侯爵夫人の手紙

桃井すもも

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【33】

「まあ。そうなの?マーサ。」

「ええ、私の時はそうでした。ですがルイーザ様と私では育ちが違いますから、同じ様には言えません。」

「でも私達、同じ人間よ、同じ女性だわ。」

ルイーザは只今、マーサから「妊婦の心得・出産の極意」についてを伝授されていた。未婚のヘレンも隣で熱心に聞いている。

「お医者様からお許しが出たら、適度に身体を動かす事が大切なのね。」
「ええ、出産は体力勝負ですから。私は身体が頑丈でしたから、家事を熟す元気がありましたので、産気付く直前まで動きっぱなしでしたけれど。」
「まあ、マーサ凄いわ。貴女、若い時から頑張り屋さんだったのね。」
「そんな事はございません。平民は皆そんなものです。」

マーサには年頃の娘が三人いる。三人年子という、マーサは連続出産の覇者である。

「ルイーザ様は大事な御身体ですから無理は禁物です。軽いお散歩を毎日続けてなさるのが宜しいでしょう。それと、」
「「それと?」」

何故かヘレンも食い付いた。

「妊婦は時にくよくよと気が塞ぐ事がございます。」
「解るわ。昨日、既にそうだったもの。」
「そうでしょう、そうでしょう。」

マーサは豆の皮を剥きながら、うんうんと頷いた。

「ルイーザ様のお身体には、今二つの魂がおられるのです。一つはルイーザ様、一つはお子様です。そんな事、生涯で幾度も体験出来ることではありません。気持ちが揺らいで当たり前なんです。」

なんて神秘的なことなのだろう。
マーサの言葉にルイーザは胸を打たれた。一つの身体に二つの魂。心が揺らいで当たり前なのだ。母は強しと言うのは、二つの魂を背負うからだ。

「私、胸を打たれたわ。ちょっと泣いても良いかしら。」

ルイーザがそう言えば、マーサが深く頷く。マーサの言葉は奥深い。

「マーサ、貴女って素晴らしいわ。」
「そんな事はございませんよ。ルイーザ様はこれからお子様をお産みになって、もっともっとお優しくお強く、それからお美しくなられます。」
「まあ、マーサ。私は平々凡々な人間だわ。」
「ルイーザ様は平々凡々などではございません。」
「ヘレン。貴女、私の側に居すぎて身贔屓になっただけなのよ。ごめんなさいね、平々凡々が過ぎるあまりに貴女の美意識を狂わせてしまったわ。」


「ジェイムズ、いつもあんな感じなのか?」
「まあ、大体はあんな感じです。」
「...」

厨房で使用人の隣りに椅子を置いて、どっかり座り込んで止みそうに無い話しを続けるルイーザの言葉に、オーガストは物陰から耳を傾け聞き入っていた。

妻とはあんなタイプであっただろうか。いや、確かにあんなであった。彼女には、どこかすっとぼけた可笑しみがある。そんな彼女をオーガストは愛したのだ。

「ああそれと、これは迷信でしょうが、お腹の子が男の子だと妊婦の顔が幾分キツくなるんだそうです。」
「え!それは本当?」
「ええ、私の土地ではそんな風に言われておりました。」
「マーサはどうだったの?」
「特に変わりはありませんでした。だからでしょうかね、子供はみんな女の子でした。変わったと言えば、どんどん顔も身体も丸くなったくらいです。」
「ヘレン、どう?私、キツく見えるかしら。」
「さあ、ちょっと分かりかねます。」



「あんなに引っ付かれて、マーサとやらは邪魔ではないのか?」
「マーサにはルイーザ様と同じくらいの娘が三人おりますから、慣れてるのではないでしょうか。」
「ジェイムズ、あれ、どう思う?」
「あれとは、ルイーザ様のお顔の変化の事でしょうか。」
「うむ。民間伝承とは侮れないからな。」

ジェイムズは、大真面目に聞いてくる主と、どこかとぼけたその妻に、似た者夫婦っているんだなと思った。



「それと、お腹の子が男の子だと、お腹が三角に迫り出すんだそうです。」
「「ええ!」」

柱の陰から窺い見る夫達を他所に、マーサの妊婦講座はまだまだ終わりそうになかった。



「それでですね、旦那様。黒い食べ物が妊婦の身体には良いのだそうです。マーサがそう言っておりましたの。」

マーサって凄いわ、と感心しきりなルイーザ。
気が長く聞き上手なオーガストは、そんな妻の取り留めのない話しを聞くのも苦にならない。
ルイーザは、王都の邸にいた時もこんなであったか。朗らかな気質ではあったが、もう少し貴族然としていた様にも思う。
いや、それは自分もそうだったのかも知れない。何故なら、ジェイムズもヘレンも、ここでは何処か砕けた様子で、この別荘で主も使用人も身を寄せ合って暮らす内に、自然と距離が縮まるらしかった。

ここは元々は、祖母が静養していた邸宅であった。
マーサの隣で肩が触れるほど近くにいて、まるで母娘のように近しく語らうルイーザ。そんな貴族夫人など、王都ではそうそういないだろう。
だが、厳しい冬を乗り越える心身の強さと懐の広さを持つこの土地の人々に触れる内に、妻にも確かな強さと温かさが増しているようにオーガストには思えた。

ローレンスが独り身を理由も王都に出てこない事にも、ほんの少しばかり合点が行った。

「君はここが好きなのだな。」

オーガストがそう言えば、ルイーザは目を丸くしてこちらを見た。そうして、

「ええ、好きですわ。街の人間も気持ちの良い者達ばかりですの。それから、名前の長いケーキがございまして、それが癖になる美味しさなのですわ。お酒を使っているので妊婦は食せないのが残念です。今度旦那様に召し上がって頂きたいわ。」

ルイーザは、長くなりそうな街の話しを楽しげに聞かせてくれた。

彼女が望むなら、毎夏をここで過ごそうかとオーガストは思う。
一年王都で忙しく暮らして、夏の間だけは妻と生まれる子を連れてここへ来ようか。

「楽しいだろうな。」

妻の言葉に耳を傾け、庭で風に揺れるブランコを目に映しながら、オーガストは小さく呟いた。



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