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その晩、イーディスは帰宅したジェフリーに、今日フレデリックに抱いた違和感についてを打ち明けた。
「ロレイン王女殿下とのご成婚は両国の和平の象徴だと、そう伺っておりました。ですが、今日お話ししたフレデリック殿下のご様子は、なんと申しましょうか……」
「距離を感じると?」
「ええ」
嘗ての想い人についてを夫と話すのは、何処か居心地の悪い気持ちを抱かせた。だがイーディスには、フレデリックとロレインの間を繋ぐ役割がある。迷いがあるが為に、それでロレインの側付きとして不足が出てしまってはならないと、そう思った。
「殿下には殿下のお考えがあるのだろう。それでロレイン王女を蔑ろになさる御方ではない。もし迷いが出たら、ロレイン王女にとっての最適を選べば良い」
「それでよろしいのでしょうか」
「君が仕えるのはロレイン王女だ」
ジェフリーの言葉はイーディスの胸の内にある霧を晴らす様だった。
迷ったならロレイン王女にとって何が最善なのかを考える。イーディスは、そう心の中でもう一度唱えた。
フレデリックとの謁見から少しして、イーディスは城に上がった。ロレインを迎え入れる為の準備に加えて、侍女の務めについてを侍女頭に付いて学んだ。そうして、ロレイン王女が登城する日を待った。
フレデリックへ抱いた嘗ての初恋は、既に胸の奥深くに仕舞い込んでいた。ジェフリーの言葉の通り、ロレインの側仕えとして十全に尽くすのだと心を決めていた。
フレデリックの婚約者ロレインは、噂以上の美姫だった。
この世に妖精がいると言うのなら、こんな春霞から生まれたような朧げな儚さを纏うロレインこそ妖精ではないかと思った。
「貴女がイーディスね。お世話になるわね」
驚いた事に、ロレインはこちらの言葉を巧みに操り流暢に会話する事が出来た。イーディスの母でさえ母国の訛りが抜け切らないのに、どれ程励んだのか、ロレインの言葉は元よりこの国の生まれであるようにとても美しかった。
会話ばかりでなく、読むことも書くことも堪能で、父母と姉達に深く愛されていたというロレインがフレデリックに嫁ぐ為に学んできたのだと思った。彼女の思わぬ勤勉さにイーディスは驚かされた。
「貴女といると、なんだかほっとするわ。国が思い出されて懐かしさを感じるの。この国は明るい色が多いのね」
王侯貴族は金髪青眼が多いこの国で、栗毛色の髪に翠の瞳を持つイーディスに、ロレインは懐かしみを覚えると言った。だが、艷やかなブルネットの髪に濃い翡翠色の瞳のロレインの姿は、何もかもがイーディスを凌いで極上を極めたような高貴な姿だった。
「ロレイン様、お支度をさせて頂きます」
ロレインはこの後、国王陛下夫妻とフレデリックとの謁見を控えている。長旅を経て到着したばかりで、さぞや疲れているだろうと思ったロレインの瞳は、光を湛えて輝いて見えた。
ロレインが恋をしているのだと直ぐに解った。
フレデリックに会える事にロレインは胸を弾ませている。旅の疲れなどどこかへ消え失せて、隠し切れない高揚が頰に紅を差していた。
真正面から恋をするロレインは、イーディスには胸が痛むほど眩しく見えた。
ロレイン一行が王城に到着した際、先頭で出迎えたのはフレデリックだった。フレデリックの後ろにジェフリーが控え、そのまた後ろにイーディスが控えていた。
馬車から降りるロレインに手を差し伸べて、フレデリックが何ごとか囁いたのが後ろ姿で分かった。それに答えるロレインの瞳にはフレデリックへの隠し切れない恋慕が滲んでいた。
遠目であるにも関わらず、イーディスがそれに気付いたのは、嘗て自分も胸を焦がす恋を覚えたからで、その相手は、今目の前で婚約者を迎え入れている。
小説でもなかなか有り得ない場面に立ち会っていることに、イーディスは自分の事であるのに何処か傍観者の様な気持ちでいるのが不思議に思えた。
「イーディス」
後ろから声を掛けられて振り返れば、燃える赤髪の騎士が足早に歩み寄って来た。
「ジェフリー様」
「大丈夫か」
「ええ、ロレイン様は只今寝台でお休みになられておいでです。お疲れが溜まっていらっしゃったのでしょう。晩餐には遅れずにお出でになれますので、ご心配には及びません」
「いや、君は大丈夫なのか?」
「え?」
ジェフリーの問い掛けに、イーディスは直ぐに返答をする事が出来なかった。ジェフリーが、まるでフレデリックとロレインを間近に見たイーディスを案じているように思えた。
「大丈夫です」
笑みを乗せてそう言えば、ジェフリーは小さく息を吐いた。それから、「また後で」と言ってもと来た通路へ戻って行った。
イーディスは、王城で会うジェフリーの「公」の姿にまだ慣れずにいた。邸にいては夫であるのに、城ではフレデリックとロレインに仕える仕事仲間である。
回路の奥に小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、自分がそれを淋しく思っているのに気が付いた。
イーディスがジェフリーと婚姻を結んだのは、ロレインの側付きになるのに都合が良かったからだ。そうしてもう一つの目的は、フレデリックとロレインの婚姻にイーディスの存在が影を落とさぬ様に、ジェフリーがその身を囲い込んだのだと理解している。
なのに二年のうちにイーディスは、思った以上にジェフリーに信頼を抱いていたのだと気付くのだった。
「ロレイン王女殿下とのご成婚は両国の和平の象徴だと、そう伺っておりました。ですが、今日お話ししたフレデリック殿下のご様子は、なんと申しましょうか……」
「距離を感じると?」
「ええ」
嘗ての想い人についてを夫と話すのは、何処か居心地の悪い気持ちを抱かせた。だがイーディスには、フレデリックとロレインの間を繋ぐ役割がある。迷いがあるが為に、それでロレインの側付きとして不足が出てしまってはならないと、そう思った。
「殿下には殿下のお考えがあるのだろう。それでロレイン王女を蔑ろになさる御方ではない。もし迷いが出たら、ロレイン王女にとっての最適を選べば良い」
「それでよろしいのでしょうか」
「君が仕えるのはロレイン王女だ」
ジェフリーの言葉はイーディスの胸の内にある霧を晴らす様だった。
迷ったならロレイン王女にとって何が最善なのかを考える。イーディスは、そう心の中でもう一度唱えた。
フレデリックとの謁見から少しして、イーディスは城に上がった。ロレインを迎え入れる為の準備に加えて、侍女の務めについてを侍女頭に付いて学んだ。そうして、ロレイン王女が登城する日を待った。
フレデリックへ抱いた嘗ての初恋は、既に胸の奥深くに仕舞い込んでいた。ジェフリーの言葉の通り、ロレインの側仕えとして十全に尽くすのだと心を決めていた。
フレデリックの婚約者ロレインは、噂以上の美姫だった。
この世に妖精がいると言うのなら、こんな春霞から生まれたような朧げな儚さを纏うロレインこそ妖精ではないかと思った。
「貴女がイーディスね。お世話になるわね」
驚いた事に、ロレインはこちらの言葉を巧みに操り流暢に会話する事が出来た。イーディスの母でさえ母国の訛りが抜け切らないのに、どれ程励んだのか、ロレインの言葉は元よりこの国の生まれであるようにとても美しかった。
会話ばかりでなく、読むことも書くことも堪能で、父母と姉達に深く愛されていたというロレインがフレデリックに嫁ぐ為に学んできたのだと思った。彼女の思わぬ勤勉さにイーディスは驚かされた。
「貴女といると、なんだかほっとするわ。国が思い出されて懐かしさを感じるの。この国は明るい色が多いのね」
王侯貴族は金髪青眼が多いこの国で、栗毛色の髪に翠の瞳を持つイーディスに、ロレインは懐かしみを覚えると言った。だが、艷やかなブルネットの髪に濃い翡翠色の瞳のロレインの姿は、何もかもがイーディスを凌いで極上を極めたような高貴な姿だった。
「ロレイン様、お支度をさせて頂きます」
ロレインはこの後、国王陛下夫妻とフレデリックとの謁見を控えている。長旅を経て到着したばかりで、さぞや疲れているだろうと思ったロレインの瞳は、光を湛えて輝いて見えた。
ロレインが恋をしているのだと直ぐに解った。
フレデリックに会える事にロレインは胸を弾ませている。旅の疲れなどどこかへ消え失せて、隠し切れない高揚が頰に紅を差していた。
真正面から恋をするロレインは、イーディスには胸が痛むほど眩しく見えた。
ロレイン一行が王城に到着した際、先頭で出迎えたのはフレデリックだった。フレデリックの後ろにジェフリーが控え、そのまた後ろにイーディスが控えていた。
馬車から降りるロレインに手を差し伸べて、フレデリックが何ごとか囁いたのが後ろ姿で分かった。それに答えるロレインの瞳にはフレデリックへの隠し切れない恋慕が滲んでいた。
遠目であるにも関わらず、イーディスがそれに気付いたのは、嘗て自分も胸を焦がす恋を覚えたからで、その相手は、今目の前で婚約者を迎え入れている。
小説でもなかなか有り得ない場面に立ち会っていることに、イーディスは自分の事であるのに何処か傍観者の様な気持ちでいるのが不思議に思えた。
「イーディス」
後ろから声を掛けられて振り返れば、燃える赤髪の騎士が足早に歩み寄って来た。
「ジェフリー様」
「大丈夫か」
「ええ、ロレイン様は只今寝台でお休みになられておいでです。お疲れが溜まっていらっしゃったのでしょう。晩餐には遅れずにお出でになれますので、ご心配には及びません」
「いや、君は大丈夫なのか?」
「え?」
ジェフリーの問い掛けに、イーディスは直ぐに返答をする事が出来なかった。ジェフリーが、まるでフレデリックとロレインを間近に見たイーディスを案じているように思えた。
「大丈夫です」
笑みを乗せてそう言えば、ジェフリーは小さく息を吐いた。それから、「また後で」と言ってもと来た通路へ戻って行った。
イーディスは、王城で会うジェフリーの「公」の姿にまだ慣れずにいた。邸にいては夫であるのに、城ではフレデリックとロレインに仕える仕事仲間である。
回路の奥に小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、自分がそれを淋しく思っているのに気が付いた。
イーディスがジェフリーと婚姻を結んだのは、ロレインの側付きになるのに都合が良かったからだ。そうしてもう一つの目的は、フレデリックとロレインの婚姻にイーディスの存在が影を落とさぬ様に、ジェフリーがその身を囲い込んだのだと理解している。
なのに二年のうちにイーディスは、思った以上にジェフリーに信頼を抱いていたのだと気付くのだった。
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