侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【21】

「如何かな?そのケーキ旨いだろう。チェリー酒の香りと仄かな苦味が癖になる。」
「マーモッ「ローレンスと。」

「ローレンス様、あ、貴方、どうして此処へ、」

スポンジを掬い上げたフォークを持ったまま、ルイーザはローレンスに尋ねた。

「ん?君が街へ下りて来ていると聞いてね。」
「誰から、」
「私はこれでも領主だよ。耳ならいくらでも持っているさ。それにしても、君。」

ローレンスは、そこでしげしげとルイーザを見る。

「この暑い日に探偵ごっこか?」
「まあ!解って下さる?」

正体が呆気なくバレてしまったのに、変装の主旨が通じた事にルイーザの意識は持って行かれた。

「ルイーザ様。」

ジェイムズに小声で窘められて、本末転倒であったこと気が付いた。

「んっんっ、何故、私だとお思いで?」

ネッカチーフにサングラス。怪しくはあるが、一見してルイーザには見えないだろう。

「私はこれでも領主だよ。目ならいくらでも持っているさ。君の素晴らしい女優っぷりも楽しく拝見させてもらった。」
「いつから?」
「初めから。君が馬車を降りた時から。」
「本当に初めからだわ。」

「さあ、ルイーザ。約束通りにお茶をご一緒しようじゃないか。紅茶のお代わりは如何かな?」

手練のローレンスにルイーザが敵う筈も無い。
丸テーブルを四人仲良く囲む形で、ルイーザはローレンスとティータイムを過ごす。

「君、いつまでこちらへ?」
「夏いっぱいはこちらに滞在するつもりです。」

王都での慌ただしい日常と自分が引き起こした失敗の記憶は、穏やかな別荘の暮らしで随分と癒された。秋の気配を感じる頃には、ルイーザは王都へ帰る。王都へ帰って夫の下へ戻る。

「もう良いんじゃないか。君にはここの暮らしの方が合っているんじゃないか?」

「ローレンス様。」

「君がここに来てから、誰が君を支えてくれた。王都の人間が誰か君を尋ねて来たか?」

「ローレンス様。」

「君を守り励ますのは、ここにいる側付きの他には別荘の使用人達だけだろう。王都で疲弊した君の、誰がその苦労を理解する?寧ろ、君を疲れさせ悲しませたのは王都の人間達ではないか?」

「ローレンス様、待って、」

「そこへ戻る必要があると?」

「お願い、待って頂戴、」

「君は出奔したのだろう。何から逃げた。誰から逃げ出して此処に来たんだ。」

「マーモット伯爵閣下、ルイーザ様は少々お疲れでございます。本日はこれにて失礼致します。」

ルイーザがローレンスの言葉に返事を返せずいると、カタリと音を立ててジェイムズが立ち上がりルイーザの退席を願った。

「まあ、良かろう。ルイーザ、よく考えてみて。夏はまだ終わらない。君の人生もこれから長く続く。自分の価値と生きる場所をゆっくり考えてみては如何か。」

ルイーザは、ヘレンに手を添えられて立ち上がる。

「君の価値を見誤るのなら、私が譲り受けても構わないのではないかな。」

「ろ、ローレンス様、」

「また会おう。そうだな、あの焼き菓子を頼もうかな。君が焼いた。」

夫とそっくり同じ顔をして、ローレンスはルイーザに甘言を囁く。癒えかけた傷が疼いて忘れかけた記憶が蘇る。
あの時、帳簿の過ちが発覚した時に、ルイーザに向けられた使用人の笑み。あの思いやりの笑みは、ルイーザにとってはお前は不要だと告げられたように見えていた。

彼処に帰る。本当に?本当に帰れるのだろうか。
帰っても良いのだろうか。

「ルイーザ様、大丈夫ですか?」

ローレンスを見つめたまま、ルイーザは放心していた様だった。ヘレンの声に呼び戻される。

「行きましょう、ルイーザ様。」
「え、ええ、ローレンス様、失礼致します。」

ヘレンがそっと背を押してくれる。その手に力をもらってルイーザは歩き出した。
いつの間に会計を済ませたのか、直ぐにジェイムズも加わって、カフェを出れば馬車が既に待っていた。

何故、ローレンスに解ったのだろう。
彼は行き成り別荘を訪れてお茶を所望する、それだけの関係だった。それだけで、ルイーザが別荘を訪れるのに理由があったことを察していた。
先程の彼の口振りは、ルイーザが忘れ掛けていた心の疵まで見抜いていた。

ルイーザが疲弊して、ルイーザが傷付いて、ルイーザが逃げ出した事を理解して、進む道が違っていたのだと、もっとルイーザらしくいられる場所があるのだと、そう彼は言っている。

数回会っただけなのに、何故それほどルイーザを理解出来るのだろう。夫とは婚約期間を含めれば三年もの時間を共に過ごして来たのに。心も身体も夫に預けて、彼の事だけを一心に考えあの王都の侯爵邸で生きて来た。

それなのに、旦那様を失望させてしまった。

「ルイーザ様、なりません。お心を引き摺られる必要など無いのです。」

向かい側に座るジェイムズの表情は厳しい。

「惑わされてはなりません。貴女は間違ってはおられない。旦那様は貴女を必要とされている。」

いつになく真剣な眼差しでジェイムズが言う。

「ジェイムズ、私、」

言葉に出してしまったら、忘れた傷を思い出す。

「私、本当に王都へ帰って良いのかしら。」

何もすることの無い別荘の暮らしに、すっかり現実から目を逸らしていた。

「私、旦那様の下へ帰って良いのかしら。」

離れたからこそ近くなる。夫との関係が正にそうであった。物理的に離れたからこそ、言葉を文に乗せて想いを告げられた。

「旦那様に、私は必要?」
「ルイーザ様っ」

馬車の中に、ジェイムズの声が低く響いた。






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