼は紳士中の紳士であった。
賢明実直な彼は、ローレン亡き後の伯爵家を堅実な手腕で盛り立ててくれた有能な人物であった。
両親の最期もまた、アトレイがヒルデガルドに代わって見送ってくれたようなものである。嫁いだヒルデガルドが、生家の両親に関わるのには限界があった。
だが、ヒルデガルドの記憶する限り、アトレイが社交場で楽しそうにしていた記憶は少ない。
妻帯していないためパートナーを伴わず、孤高の存在にも見えた。
親族から年頃の令嬢や婦人を伴うこともできたのだろうが、誠実な彼はきっと、そうすることで女性側に自分との噂が立つのを避けたのだろう。
なにより彼は、ヒルデガルドにも付き合ってくれた。
クリスフォードは、社交場にはヘレンを伴うことはしなかった。どんな小さな集まりでも、パートナーは必ずヒルデガルドであった。
それは彼の中のルールであったらしく、妾と本妻の立場や役割を混同することはなかった。
だが夫は友人も多く、社交場に出れば多くの友人に呼びとめられて、彼を中心とする会話の輪が直ぐにできる。
その輪にヒルデガルドは加わることをしなかった。彼らの話の中には、親密な話、例えばヘレンに纏わることもあるのだろうと勝手に思って遠慮していたのである。
そんなヒルデガルドを、クリスフォードがなんと思っていたのかは聞いたことがないのでわからない。
ただ夫から離れて、華やかな会場からも離れてテラス席で休んでいると、大抵アトレイと一緒になった。
社交に疲れた者同士、夜風を浴びながらシャンパン片手に、他愛もない話をしたのはそれほど前のことではない。
「アトレイ、貴方、舞踏会が好きだったの?」
「好きってほど出ていないじゃないか」
確かに。成人したばかりのアトレイと今年デヴュタントを迎えるヒルデガルドは、社交界のひよっこなのだ。社交と言えば昼間の茶会が精々だ。
「一緒に出ないか」
「ええ?だってそんなことしたら、貴方に変な噂がついてしまうわ」
パートナー選びは慎重さが求められる。未婚の男女であるなら婚約者候補と見做されるし、世間は誰が誰を伴っているか周到に見ている。
夏のバカンスの間、格好の話題にされるのだ。
身体は乙女、中身は中年のヒルデガルドは、その辺りのことは熟知している。
「君は従姉妹だよ。お互い婚約者がいなければ、親族がパートナーになるのが最も無難だと思うけどね」
「確かに」
ついさっき、出ない一択と決着したのに、アトレイが軽く言うものだから「ありかも」と一択が二択に転換する。
「でも、ローレンが一人になってしまうわ」
「ローレンは、君が自分の為に何かを犠牲にするのを望んじゃいないよ」
「確かに」
それに、とアトレイは続ける。
「この前、ローレンと約束したんだ」
「なにを?」
「君が婚約者を決めないうちは、社交場には私がパートナーを務めるって」
「ええ?聞いてないわ、そんなこと」
「言ってないからね」
ローレンはアトレイを信頼している。二人は従兄弟同士であるが、それを抜きにしても気が合う。
「衣装は君に合わせるよ」
「え!衣装も揃えるつもり?」
そこでアトレイは立ち止まった。そうして、ヒルデガルドを頭の先から爪先まで一瞥した。
「なによ」
そんなふうに見ないで、恥ずかしいではないか。
ヒルデガルドは、こんな照れくさい気持ちは久しぶりで、これがティーンエイジャーかと、さくらんぼを噛んだような酸っぱい気持ちになった。
背の高いアトレイに見下ろされて、小柄なヒルデガルドは益々小さくなったような気持ちになる。
「楽しみだな」
「え?」
「ん?夜の社交に出るのは初めてだから」
「⋯⋯そうね」
そうだった。夜会にまみれた暮らしは前世のもので、今は初々しい若人なのだ。
そう思った途端、嘗てのヒルデガルドが思い出された。
十代の社交の思い出は、どれもクリスフォード一色だった。生き方を改めたのだから、
「そうね、アトレイの言う通りだわ。楽しみましょうね」
アトレイの言葉通り、今世では初めての大人の社交場を楽しもうと思った。
「何色にする?」
「君に合わせるよ」
「ええ?暗くなるわよ、この髪と瞳よ?」
馬車が目の前に見えるまで、そんなことを話しながら歩く。
前世でも、こんな話をしただろうか。クリスフォードは格上の侯爵家であったから、ヒルデガルドは大抵のことは彼に任せることが多かったように思う。
結婚してからは、馴染みのドレスメーカーに任せることも増えていた。
「わくわくするわね、アトレイ」
馬車の前でアトレイを振り返り、ヒルデガルドがそう言えば、アトレイも「ああ」と言ってくれた。
夜会のテラスで夜風に当たり、二人でシャンパンを酌み交わしたことが、懐かしく思い出された。
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