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【31】
一度は目覚めたジェフリーであったが、快癒するまでは日にちが掛かった。数日間は熱が出て、それで夜中に魘されたりで、しかも背中に傷を負ったことから始終うつ伏せでいなければならなかった。
なまじ意識があるから昏睡している時より余程苦しく、大きな身体で高熱に震える姿は痛々しくて、とてもではないが見ていられない。
漸く熱が治まる頃にはすっかり頬が削げてしまって、身体を覆う靭やかな筋肉も痩せて薄くなった様に見えた。
それでも固形物を食べられる様になると、みるみるうちに回復して、それが尋常ではない速さであったから、騎士等が「流石、鬼は違う」と言って、いつの間にかジェフリーは王城で「赤鬼」と渾名されていた。
「全く失礼な話しだ」
抜糸するまでは王城にいて御典医の治療を受けているジェフリーは、自分は鬼ではないと思っているから、部下に鬼呼ばわりされるのを心外に思うらしかった。
あの日、血に濡れて剣を振るう姿は正しく赤鬼だった。イーディスは、確かにこの目で見ていたから、ジェフリーの言葉には頷く事はしなかった。
イーディスは、心に決めていた。
ジェフリーの傷が癒えたなら、侍女の職を辞する事をフレデリックに願い出ようと考えている。
今もジェフリーの療養に付き添って、侍女の勤めは暇をもらっている。
つい先日には、ロレインの乳母候補である貴族夫人が無事に出産をして、順調に行けば、来夏には彼女が乳母となってロレインの産むお子の側付きになる。
イーディスが抜けるには、今が良い頃合いだと思えた。
ロレインはあれからすっかり塞ぎ込んで、お子に障ると侍女らが心配していたのだと聞いた。ジェフリーに付きっきりであったイーディスは、事件から数日経って漸くロレインの居室を訪ったのだが、ロレインはイーディスの顔を見るなり泣き出して、暫く会話にならなかった。
ロレインは護られて然るべき身分であり、今は子を宿す大切な身体である。負傷したジェフリーにも、勿論イーディスにも謝罪など必要無い。
「貴女がいてくれなかったら、私はどうなっていたのかしら」
「私こそ、何も出来ませんでした。刺客を討ったのは夫です」
「いいえ、そうではないわ。貴女に護られて私がどれほど心強かったか。だから余計に辛いの。貴女方になんとお詫びしてよいのかと」
刺客の犯行がロレインの輿入れに原因する事に、ロレインは少なからず衝撃を受けていた。フレデリックへ抱いた恋慕から父王に願って結んだ婚姻が、あらゆる厄災を呼び寄せる元凶になったのだと自分で自分を責めている。
「ロレイン様、そうではございません。貴女様はこの国の希望の一つなのです。もう一つの希望を御身に育む国母なのです」
群衆の前でスピーチをするフレデリックと並び立つロレインの姿は眩しかった。
「イーディス……」
「しっかりなさいませ、ロレイン様。泣いてばかりいては「泣き虫の子が生まれるわね」
「そうです、仰る通りですわ」
そう言えば、ロレインは眉を下げたまま笑みを浮かべた。
結局、ジェフリーはその年を王城にいて治療を受けて過ごした。王城で催された聖夜の夜会のざわめきを遠くに聴きながら、ジェフリーとイーディスは病室で二人きりの聖夜を過ごした。そうして年明けになって、漸く邸へ戻ることが出来た。
ジェフリーの受けた傷は右肩から左腰まで達していた。傷が癒えれば皮膚は引き攣り、機能訓練を必要とした。とても剣を持つどころではなかった
少なくとも日常生活を送れるまでは城に来るなと、フレデリックに追い出されたのだとジェフリーは言った。
あまりに長く帰らなかったから、モンティに忘れられてしまったかもと心配したイーディスであったが、そんなことは全然無かった。
馬車が玄関ポーチに横付けされて、ジェフリーが先に降りるのを遠目で見ていたらしく、続いてイーディスの姿が見えると、モンティは「にゃーん!」と声を張り上げ走り寄って来た。
「モンティ」
そう言って屈んだジェフリーの脇をすり抜けて、真っ直ぐイーディスに向かってダイブした。
「モンティ!ただいま。会いたかったわ。いい子ね、私を忘れていなかったのね?」
「どうやら私の事は忘れたらしい」
大きな身体で実は猫好きのジェフリーは、とても寂しげに見えた。
王城では新年祝賀の夜会が催されて、それもジェフリーとイーディスは欠席した。
世間の噂も騒ぎも邸には聞こえてこない。新春を迎えた雪景色の庭を眺めて、二人は漸く夫婦らしい時を過ごしていた。
肩が回せる様になると、ジェフリーは少しずつ剣の稽古を始めている様だった。武門の名家に生まれて生粋の騎士として育ったジェフリー。
新しい隊服が部屋に掛けられているのも知っている。一日も早く城に戻りフレデリックの側に仕えようと励んでいた。
そんな静かな日々が続いていたのだが、ある日城から書簡が届く。
「殿下か」
執事から書簡を受け取りジェフリーが開封する。
それほど長い文面ではないと見えた。なのにジェフリーは、紙面を見つめたまま動かない。
「如何なさいましたの?ジェフリー様。殿下はなんと?」
イーディスの声に、はっと顔を上げたジェフリーは、怪訝そうな表情をした。
「見舞いにいらっしゃるそうだ。その後、君との面会をご希望だ」
「私と?」
ジェフリーの見舞いなら解る。イーディスへの面会とは、ロレインに関係する事だろうか。
フレデリックの要件は、いくら考えても解らなかった。
なまじ意識があるから昏睡している時より余程苦しく、大きな身体で高熱に震える姿は痛々しくて、とてもではないが見ていられない。
漸く熱が治まる頃にはすっかり頬が削げてしまって、身体を覆う靭やかな筋肉も痩せて薄くなった様に見えた。
それでも固形物を食べられる様になると、みるみるうちに回復して、それが尋常ではない速さであったから、騎士等が「流石、鬼は違う」と言って、いつの間にかジェフリーは王城で「赤鬼」と渾名されていた。
「全く失礼な話しだ」
抜糸するまでは王城にいて御典医の治療を受けているジェフリーは、自分は鬼ではないと思っているから、部下に鬼呼ばわりされるのを心外に思うらしかった。
あの日、血に濡れて剣を振るう姿は正しく赤鬼だった。イーディスは、確かにこの目で見ていたから、ジェフリーの言葉には頷く事はしなかった。
イーディスは、心に決めていた。
ジェフリーの傷が癒えたなら、侍女の職を辞する事をフレデリックに願い出ようと考えている。
今もジェフリーの療養に付き添って、侍女の勤めは暇をもらっている。
つい先日には、ロレインの乳母候補である貴族夫人が無事に出産をして、順調に行けば、来夏には彼女が乳母となってロレインの産むお子の側付きになる。
イーディスが抜けるには、今が良い頃合いだと思えた。
ロレインはあれからすっかり塞ぎ込んで、お子に障ると侍女らが心配していたのだと聞いた。ジェフリーに付きっきりであったイーディスは、事件から数日経って漸くロレインの居室を訪ったのだが、ロレインはイーディスの顔を見るなり泣き出して、暫く会話にならなかった。
ロレインは護られて然るべき身分であり、今は子を宿す大切な身体である。負傷したジェフリーにも、勿論イーディスにも謝罪など必要無い。
「貴女がいてくれなかったら、私はどうなっていたのかしら」
「私こそ、何も出来ませんでした。刺客を討ったのは夫です」
「いいえ、そうではないわ。貴女に護られて私がどれほど心強かったか。だから余計に辛いの。貴女方になんとお詫びしてよいのかと」
刺客の犯行がロレインの輿入れに原因する事に、ロレインは少なからず衝撃を受けていた。フレデリックへ抱いた恋慕から父王に願って結んだ婚姻が、あらゆる厄災を呼び寄せる元凶になったのだと自分で自分を責めている。
「ロレイン様、そうではございません。貴女様はこの国の希望の一つなのです。もう一つの希望を御身に育む国母なのです」
群衆の前でスピーチをするフレデリックと並び立つロレインの姿は眩しかった。
「イーディス……」
「しっかりなさいませ、ロレイン様。泣いてばかりいては「泣き虫の子が生まれるわね」
「そうです、仰る通りですわ」
そう言えば、ロレインは眉を下げたまま笑みを浮かべた。
結局、ジェフリーはその年を王城にいて治療を受けて過ごした。王城で催された聖夜の夜会のざわめきを遠くに聴きながら、ジェフリーとイーディスは病室で二人きりの聖夜を過ごした。そうして年明けになって、漸く邸へ戻ることが出来た。
ジェフリーの受けた傷は右肩から左腰まで達していた。傷が癒えれば皮膚は引き攣り、機能訓練を必要とした。とても剣を持つどころではなかった
少なくとも日常生活を送れるまでは城に来るなと、フレデリックに追い出されたのだとジェフリーは言った。
あまりに長く帰らなかったから、モンティに忘れられてしまったかもと心配したイーディスであったが、そんなことは全然無かった。
馬車が玄関ポーチに横付けされて、ジェフリーが先に降りるのを遠目で見ていたらしく、続いてイーディスの姿が見えると、モンティは「にゃーん!」と声を張り上げ走り寄って来た。
「モンティ」
そう言って屈んだジェフリーの脇をすり抜けて、真っ直ぐイーディスに向かってダイブした。
「モンティ!ただいま。会いたかったわ。いい子ね、私を忘れていなかったのね?」
「どうやら私の事は忘れたらしい」
大きな身体で実は猫好きのジェフリーは、とても寂しげに見えた。
王城では新年祝賀の夜会が催されて、それもジェフリーとイーディスは欠席した。
世間の噂も騒ぎも邸には聞こえてこない。新春を迎えた雪景色の庭を眺めて、二人は漸く夫婦らしい時を過ごしていた。
肩が回せる様になると、ジェフリーは少しずつ剣の稽古を始めている様だった。武門の名家に生まれて生粋の騎士として育ったジェフリー。
新しい隊服が部屋に掛けられているのも知っている。一日も早く城に戻りフレデリックの側に仕えようと励んでいた。
そんな静かな日々が続いていたのだが、ある日城から書簡が届く。
「殿下か」
執事から書簡を受け取りジェフリーが開封する。
それほど長い文面ではないと見えた。なのにジェフリーは、紙面を見つめたまま動かない。
「如何なさいましたの?ジェフリー様。殿下はなんと?」
イーディスの声に、はっと顔を上げたジェフリーは、怪訝そうな表情をした。
「見舞いにいらっしゃるそうだ。その後、君との面会をご希望だ」
「私と?」
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