【書籍化】エリザベートが消した愛

桃井すもも

文字の大きさ
29 / 54

【29】

しおりを挟む
王城に上がって三月みつき以上が経つのに、結局エリザベートは一度も伯爵家へは帰っていなかった。
そんな事はあり得ないのに、今戻ってしまったら、もう城に帰ってこれなくなってしまう様に思えた。

馴染んだ使用人等は今も変わらず離れの邸にいて、いつ何時エリザベートが帰宅しても良いように整えてくれているだろう。
それが解っているのに、帰る気にはなれずにいる。

デマーリオとの婚約は変わらず継続されていたから、月に一度の婚約者の会合は持たれている。最初の月ばかりは多忙を理由に断ったが、それ以降は二度ほど彼とは会っていた。

互いの邸で会うのは気が進まずに、王都のカフェに行ってみたいと提案すれば、デマーリオはそれを快諾して、良さそうな店を見繕っておくと文にはあった。

デマーリオとは十年も婚約していたにも関わらず、エリザベートは彼と街を歩いた事が一度も無かった。デマーリオへの恋を消してしまってからそんな機会を得られるのは、なんとも皮肉な事に思われた。



「エリザベート」

待ち合わせをしたのは王立図書館で、図書館は広く階層も多いのに、デマーリオは待ち合わせ時間の五分前にはエリザベートを見つけてしまった。


「ん?少し痩せたのではないか?城の務めで無理が祟っているんじゃないか?」

王立図書館からほど近い場所にある小洒落たカフェの個室に入ると、デマーリオは向かいの席からエリザベートを探るような目で見る。
ここまで来る馬車の中で、二人は殆ど言葉を交わしておらず、お互いがお互いに何を言うべきか言葉を選ぶ様であった。

デマーリオは文に書かれた通りにカフェの一室を押さえてくれた。城務めをする様になって漸く世間が広くなってきたエリザベートであるが、デマーリオの早耳には到底及ばない。
彼は学生の時分から、こんな風に街歩きにも慣れていたのだろう。学友と歩く事もあっただろうし、その中にはローズもいたのだろう。

王城に上がってから生家には戻っていなかったから、父の事も義家族の事も、勿論ローズの事も、多忙な日常の中で忘れる日が増えていた。
デマーリオは、そんなエリザベートの過ぎた日々を思い出させる。

「女官とはそれほど忙しいのか?一度も邸に戻っていないと聞いた」

「どなたから?」

エリザベートの問いにデマーリオは答えなかった。父やエミリオだと言えないのは、それがローズから聞いたことで、彼はローズとの関係を否定しながら交流は続けているらしい。

小さく溜め息を付いたエリザベートに、デマーリオは僅かに眉をひそめた。

「私達には何も無い」
「私達」

エリザベートの周りはいつでもこちらとあちらに分けられる。大抵が「君」と「私達」で分けられた。エリザベートはいつでも単体で表される。

気まずいのだろうか、デマーリオがこちらに向けた視線を逸らしたのが、伏せた目からも気配で解った。

「衣装なら、」
「ん?なんだ、言ってくれ」

「文にも書きましたが、夜会の衣装ならご心配には及びません。それから装飾品も。私は夜会の間はアイリス殿下から離れませんし、アイリス殿下をお一人にするつもりもございません。貴方は貴方でご参加下さって宜しいのです。私にお気遣いを頂くのは心苦しいです。どうぞ、これまで通りローズと交流なさって下さい」

間を挟まずに言い切れば、途端に沈黙が訪れた。丁度、お茶が用意されて、それを切っ掛けにデマーリオが口を開いた。

「ここはタルトが美味いんだ」

見た所、店の設えも調度品もそれほど時を経たものには見えない。個室に入るまでに見た店内も、貴婦人や令嬢達で賑わっていた。この店は開店して間もないのだろう。そうしてその新たに人気を博している店に、デマーリオはメニューに詳しくなるほどには通っているのだろう。

王太子の執務を助け自身も公務を持つアイリスに仕えるエリザベートは、文官紛いの地味な日々であったから社交から最も遠い場所にいた。
婦人方が撒き散らす白粉の臭いも香水の香りも、とりどりに鮮やかなドレスの色も、エリザベートからは遠い世界のものだった。

結局、タルトは頼まずに二杯目のお茶を注文した。

「珈琲は飲めるかな?」
「苦味が駄目なのです」
「ん?君は苦いのは駄目だったか?ああ、」

ああ、と言ったのは、苦い物が不得手ではない別の令嬢と間違えたのに気付いたのだろう。ローズはあんな甘やかな顔で苦い物が大丈夫なのだろうか。異母妹の事をよく知らないエリザベートはそう思った。

何となく気まずい空気が漂ったところで、デマーリオが再び口火を切る。

「伯爵が、君のお父上が、君のことを案じておられた。休暇はあるのだから、お父上に顔を見せて差し上げてはどうか。私の母も君に会いたいと言っている」

夏至も過ぎて季節は夏を迎えていた。離れの邸の庭にも夏花が咲くころだろう。使用人達は息災だろうか。老齢のロバートは暑さに体調を崩してはいないだろうか。

「折をみて帰ります」

離れの邸の使用人達が気掛かりでそう言えば、デマーリオは安堵した様な顔をした。きっと誰かに頼まれていたのだろう。恐らくは父に。
だが、頼むくらいなら文の一つ送る方が余程早いだろう。王城勤めとなってから、エリザベートに届く文とはデマーリオ以外には母方の祖父母だけであった。

後はすっかり没交渉で、父は結局何一つ以前と変わらなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち
恋愛
ペルラ伯爵家の跡取り娘・フェリータの婚約者が、王女様に横取りされた。どうやら、伯爵家の天敵たるカヴァリエリ家の当主にして王女の側近・ロレンツィオが、裏で糸を引いたという。 怒り狂うフェリータは、大事な婚約者を取り返したい一心で、祝祭の日に捨て身の行動に出た。 ……それが結果的に、にっくきロレンツィオ本人と結婚することに結びつくとも知らず。 *** 『……いやホントに許せん。今更言えるか、実は前から好きだったなんて』  

【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~

魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。 ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!  そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!? 「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」 初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。 でもなんだか様子がおかしくて……? 不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。 ※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます ※他サイトでも公開しています。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

私の手からこぼれ落ちるもの

アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。 優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。 でもそれは偽りだった。 お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。 お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。 心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。 私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。 こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 作者独自の設定です。 ❈ ざまぁはありません。

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

処理中です...