ダフネは三度、夢を見る

桃井すもも

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第八章

 彼の一声は、ダフネの耳朶に優しく響いた。

「ダフネ。僕は、君の夫となる男だよ」

 そう言ったマクベスの声音は少し高く、だからか異性に慣れないダフネに圧迫感を与えなかった。
 それどころか、どこか親しみのような懐かしささえ感じさせて、緊張を抱いていたダフネも肩の力が抜けたのだった。

 ルイーズから聞かされていたように、彼は額から目元を覆うマスクをしていた。だが、覗き穴から見える青い瞳は紛うことのない王家の色で、それは王妹を祖母に持つ親友と同じだった。

 マクベスとユージェニーが血縁関係にあると知っていても、実際に会ってみると、改めて成る程と思わされた。

 艶のある銀色の髪は、耳のあたりでさらりと揺れた。襟足は短く整えられている。
 ダフネも母譲りの銀髪であるから、そんなところも親しみを覚えた。

 寄宿学校でも、銀色の髪はダフネとユージェニーくらいだった。王家の血を引く令嬢はほかにもいるが、彼女たちは皆、王都の貴族学園で学んでいた。
 同年代に王太子がいるのだから、西の辺境にある女子ばかりの寄宿学校に通う理由はなかっただろう。

 後ろに控える近衛騎士に比べて、マクベスは線が細く見えた。手足がすらりと長く、組んだ脚も膝から先が伸びやかに見えた。
 目元までマスクですっかり覆われている。それなのに、口元に弧を描いたマクベスは、優しく微笑んでいるようだった。

「王都に戻って十日になったかな?一人きりにさせてすまなかった。淋しくはなかった?」

 南棟に押し込められたダフネを心配してくれたのか、マクベスはそんなことを尋ねてきた。

「日中は何をしていたの?」

 マクベスは、ダフネに興味を抱くような言葉を選び、物腰は始終柔らかい。
 額の火傷を負った経緯を聞いていたから、悲壮なものをイメージしたが、そんな心配は杞憂に終わった。

 マクベスは、美しい王子だった。
 扉から入室した途端、室内に高貴な空気が漂った。カーテシーで礼をしたダフネの元に歩み寄ると、彼から馨しい香の薫りがふわりと届いた。

 スパイシーな香りはどこか、バーネット校長からもらった香木に似ていた。
 銀髪に青い瞳、覚えのある香り。ただそれだけのことなのに、ダフネはマクベスのことを、もう他人とは思えなくなった。

 なにより彼は、自分のことを「夫となる男」と言った。
 そんな言葉なんて想像すらしていなかった。
 彼の姿も声も物腰も、発する言葉もすべてがダフネの緊張を解いてしまった。

 私、緊張していたんだわ。

 改めてそんなことを思った。
 何しろ、誰も彼のことを詳しく教えてはくれなかった。だから彼は、ダフネの中ですっかり謎の人物になっていたのである。

 マクベスが公務先での土産だと、紅茶を贈ってくれた。早速、ルイーズに淹れてもらい、ひと口含んだときに、また懐かしい気持ちになった。

 香り立つ茶葉は味わい深く、それは以前ユージェニーからもらった紅茶と似ていた。マクベスの公務とは、もしや北の辺境伯領だったのだろうか。

 もしそうだとしたら、ユージェニーに会ったかもしれない。彼女が今頃どうしているのか、聞くことができるだろう。

 だがダフネは結局、マクベスがどこへ赴いていたかもユージェニーのことも、何も尋ねることはしなかった。

 彼に行き成り馴染むことに用心するのは、長い寄宿学校生活で身についた防衛本能からだった。

 ダフネはまるで、我が身が敵陣に囚われた人質のように思えてならない。
 生家に戻れないことは、確かに父の意思もあるだろう。けれど、無人だった後宮を敢えて開いて、そこにダフネを迎え入れた王家のやりようには違和感しかなかった。

 王太子の妃となる身でありながら、これではまるで捕虜の扱いだと思った。広大な王城に客間は果たして幾つあるのか。その中に、公爵令嬢を滞在させる部屋は一つもなかったのか。

 マクベスと会った途端、ここ十日の間、胸の中でくすぶっていた疑問のすべてがむくむくと湧いてきた。
 ダフネが不遇な扱いを受けていることを知りながら、今まで放っておいたマクベスへの不平のようなものだった。

 幼い頃に一度だけ茶会で会ったきりなのに、ほぼ初対面といえる彼に、そんな感情を抱くことは不思議だった。

 ダフネの心中に気づかないマクベスは、紅茶を味わい楽しんでいる。ソーサーを片手にカップを持つ姿が、もうすでに一幅の絵画のようだった。
 いささか立腹中のダフネは、その姿に心の中でタイトルをつけてみた。

『紅茶王子』かしら。

 王太子につける題名としては、なかなか失礼なことではあるが、すべてはダフネの脳内のことだから咎めようもない。

「庭はもう歩いてみた?」

 紅茶王子マクベスは、呑気に窓から外を眺めながらそう尋ねてきた。

「はい。先日少し散策してみました」

 マクベスは、ダフネが答えると「へえ」と言った。それからソーサーにカップを戻すとテーブルに置いた。

 青い瞳がこちらを見る。
 視線だけで表情がわかるようだった。眼差しの強さに縛られるような、そんな錯覚を抱いた。

 額を隠すマスクなんて、彼にとってはあってもなくても変わらないだろう。たとえ額の傷痕がどれほど酷いものだとしても、それで彼の価値は少しも損なうことはないと思えた。

 きっと彼なら傷痕すら美しく見える、そんなことを思ったときに、

 素顔を見てみたい。

 不敬ともいえる衝動が、胸の奥から湧いてきた。



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