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エリザベートが王城の女官に登用されて三月が過ぎた。
アイリスには既に女官が一人おり、エリザベートは彼女の下に付いて職務や城内の事を習った。
アイリス付きの女官は、元はアイリスの母である側妃付きで、彼女は伯爵家の夫人でもあった。嫡男は既に婚姻しており、そろそろ爵位を息子に譲り、夫と共に領地に戻ろうと考えていたところであったから、エリザベートは彼女の後継でもあった。
宮仕えとなって解ったことは、アイリスには側仕えが限られた数しかいないと云うことであった。
王城には現在、国王と王妃と側妃の他は、王太子に第二王子、リリーとアイリスがおり、姉王女達は既に嫁いで城を出ていた。
王太子は特別として、臣籍降下が決まっている第二王子や双子の姉リリーと比べても、アイリス付きの女官や侍女、護衛等は一目で分かる程に数が少ない。高位貴族の令嬢の方が、余程多く使用人を抱えているだろう。
「私は別に不自由を感じていないわ」
アイリスは、リリーとの扱いの差にも不服は無いと言う。リリーは侯爵家令息との婚姻を控えているのに、アイリスについては今だ婚約者は定められていなかった。双子の姉妹には確かな格差がある。
「私は城で生まれたのですもの、城で死ぬだけよ。フィリップお兄様が臣下に下るのですから、私がアンソニーお兄様をお助けするわ」
フィリップは今年二十三歳、アンソニーは二十五歳になる。
そうしてこのアンソニーこそ、次期国王という立場にありながら、今だ婚約者がいなかった。
金髪青眼の見目麗しい王太子に、何故これまで婚約者が据えられていないのかは、王太子本人があれこれ理由を付けて、のらりくらりと逃げているのだと言うのは王国では広く知られた事である。
フィリップもリリーも今は城を住まいとしているが、婚約者との交流もあれば、降下する身の上であるから貴族家との社交もある。フィリップは既に公爵家の執務を習っていたから、王太子の執務を補佐するアイリスの役割とは決して軽いものではなかった。
「アイリス」
「お兄様……」
アイリスと王太子は、母は違えど仲が良い。
数いる王子王女の中で末席に置かれるアイリスを王太子が大切にしているのは、アイリスの側付きになって改めて感じる事であった。
「侍従を撒いていらしたの?」
「近衛はちゃんと連れているよ」
「お兄様に撒かれない様に、必死に付いて来たのよ」
「お前の顔が見たかったのだがな。叱られてしまったよ、エリザベート。君も私を可哀想だと思うだろう?」
執務の合間にアンソニーはアイリスを訪ねて来る。お茶を一杯飲む僅かな時間であるが、アイリスの執務室に王太子が通う姿は、王城で弱い地位にいるアイリスを擁護するものである。
エリザベートにも異母妹ローズがいる。エミリオも遠くはあるが血縁にあたる。その妹弟とは距離を置いた間柄であった。
兄弟姉妹の仲の良し悪しとは、血の濃さばかりではないのだろう。
アイリスの不安定な立場と自身の生い立ちが重なって、ふと、エミリオの愛嬌のある表情が思い浮かんだ。
アイリスには執務室が与えられており、王女としての公務の他に、最近では側妃の公務、そうして王太子の執務の補佐も担っている。そんなアイリスが心安くあるように仕えるのがエリザベートの心するところであった。
エリザベートにとっても、忠心で仕える存在がある事は、守られるばかりであった今までの生き方を大きく変える事であり、心を尽くして仕えることに確かな喜びを得ていた。
「エリザベート、重かろう。それをこちらへ」
アンソニーの執務室へ届け物をした帰りに、序でとばかりに文官から書類を預かった。何かの日報と思われる厚みのある綴り物で、数冊重ねて腕に乗せられ、それが思いのほか重かった。
冊数が多くて足元が見えないから、落とさぬ様に気をつけながら回廊を歩いていたところで、向う側から現れた騎士に声を掛けられた。
「スヴェン様、申し訳ございません。助かります」
スヴェンは伯爵家の三男で、アイリス付きの護衛騎士である。金の髪を短く刈って、長い前髪を上げて額を露わにして、翠色の瞳が綺麗に見えている。
侍女から聞いたところでは、見目の良い近衛騎士は王城務めの女性使用人等から人気が高く、スヴェンを密かに慕う女性文官や侍女は多いのだと言う。
「あ奴ら、また君に持たせて寄越したのか。僅かな距離であるのに女人に預けるなど嘆かわしいな」
アンソニー付きの文官は多忙である。使えるものは女官でも迷わず使う。アンソニーへ届け物をするなら、そのまま空手で返すことなどあり得ない。行けば大抵アイリスへの書類を持たされる。
それを見越していつもは侍女と一緒に行くのだが、丁度アイリスのお茶の時間であったから、今日はエリザベートだけで来た。
細腕に容赦なく積まれた綴り物を、スヴェンはひょいと持ち上げた。一瞬身体が軽くなって、思わず前へ踏み出しそうになる。
「スヴェン様はこれからアイリス様へお付きになるのですか?」
騎士には交代時間がある。
「ああ。ここで君と会えて良かった。これだけ持たされては辛かったろう」
澄んだ翠の瞳でエリザベートを見下ろしてから、スヴェンは前に向き直り回廊を歩き出した。
アイリスには既に女官が一人おり、エリザベートは彼女の下に付いて職務や城内の事を習った。
アイリス付きの女官は、元はアイリスの母である側妃付きで、彼女は伯爵家の夫人でもあった。嫡男は既に婚姻しており、そろそろ爵位を息子に譲り、夫と共に領地に戻ろうと考えていたところであったから、エリザベートは彼女の後継でもあった。
宮仕えとなって解ったことは、アイリスには側仕えが限られた数しかいないと云うことであった。
王城には現在、国王と王妃と側妃の他は、王太子に第二王子、リリーとアイリスがおり、姉王女達は既に嫁いで城を出ていた。
王太子は特別として、臣籍降下が決まっている第二王子や双子の姉リリーと比べても、アイリス付きの女官や侍女、護衛等は一目で分かる程に数が少ない。高位貴族の令嬢の方が、余程多く使用人を抱えているだろう。
「私は別に不自由を感じていないわ」
アイリスは、リリーとの扱いの差にも不服は無いと言う。リリーは侯爵家令息との婚姻を控えているのに、アイリスについては今だ婚約者は定められていなかった。双子の姉妹には確かな格差がある。
「私は城で生まれたのですもの、城で死ぬだけよ。フィリップお兄様が臣下に下るのですから、私がアンソニーお兄様をお助けするわ」
フィリップは今年二十三歳、アンソニーは二十五歳になる。
そうしてこのアンソニーこそ、次期国王という立場にありながら、今だ婚約者がいなかった。
金髪青眼の見目麗しい王太子に、何故これまで婚約者が据えられていないのかは、王太子本人があれこれ理由を付けて、のらりくらりと逃げているのだと言うのは王国では広く知られた事である。
フィリップもリリーも今は城を住まいとしているが、婚約者との交流もあれば、降下する身の上であるから貴族家との社交もある。フィリップは既に公爵家の執務を習っていたから、王太子の執務を補佐するアイリスの役割とは決して軽いものではなかった。
「アイリス」
「お兄様……」
アイリスと王太子は、母は違えど仲が良い。
数いる王子王女の中で末席に置かれるアイリスを王太子が大切にしているのは、アイリスの側付きになって改めて感じる事であった。
「侍従を撒いていらしたの?」
「近衛はちゃんと連れているよ」
「お兄様に撒かれない様に、必死に付いて来たのよ」
「お前の顔が見たかったのだがな。叱られてしまったよ、エリザベート。君も私を可哀想だと思うだろう?」
執務の合間にアンソニーはアイリスを訪ねて来る。お茶を一杯飲む僅かな時間であるが、アイリスの執務室に王太子が通う姿は、王城で弱い地位にいるアイリスを擁護するものである。
エリザベートにも異母妹ローズがいる。エミリオも遠くはあるが血縁にあたる。その妹弟とは距離を置いた間柄であった。
兄弟姉妹の仲の良し悪しとは、血の濃さばかりではないのだろう。
アイリスの不安定な立場と自身の生い立ちが重なって、ふと、エミリオの愛嬌のある表情が思い浮かんだ。
アイリスには執務室が与えられており、王女としての公務の他に、最近では側妃の公務、そうして王太子の執務の補佐も担っている。そんなアイリスが心安くあるように仕えるのがエリザベートの心するところであった。
エリザベートにとっても、忠心で仕える存在がある事は、守られるばかりであった今までの生き方を大きく変える事であり、心を尽くして仕えることに確かな喜びを得ていた。
「エリザベート、重かろう。それをこちらへ」
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「スヴェン様、申し訳ございません。助かります」
スヴェンは伯爵家の三男で、アイリス付きの護衛騎士である。金の髪を短く刈って、長い前髪を上げて額を露わにして、翠色の瞳が綺麗に見えている。
侍女から聞いたところでは、見目の良い近衛騎士は王城務めの女性使用人等から人気が高く、スヴェンを密かに慕う女性文官や侍女は多いのだと言う。
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騎士には交代時間がある。
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