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父と同じ髪色と瞳を持つエリザベートは、顔立ちは母とそっくりであった。
母の生家であるアスター伯爵家の祖父母は、娘に面立ちの似た忘れ形見のエリザベートの、その身上を憂いていた。
折に触れて贈り物を届けてくれたし、離れの邸に独り住まう孫の事を案じてくれた。
父には新たな妻に孫と同い年の娘までいて、エリザベートは長子であるにも関わらず嫡女とは認められずに、態々他家から養子を取った父の行為は、祖父母の胸を騒がせるには十分だったことだろう。
エリザベートが離れの邸で一人暮らすのは、それが母の遺言だからと言って余りの遣り様であると祖父母が感じたのも仕方が無い事で、当時の社交界でも概ねそんな風に見られていたと思われる。
ローズの母、義母は元々子爵家の出で、ローズを身籠った頃には長兄が家を継いで代替わりしていたから、彼女の身分は平民と同等になっていた。
庶子であったローズも、当然ながら生まれた当時の身分は平民だった。父が再婚して二人を本邸に迎え入れるまで、ローズがどんな暮らしぶりであったのかはエリザベートは知らない。
それでも義母に伴われて茶会に度々姿を現すローズこそが、ストレンジ伯爵家の令嬢だと見做される現状を祖父母は苦々しく思ったらしく、度々エリザベートを養女に迎え入れたいと申し出ていたのを知っている。
既に侯爵家との縁組が成されているのを理由に、父はその申し出を断っていた。それは祖父母が頻繁に送ってくれる文で知っていた。
社交界では特段珍しい話しではないが、生さぬ仲の先妻の遺児が虐げられるのは格好の話題となって、エリザベートは悲運の令嬢と噂されていたらしい。
そんな事を不憫に思ってか、婚約先のシェルバーン侯爵家はエリザベートを気に掛けて、年頃になると次期侯爵家当主の婚約者であるからと、侯爵夫人がエリザベートを伴って茶会に連れ出してくれる様になった。
爵位が上の侯爵家に守られるようにエリザベートが社交界に現れたのを、周囲がどう見たのかは解からない。
ただ、偶々同じ茶会で鉢合わせたローズの視線には、羨望の色が見えていた。
将来侯爵家当主の妻となる事が定められていたエリザベートには、早い時期から高度な教育が施されていた。
それは伯爵家でも侯爵家でも同様で、エリザベートは着実に次期侯爵夫人として学びを受けていた。
「本当に、淑女学院で良いのだな?」
晩餐の席で父に尋ねられて、それを聞くなら最初からエリザベートを貴族学園に通わせると決めてくれたら良かったのにと思った。
ローズが貴族学園を望むなら、エリザベートには淑女学院を選ぶより他は無く、二人を別々に学ばせる事を願った母の遺言を守るならエリザベートの選択は一つしかない。
デマーリオと一緒の学園に通いたいと言ったとしても、父はローズが望んでいるのだと言うだろう。
父の中にはエリザベートが反発するという発想は無い。エリザベートは皆から守られ、どこにも不足など無いのだと信じている。
「デマーリオ殿にはお前から話すかい?」
「いいえ、お父様にお願いしても宜しいでしょうか」
「まあ、それは構わないが、お前の口から伝えた方が良いのではないか?」
父にしても、ローズとデマーリオが惹かれ合っているのは解っていることだろう。
後妻と不義の子ばかりを愛して、先妻の遺児を蔑ろにしていると噂される父にとっては、この上婚約者まで異母妹に奪わせるのかと周囲に印象付けてしまうのは避けたい事であるに違いない。
であれば、父はもっと前に手を打つべきで、ローズに婚約者を据えるなりしていれば良かったのではないか。若しくは、最初から潔く母の遺言を反故にして、エリザベートを祖父母へ引き渡してくれたなら、ローズもデマーリオもエリザベートも、今の様な有り様になることは無かったろう。
エリザベートは、これが最後の機会だと思った。それで父に進言を試みた。
「私はお祖父様の籍へ入っても構いませんわ」
「そんな事は承知出来ない。お前は我が家の娘だ。我が家から嫁ぐのだ」
「ですがそれでは、」
「そんなにこの家が嫌なのかい?私達が嫌いなのかい?」
そんな事を父の口から言われたのは初めてで、エリザベートはそれ以上を言えなくなった。祖父母は既に高齢で、母の生家は伯父の代に替わっていた。今は王都郊外の別邸に住まう祖父母の平和な余生に、エリザベートはいらぬ波風を立てたくは無かった。
その頃には、エリザベートは自分が侯爵家へ嫁ぐことは無いのだと、心の奥底で予感していた。もしもその予感が現実となり、それを祖父母が目の当たりにしたなら二人はどれ程悲しむだろう。
淑女学院への入学を決まったその時点で、デマーリオと婚約してから八年が経っていた。同じく八年の間、互いに遠くから見つめ合い惹かれ合うローズとデマーリオが、まるで想念で結ばれているようにエリザベートには見えていた。
エリザベートの心には、冷たい塵が積もるように、静かな諦めが堆積していた。
父がローズに縁談を持ち込まないのも、デマーリオが望むならエリザベートとローズを挿げ替える気持ちがあるからで、週にきっちり三度、離れの邸で晩餐を共にする父に、エリザベートはもう全幅の信頼を置けずにいた。
足りない物など一つも無い。
十分な生活を与えられて、学びなら最高水準の教育者を充てがわれている。
何処に出しても恥ずかしくない。お前は最高の淑女だよ。王子の妃に求められても可怪しくない。その前にお前を得られたデマーリオ殿は果報者だ。
父はそんな事を言ったが、言葉ばかりの父の気遣いにエリザベートが淑女の笑みで応えたのを、父は気が付いていただろうか。
それが実父に向ける笑みではないのを、何と思っていたのだろう。
母の生家であるアスター伯爵家の祖父母は、娘に面立ちの似た忘れ形見のエリザベートの、その身上を憂いていた。
折に触れて贈り物を届けてくれたし、離れの邸に独り住まう孫の事を案じてくれた。
父には新たな妻に孫と同い年の娘までいて、エリザベートは長子であるにも関わらず嫡女とは認められずに、態々他家から養子を取った父の行為は、祖父母の胸を騒がせるには十分だったことだろう。
エリザベートが離れの邸で一人暮らすのは、それが母の遺言だからと言って余りの遣り様であると祖父母が感じたのも仕方が無い事で、当時の社交界でも概ねそんな風に見られていたと思われる。
ローズの母、義母は元々子爵家の出で、ローズを身籠った頃には長兄が家を継いで代替わりしていたから、彼女の身分は平民と同等になっていた。
庶子であったローズも、当然ながら生まれた当時の身分は平民だった。父が再婚して二人を本邸に迎え入れるまで、ローズがどんな暮らしぶりであったのかはエリザベートは知らない。
それでも義母に伴われて茶会に度々姿を現すローズこそが、ストレンジ伯爵家の令嬢だと見做される現状を祖父母は苦々しく思ったらしく、度々エリザベートを養女に迎え入れたいと申し出ていたのを知っている。
既に侯爵家との縁組が成されているのを理由に、父はその申し出を断っていた。それは祖父母が頻繁に送ってくれる文で知っていた。
社交界では特段珍しい話しではないが、生さぬ仲の先妻の遺児が虐げられるのは格好の話題となって、エリザベートは悲運の令嬢と噂されていたらしい。
そんな事を不憫に思ってか、婚約先のシェルバーン侯爵家はエリザベートを気に掛けて、年頃になると次期侯爵家当主の婚約者であるからと、侯爵夫人がエリザベートを伴って茶会に連れ出してくれる様になった。
爵位が上の侯爵家に守られるようにエリザベートが社交界に現れたのを、周囲がどう見たのかは解からない。
ただ、偶々同じ茶会で鉢合わせたローズの視線には、羨望の色が見えていた。
将来侯爵家当主の妻となる事が定められていたエリザベートには、早い時期から高度な教育が施されていた。
それは伯爵家でも侯爵家でも同様で、エリザベートは着実に次期侯爵夫人として学びを受けていた。
「本当に、淑女学院で良いのだな?」
晩餐の席で父に尋ねられて、それを聞くなら最初からエリザベートを貴族学園に通わせると決めてくれたら良かったのにと思った。
ローズが貴族学園を望むなら、エリザベートには淑女学院を選ぶより他は無く、二人を別々に学ばせる事を願った母の遺言を守るならエリザベートの選択は一つしかない。
デマーリオと一緒の学園に通いたいと言ったとしても、父はローズが望んでいるのだと言うだろう。
父の中にはエリザベートが反発するという発想は無い。エリザベートは皆から守られ、どこにも不足など無いのだと信じている。
「デマーリオ殿にはお前から話すかい?」
「いいえ、お父様にお願いしても宜しいでしょうか」
「まあ、それは構わないが、お前の口から伝えた方が良いのではないか?」
父にしても、ローズとデマーリオが惹かれ合っているのは解っていることだろう。
後妻と不義の子ばかりを愛して、先妻の遺児を蔑ろにしていると噂される父にとっては、この上婚約者まで異母妹に奪わせるのかと周囲に印象付けてしまうのは避けたい事であるに違いない。
であれば、父はもっと前に手を打つべきで、ローズに婚約者を据えるなりしていれば良かったのではないか。若しくは、最初から潔く母の遺言を反故にして、エリザベートを祖父母へ引き渡してくれたなら、ローズもデマーリオもエリザベートも、今の様な有り様になることは無かったろう。
エリザベートは、これが最後の機会だと思った。それで父に進言を試みた。
「私はお祖父様の籍へ入っても構いませんわ」
「そんな事は承知出来ない。お前は我が家の娘だ。我が家から嫁ぐのだ」
「ですがそれでは、」
「そんなにこの家が嫌なのかい?私達が嫌いなのかい?」
そんな事を父の口から言われたのは初めてで、エリザベートはそれ以上を言えなくなった。祖父母は既に高齢で、母の生家は伯父の代に替わっていた。今は王都郊外の別邸に住まう祖父母の平和な余生に、エリザベートはいらぬ波風を立てたくは無かった。
その頃には、エリザベートは自分が侯爵家へ嫁ぐことは無いのだと、心の奥底で予感していた。もしもその予感が現実となり、それを祖父母が目の当たりにしたなら二人はどれ程悲しむだろう。
淑女学院への入学を決まったその時点で、デマーリオと婚約してから八年が経っていた。同じく八年の間、互いに遠くから見つめ合い惹かれ合うローズとデマーリオが、まるで想念で結ばれているようにエリザベートには見えていた。
エリザベートの心には、冷たい塵が積もるように、静かな諦めが堆積していた。
父がローズに縁談を持ち込まないのも、デマーリオが望むならエリザベートとローズを挿げ替える気持ちがあるからで、週にきっちり三度、離れの邸で晩餐を共にする父に、エリザベートはもう全幅の信頼を置けずにいた。
足りない物など一つも無い。
十分な生活を与えられて、学びなら最高水準の教育者を充てがわれている。
何処に出しても恥ずかしくない。お前は最高の淑女だよ。王子の妃に求められても可怪しくない。その前にお前を得られたデマーリオ殿は果報者だ。
父はそんな事を言ったが、言葉ばかりの父の気遣いにエリザベートが淑女の笑みで応えたのを、父は気が付いていただろうか。
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