侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【7】

「ルイーザ嬢は、何がお好きかな?」

二人きりの茶会の席で、オーガストから尋ねられたのは、見合いの定番中の定番な質問だった。


元は父の部下だった、今は侯爵家当主であり父の上司でもあるオーガストとの見合いは、ルイーザにとっては晴天の霹靂であった。

実のところルイーザは、オーガストの事を知っている。
ルイーザは、仕事が立て込み王城へ泊り込む父へ着替えを届けに度々城へ出向いていた。
その際に、オーガストとすれ違う事が幾度かあった。

オーガストは、若き侯爵家当主として社交界では人気が高い。ルイーザがまだ学園生であった頃から有名だった。
婚約者のいない高位貴族の当主である。浮いた話しが無いのは彼が爵位を継いだばかりで、文官と当主業で多忙を極めていたからだ。

彼は新米文官の頃から父と同じ部署にいたのだが、父は家庭では仕事の話しをしないからオーガストについてを聞くことは無かった。

子爵家から見た高位貴族とは、住む世界が別である。別世界である。同じ貴族であっても、施される教育も交流する家も異なる。

そんな高位貴族のオーガストが父と、何故か兄まで関わっていた事から、ルイーザは彼とのえにしが出来たのである。



「好きなもの、ですか?」
「ええ、例えば食べ物とか。」

見合いの席での王道の質問である。

「苺、でしょうか。」
「成る程。他には?」
「私、好き嫌いは特にはございませんの。大抵のものは美味しく頂戴しております。ですから、これと言っては...。苺は好きですけれど。」


「オーガスト様は、何がお好きなのですか?」

要領を得ない質問を交わしながら、ルイーザは戸惑っていた。

見合いとは形ばかりで、オーガストとの婚約は決まっていた。一応、顔合わせをと言う配慮から、こうして向かい合っているのだが、ルイーザの頭の中に浮かぶのは困惑だった。

これまで縁談なんて一つも無かった。両親には探す素振りも見えなかった。兄にも婚約者はいないから、父も母も子供達に慌てて婚姻を望んでいる訳では無いのだろう。

けれども、ルイーザは学園を既に卒業している。
流石に一つくらい縁談話しが届いても良いのではないか?
平凡な容姿は変えようが無いが、算術ならそこそこ出来るし、貴族に拘らなければ商家だって望めるのではなかろうか。

悶々としながら自分の未来がそこはかとなく暗く感じられたところで、父がオーガストとの婚約話しを持って来た。

奇跡が舞い降りた瞬間だった。

高位貴族らしい、烟る金の髪に紺碧の瞳。
以前は長く伸ばし背で結わえていた髪の毛は、今は短くなっている。騎士様みたいで素敵だと、誰かが茶会で言っていた。

優しげな眼差しの目元には薄っすら隈が見えている。それすら影のある美に見えるから麗しい人は得だと思う。

そんな麗人が夫になるだなんて。
人は嬉し過ぎると困惑するのだと、初めて知った。


「焼き菓子が好きです。」

ルイーザの質問にオーガストが答えたのは早かった。余程焼き菓子が好きらしい。

「チョコレートも好みです。」

チョコレートも追加された。どうやらオーガストは甘党らしい。ルイーザからは大人の紳士にしか見えないオーガストが、なんだか身近に感じられた。

こうして、特段意味を成さない儀礼的な会話を交わしただけで、二人の婚約は整った。

こんな奇跡があるのだわ。

オーガストとの婚約が結ばれた時、ルイーザはそう思った。
一生分の得を使ってしまった。多分、得の残量はゼロだろう。これほどの棚ぼた的な幸運に恵まれて、そう思ったルイーザは覚悟を決めた。オーガストの為に、彼の為に生涯尽くしたいと心に誓ったのだった。



オーガストと婚約を結んだのは初夏の頃で、彼はルイーザと会う度に苺を携えて来た。
恋人に贈るなら花束が定番だろうに、彼はルイーザが好きだと言った苺を贈るのだった。

その頃から多忙を極めるオーガストが、ルイーザの為に時間を削って会いに来る。観劇にも連れて行ってくれたし馬車で遠出も楽しんだ。

忙しい時間を継ぎぎして、オーガストは格下の家から嫁ぐルイーザを、下に見る事なく大切にしてくれた。
立ち寄るカフェではベリーのケーキを一緒に食べて、苺の季節が終わる頃にはルイーザはオーガストに恋をしていた。
憧れは、胸を温める確かな恋心に変わっていた。



旦那様、ちゃんと眠っていらっしゃるかしら。

夜遅くまで執務室に籠もる事の多い夫は、それでも必ずルイーザの元に戻って来た。毎晩ルイーザを抱き寄せ眠っていた。

夜中にふわりと掛布が上がって寝台が軋む。
旦那様が帰って来た。その瞬間が好きだった。

夜はルイーザだけのものになる、夫との二人きりの時間。ただ背中から抱き締められる、その温もりが大好きで、夫の体温を感じながらルイーザは漸く安堵して眠るのだった。


別荘は王都よりも北にある。
だからだろう、夏なのに朝晩には冷えを感じる。

そういえば、夫と暮らすようになってからルイーザは冷えを感じることが少なくなった。寒さを覚えるのは、決まって夫が不在の日で、それ以外はいつも夫に温められていた。
体温の高いオーガストが、いつだってルイーザを温めた。


別荘の寝室で独り寝するルイーザを、温めてくれる体温は今は無い。
季節は夏であるのに、寒くて眠れないとルイーザは思った。




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