侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【8】

オーガストの朝は早い。
王城勤めの文官であり侯爵家の当主であるオーガストは、登城する前の早朝のうちに執務の大方を片付ける。
オーガストが決裁した後は執事達に任せて城へ向かう。
帰れば帰ったで執務を取るのだから、結局朝も夜も執務室に入るのに変わりないのであるが。

身体が軋むのは、昨晩、執務室のソファーでうたた寝をしたまま朝を迎えてしまったからだろう。節々が痛むし、多分、首を寝違えた。

朝食を摂るほどの空腹を覚えずに、珈琲だけ頼もうかと思っていたところで、執事が入室して来た。
オーガストの気持ちが読める彼は、やはり珈琲をトレイに乗せている。


「有難う。丁度、頼もうかと思っていた所だった。」

執事にそう言って、早速ひと口啜る。

「お葉書が届いております。」
「ん?」
「ルイーザ様からです。」

オーガストは執事から受け取った葉書を見る。
セピアの葉書はどこか哀愁を帯びて、深みのある碧色のインクも合わさって時代の古い書簡に見えた。そこに妻の文字が綴られていた。

『旦那様、お元気ですか。私は元気です。』

伸び伸びとした流麗な筆致は妻の手のものだ。
オーガストは差出人の名を、指先でそっとなぞった。



「これは随分お早いご登城ですな。」

王城の回廊で後ろから声を掛けられて、オーガストはそちらへと振り返った。姿勢を正して向き直り、挨拶をする。

「貴方も早い登城であるな。サフォーク子爵。」

サフォーク子爵はルイーザの父である。
義父であり嘗ての上司であるが、オーガストは今は格上貴族の上司として接している。それが、互いにけじめのある二人らしい接し方であった。

「朝一番の閣議へ提出する書類の最終確認をと思ってね。」
「はは、貴方らしい。部下にお任せなさればよいものを。」
「私が最終確認をして見落としたものなら、責任の在り処は私となる。貴方方は私の指示に従ったまで。部下に責を負わせない、そうご自分で示して私にお教え下さったのは貴方だ、サフォーク子爵。」

二人は並び歩いて執務室へと向かう。

「ところで、我が娘は如何過ごしておりましょう。いえ、この頃城には来ていないようですから。貴方が城に泊まる際には、必ず娘が届け物に来ていたでしょう。最近は、執事が来ているようでしたからね。」

「それは、」
「いや、詰まらない事をお聞きした。お気になさらないで下さい。ただ。」
「...ただ?」
「余り良くない顔をしていたものですから。」
「良くない...」
「娘は、ああ見えて、元来のんびり屋なのですよ。立ち回りが上手いから解りにくいのですがね。それが、あれらしくもなく余裕の無い顔をしていましたから、少々気になっておりました。貴方にもそれで負担をお掛けしているのではないかと。」

オーガストは、周囲に人がいないことを確かめて、掻い摘んで事の些細を話した。

「ああ、それはなんとも不味い事を仕出かした。誠に申し訳ない事を致しました。ご迷惑をお掛けした。」
「いや、貴方から詫びられる事ではありません。我が邸での事ですから。」

いつの間にか義父と義息子の口調になるも、構わずそのまま話す。

「次は叱ってやって下さい。しっかりと。」
「え?」
「娘もきっと、叱って欲しかったでしょう。」

サフォーク子爵はそこで立ち止まりオーガストを見上げた。執務室の扉は直ぐ先にある。あの扉から中へ入る前に、義父として話すつもりらしい。

「少しゆっくりすれば頭も冷えるでしょう。娘も、貴方も。」
「私が?」
「貴方も気負っておられたのでは?似たもの夫婦とは言いますが、仲が良いのも考えものだ。背負い込み症が二人揃っていては、使用人達もさぞ苦労をしている事でしょうな。」

はっはっはと快活に笑って、子爵は執務室の扉を開けてオーガストを先に通した。ここからは上司と部下の関係となる。その前に子爵は、娘を頼みますと、にこやかな笑みのまま言った。


オーガストはその晩も、侯爵邸の執務室で夜半まで書類と向き合っていた。
急ぎの用件は片付いた。後は執事に指示をすれば、彼が各方面へ回してくれる。無理をしていつまでも机に齧り付いている必要は無い。

袖机の引き出しから、今朝方受け取った葉書を出す。
何故、態々わざわざこんな古ぼけた葉書を選んだのか。真逆、別荘に備品が足りてない?いや、セバスに限ってそれは無いだろう。それに、彼処は祖父が文具店を贔屓にしていたから、この手の物は十分な用意がある筈だ。

葉書の紙面を踊る様な流れる筆致は妻らしい。
『娘は、ああ見えて、元来のんびり屋なのですよ』
義父の言葉を思い出す。確かにそうであった。あの初夏の日に、好き嫌いは無いと言いながら苺が好きだと言った妻である。

「しかも二回言ってたな。」

あの北の地には、どんな果実が実るのだろう。木苺はあるだろうが、王都にある様な苺は採れるのだろうか。

紺碧のインクを選んだ妻は、彼の地で心の余裕を得られたのだろうか。

邸にはこんな色のインクは無い。黒かブルーブラックばかりである。
葉書も便箋も封筒にも、全て侯爵家の紋付きで、書簡の遣り取りに風情など考えたことも無かった。
亡き父はどうであったか?と考えて、似たようなものであったと思い出す。

「明日、街へ行ってみるか。」

必要な物は執事に言えば事は済むが、久し振りに自分で歩いてみようかと考えた。学生時代を思い出す。
そういえば、妻の兄とも二人で街に出たものだ。
確かに彼もどこかのんびりした所があった。

二人は今では同じ王城勤めの文官だが、互いの部署の棟が離れている為に、暫く顔を合わせていない。

思い出を辿らせる懐かしい風は、妻の葉書に乗って過去からやって来たのかも知れない。




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