侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【25】

「旦那様は、何をなさろうとお考えで此処へいらっしゃるのかしら。」

ジェイムズはルイーザの悲観的な発想を妄想と言ったが、実のところルイーザは、自分の考えが的を射ているのではないかと思っていた。

あの多忙を極める夫が、王都を離れる理由とは。

ジェイムズの言葉は全て、ルイーザへの優しさ故のものだろう。賢いジェイムズは、ルイーザがショックを受けないように、段階を踏んで事の些細を伝えようとしているのではないだろうか。

夫はジェイムズに向けて早馬で文を出していた。そこにルイーザへの文は同封されてはいなかった。

夏の休暇で別荘に来るというなら、何故ルイーザに直接知らせてくれないのか。早馬まで頼んでジェイムズに知らせる内容とは。


夫がルイーザの趣向に合わせたレターボックスと絵葉書を贈ってくれてから、二人は文通めいた文の遣り取りを交わして、いつしかルイーザは、王都での失敗を脇に置いて、夫との文での交流を楽しんでいた。
だから大切な事にも気付かない振りをした。

ルイーザは、「帳簿を書き誤った」直後に王都を出て来てしまったから、それ以降の事の顛末については何も聞かされていない。
あの騒動が今尚解決していないとしたら。その為に、侯爵家に損害が出ているのだとしたら。

夫がジェイムズに宛てた文とは指示である。ジェイムズが、こちらに来てから度々夫に報告を上げていたのは知っている。別荘にルイーザを誘ったのも、夫の指示だったと思っている。それでもルイーザはジェイムズに救われたし感謝していた。

だが、ルイーザの知らないところで最も信頼する二人が密かに動く気配に、ルイーザは失望と疑念を抱いた。夫は、ルイーザとの決別を決めたのではないだろうか。


どこまでも擦れ違う不器用な二人。思い込みからオーガストと擦れ違うルイーザは、全く見当違いな疑いを深めて行く。


「旦那様は、きっと本心ではお許しになってはいないのだわ。私に呆れ返って私の無能をお怒りなんだわ。それでは離縁されても仕方ない。私はそれほどの事を仕出かしたのだもの。」

ルイーザはがっくりと項垂れた。

今やルイーザの憩いの隠れ部屋と化している夫の祖父の執務室、その執務机の椅子に座って、はあと大きく息を吐いた。

ジェイムズからは外出するなと言われたが、多分あれも夫の指示だろう。
ルイーザは、このまま王都に帰ることなく、この邸宅で離縁を言い渡される。それまで一歩も外には出せないのだろう。

ルイーザの思い込みはどんどん深まる。


窓から外の景色を眺めれば、ヘレンはクレソン摘みだろう、川へ行くらしい。ジェイムズは生い茂る芝刈りに勤しんでいる。

使用人達と家族同様に暮らしていたから失念していた。彼等は夫の部下なのだ。いざとなったらルイーザは一人ぼっちになるのだ。

「やだわ、泣けてきた。」

仕方無しに引き出しに手を掛けた。
最近、変装したり街へ出掛けたりでばたばたしていて、すっかり祖父母の手紙調査を怠っていた。
別に調査依頼を受けた訳でもないのだが、祖父と祖母の文による心の交流を見守るのは、今やルイーザだけに任された任務の様に思われた。

前回読んだ箇所には付箋を付けていたから、調査済みの境目なら直ぐ解った。その次から手前に向かって読み進む。

このエリアの手紙は、祖父と祖母が新婚の頃なのだと思われた。新婚なのに離れて暮らすのは何故だろうと考えるも、二人の情報を持ち得ないルイーザでは答えは見つからない。
文のやり取りをするのだから、確かに二人は離ればなれに暮らしていただろう事だけが推察された。

「まあ、お子が出来たのね。」

祖父からの文に、祖母の身体を案ずる表記が増えている。その内の一枚に、「お腹の子」の言う単語が目に入った。

「きっと、旦那様のお父様を身籠られたのだわ。」

そうかそうかと胸に熱いものが込み上げる。
身重の妻は出産の為に、王都を離れてこの別荘で暮らしていたのだろう。ここは祖母の生家の領地である。生家の家族が世話をしていたのかも知れない。
ルイーザは、貴女に生まれる子が男児で、その子もまた男児なのだと教えてあげたくなった。ルイーザにはまだ子が授かっていないが、同じ侯爵家に嫁いだ夫の祖母と、時を隔てた友情のような気安さが生まれていた。

温かな感情を抱きながら、次、また次と文を読む。妻の身体を案ずる夫と、それに大丈夫だと答える妻。二人の文の交流は、まるで目の前で向かい合い言葉を交わす若い夫妻を見るような、そんな姿を想像させた。


暫くそうして読み進めていたのだが、未読の文の残量はまだまだ残っていた。
もうルイーザには時間が無い。ここに到着した夫がどのタイミングでルイーザに離縁を告げるのか解らない。到着直後であったなら、この手紙を読む時間はもらえないだろう。

残された僅かな時間で、出来れば最後の一通まで読了したいと思った。



夫がいつ王都を出たのかは、ジェイムズからは聞いてはいなかった。今更尋ねるのも要らぬ詮索をする様で躊躇われた。
いつ夫があちらを出立したのだとしても、もう数日後には此処に着いてしまうのだから、タイムリミットは間も無くだ。

急かされる様な気持ちで残りの文を読む内に、ルイーザはいつの間にか夢中になっていた。

「まあ!到頭とうとうお子がお生まれになったのね!」

祖母から男児が生まれた事を知らせる文を見つけた時には、ルイーザは思わず立ち上がってしまった。

「やっぱり男の子だった。それではこの男の子がお義父様なのだわ。」

先代侯爵は侯爵家の一人きりの男児であった。祖母が誕生を知らせた男の子とは、義父で間違い無いだろう。
文で知る義父の生誕が夫へと繋がる。この生まれたばかりの男児を経て後々夫はこの世に生を受けるのだ。

感無量である。
ここに夫のルーツがある。

「旦那様。貴方のお父様は、ここでお生まれになったのね。」

滲む涙を人差し指で拭い、文に再び目を落とす。

「お名前を、名付けを願ったのね。」

文には生まれた我が子に名を与えて欲しいと記されていた。義父の名は義祖父が付けたのだと解った。

「旦那様のお名前は、何方どなたが付けたのかしら。」

朝方は、夫から離縁を告げられると、戦々恐々、疑心暗鬼、呉牛喘月、この世のあらゆる疑心を抱いていたくせに、夫の事となると途端に胸が温かくなる。

北へ向かう街道をひた走っているだろう夫に思いを馳せた。

旦那様。私は貴方に喩え何を言われたとしても、貴方をお恨みすることなんて一つも無いわ。
どんな貴方でも、私は貴方を愛しているのですもの。

覚悟は既に出来ている。
ルイーザは、刻一刻と近付く夫の姿を思い浮かべて、会いたいのに会うのが怖い、そんな心の内で揺れながら、それでも愛してるのだと独り呟いた。




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