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【6】
郵便局員に葉書を差し出すと、宛先に目が行った局員はルイーザの身分に気が付いたらしい。あっと小さな声を上げて立ち上がり、ぶんっと身体を折って礼をした。
いいの、いいの、と宥めてから、ルイーザは彼が恐る恐る葉書に消印を押すのを見届けた。
葉書を出すだけなのに可哀想な事をしたとは思ったが、自分で直接手紙を出すなんて事は初めてであったルイーザは、この葉書がどうなるのか興味を引かれて見入ってしまった。
再び、ぶんっと身体を折って礼をした局員に見送られ、郵便局を出る。
葉書を出すという最初の目的を無事クリアして、本日最大のミッションを遂行すべく文具店を目指した。
「おお。」
目当ての文具店は直ぐに見つかった。カランコロンと扉の呼び鈴が鳴るのも新鮮で、小さな感動が沸き起こる。
店内は紙とインク特有の匂いが立ち込め、目に入った直ぐ側の棚には便箋が整列していた。その奥にインクが並ぶのが見えて、遠目でも瓶の色味が違っているのが分かって気持ちが逸る。
「凄いわ。」
王都に負けないとセバスは言ったけれど、流石に店構えはこじんまりとしている。品数も一見すれば、それほど多くは見えなかった。
だがしかし、
「ちょっと、これは不味いわ。」
「如何なさいました、ルイーザ様。」
「ジェイムズ、店ごと買いたいと思う私は可怪しいのかしら。」
「そんなことはございません。欲望とは人間の生得の本能です。」
難しい話しになりそうなジェイムズから離れて、ルイーザはガラスケースを覗き込んだ。ケースの中には万年筆が陳列されていた。
あの万年筆、軸は何で出来ているのかしら。
芯は旦那様がお使いのメーカーとは違うみたい。
「ルイーザ様、インクをご覧になりますか?」
ヘレンに声を掛けられて、ガラスケースから離れた後は、夢中になって店内をぐるぐるぐるぐる巡り、便箋・封筒・葉書にインクと夫へ送るお手紙セットを揃えて回った。
義祖父が残した大量の書簡に感化されたルイーザは、夫へ手紙を送ろうと思った。何を書けば良いのか迷った時には義祖父に倣って「お元気ですか、私は元気です」で通そうと考えた。
文具店を出たところで、本日のミッションは全て終了してしまった。頭の中のやる事リストは真っ白だ。
「ルイーザ様、こちらで過ごす間のお衣装を購入なさっては如何でしょうか。」
そう言ったのはジェイムズである。
「デイドレスなら足りてるわ。」
「ですが、王都と違ってこちらは朝夕が少々冷えます。羽織るものを買い足しても宜しいかと。それから、街歩きや散策用に足捌きの良いものがあると便利でしょう。」
ルイーザは、普段は動きやすいデイドレスやワンピースで過ごしていたが、侯爵家の夫人として十分な衣装を持っている。ジェイムズはそれでも足りないと言う。街歩きやら散策とは、どれほど過酷な行軍なのだろうか。
頓珍漢な事を考えていると、ヘレンが「あちらはどうでしょう」と婦人服店を指差した。
生家にいる頃より、店先で服を買うという事は経験が無かった。大抵は外商が邸に来ることが殆どであったし、稀に百貨店で目に付いたものがあっても、後から外商が届けてくれた。何より、毎日帳簿を目にするルイーザは、そこに自分の出費が載るのはどうにも居心地が悪くて、必要なもの以外は購入する物は少なかった。
「夏は毎年やって来るのですよ。今お求めになったものは別荘に置いておかれれば、また来年着ることが出来ます。決して無駄にはなりません。」
ルイーザの脳内をさらっと読んでしまったらしいジェイムズに押し切られるようにして店に入った。
「お買い物って、燃えるわね。」
三人は今、目抜き通りの小洒落たカフェでナントカカントカ言う長い名前のケーキを食している。
舶来の何かを意味するお洒落なフレーズであるらしいが憶えられなかった。
名前の長いケーキと紅茶を楽しみながら、たった今経験した初めてのお買い物について、興奮気味にルイーザは言った。
「あの売り子、素晴らしい才があるわ。なんなのかしら、あの子に勧められると、この世にただ一つの逸品に思えて来ちゃうのよ。妖術でも使えるのかしら。」
「妖術は御法度の禁術ですから、それはないと思われます。確かに彼女は凄腕の売り子でしたね。セールストークが素晴らしかった。」
ジェイムズが感心するのだから本物だろう。
「お金、いっぱい使っちゃったわ。」
「何を仰るのですか。今年に入ってからドレスは一着も新調なさってはおられませんでしょう。」
「だってヘレン、去年一通り揃えたじゃない。」
「まだ足りないくらいです。」
「ルイーザ様がお使いになられた金銭は、この街に落ちるのです。決して無駄遣いではございません。」
ジェイムズの言葉は尤もだった。
貴族が落とす金銭は民を潤す。
「いつかこの街で豪遊してみようかしら。」
「今なさっては?」
「ヘレン、貴女そんなに大胆な人だった?」
お茶会なら月に幾つも出席している。夫人同士の社交は大切な情報交換の場だから、それを厭う事は無かったが、こんな風に気の置けないティータイムを楽しむのは久しぶりであった。
まだ生家にいた頃は母と、と、そこまで思い出して、この出奔が生家にも知られているのだろうかと気になった。
子爵家から侯爵家へ嫁いだ娘を、母はきっと心配しているだろう。
婚家にも生家にも、不甲斐ない自分が恥ずかしくなる。自分はこんなに情けない人間だったかと肩が落ちる。
また、頑張れるのだろうか。
また頑張らせてもらえるだろうか。
多分きっともう、夫の執務を任されることはない。
旦那様のお役に立てれば良いと、そう思っていたのに。
ほんの僅かな心の隙間に、忘れていた後ろ向きな感情がするりと入り込む。
夫はルイーザにそんな気持ちをさせたいとは思っていないだろう。あの方はお優しいから。
最後に残ったベリーのソースは、甘くてちょっぴり酸っぱくて、過ぎた日の記憶を呼び起こさせた。
夫と婚約中にも、こんなケーキを食べた事があった。あれも夏の初めの頃だった。
いいの、いいの、と宥めてから、ルイーザは彼が恐る恐る葉書に消印を押すのを見届けた。
葉書を出すだけなのに可哀想な事をしたとは思ったが、自分で直接手紙を出すなんて事は初めてであったルイーザは、この葉書がどうなるのか興味を引かれて見入ってしまった。
再び、ぶんっと身体を折って礼をした局員に見送られ、郵便局を出る。
葉書を出すという最初の目的を無事クリアして、本日最大のミッションを遂行すべく文具店を目指した。
「おお。」
目当ての文具店は直ぐに見つかった。カランコロンと扉の呼び鈴が鳴るのも新鮮で、小さな感動が沸き起こる。
店内は紙とインク特有の匂いが立ち込め、目に入った直ぐ側の棚には便箋が整列していた。その奥にインクが並ぶのが見えて、遠目でも瓶の色味が違っているのが分かって気持ちが逸る。
「凄いわ。」
王都に負けないとセバスは言ったけれど、流石に店構えはこじんまりとしている。品数も一見すれば、それほど多くは見えなかった。
だがしかし、
「ちょっと、これは不味いわ。」
「如何なさいました、ルイーザ様。」
「ジェイムズ、店ごと買いたいと思う私は可怪しいのかしら。」
「そんなことはございません。欲望とは人間の生得の本能です。」
難しい話しになりそうなジェイムズから離れて、ルイーザはガラスケースを覗き込んだ。ケースの中には万年筆が陳列されていた。
あの万年筆、軸は何で出来ているのかしら。
芯は旦那様がお使いのメーカーとは違うみたい。
「ルイーザ様、インクをご覧になりますか?」
ヘレンに声を掛けられて、ガラスケースから離れた後は、夢中になって店内をぐるぐるぐるぐる巡り、便箋・封筒・葉書にインクと夫へ送るお手紙セットを揃えて回った。
義祖父が残した大量の書簡に感化されたルイーザは、夫へ手紙を送ろうと思った。何を書けば良いのか迷った時には義祖父に倣って「お元気ですか、私は元気です」で通そうと考えた。
文具店を出たところで、本日のミッションは全て終了してしまった。頭の中のやる事リストは真っ白だ。
「ルイーザ様、こちらで過ごす間のお衣装を購入なさっては如何でしょうか。」
そう言ったのはジェイムズである。
「デイドレスなら足りてるわ。」
「ですが、王都と違ってこちらは朝夕が少々冷えます。羽織るものを買い足しても宜しいかと。それから、街歩きや散策用に足捌きの良いものがあると便利でしょう。」
ルイーザは、普段は動きやすいデイドレスやワンピースで過ごしていたが、侯爵家の夫人として十分な衣装を持っている。ジェイムズはそれでも足りないと言う。街歩きやら散策とは、どれほど過酷な行軍なのだろうか。
頓珍漢な事を考えていると、ヘレンが「あちらはどうでしょう」と婦人服店を指差した。
生家にいる頃より、店先で服を買うという事は経験が無かった。大抵は外商が邸に来ることが殆どであったし、稀に百貨店で目に付いたものがあっても、後から外商が届けてくれた。何より、毎日帳簿を目にするルイーザは、そこに自分の出費が載るのはどうにも居心地が悪くて、必要なもの以外は購入する物は少なかった。
「夏は毎年やって来るのですよ。今お求めになったものは別荘に置いておかれれば、また来年着ることが出来ます。決して無駄にはなりません。」
ルイーザの脳内をさらっと読んでしまったらしいジェイムズに押し切られるようにして店に入った。
「お買い物って、燃えるわね。」
三人は今、目抜き通りの小洒落たカフェでナントカカントカ言う長い名前のケーキを食している。
舶来の何かを意味するお洒落なフレーズであるらしいが憶えられなかった。
名前の長いケーキと紅茶を楽しみながら、たった今経験した初めてのお買い物について、興奮気味にルイーザは言った。
「あの売り子、素晴らしい才があるわ。なんなのかしら、あの子に勧められると、この世にただ一つの逸品に思えて来ちゃうのよ。妖術でも使えるのかしら。」
「妖術は御法度の禁術ですから、それはないと思われます。確かに彼女は凄腕の売り子でしたね。セールストークが素晴らしかった。」
ジェイムズが感心するのだから本物だろう。
「お金、いっぱい使っちゃったわ。」
「何を仰るのですか。今年に入ってからドレスは一着も新調なさってはおられませんでしょう。」
「だってヘレン、去年一通り揃えたじゃない。」
「まだ足りないくらいです。」
「ルイーザ様がお使いになられた金銭は、この街に落ちるのです。決して無駄遣いではございません。」
ジェイムズの言葉は尤もだった。
貴族が落とす金銭は民を潤す。
「いつかこの街で豪遊してみようかしら。」
「今なさっては?」
「ヘレン、貴女そんなに大胆な人だった?」
お茶会なら月に幾つも出席している。夫人同士の社交は大切な情報交換の場だから、それを厭う事は無かったが、こんな風に気の置けないティータイムを楽しむのは久しぶりであった。
まだ生家にいた頃は母と、と、そこまで思い出して、この出奔が生家にも知られているのだろうかと気になった。
子爵家から侯爵家へ嫁いだ娘を、母はきっと心配しているだろう。
婚家にも生家にも、不甲斐ない自分が恥ずかしくなる。自分はこんなに情けない人間だったかと肩が落ちる。
また、頑張れるのだろうか。
また頑張らせてもらえるだろうか。
多分きっともう、夫の執務を任されることはない。
旦那様のお役に立てれば良いと、そう思っていたのに。
ほんの僅かな心の隙間に、忘れていた後ろ向きな感情がするりと入り込む。
夫はルイーザにそんな気持ちをさせたいとは思っていないだろう。あの方はお優しいから。
最後に残ったベリーのソースは、甘くてちょっぴり酸っぱくて、過ぎた日の記憶を呼び起こさせた。
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