アリアドネが見た長い夢

桃井すもも

文字の大きさ
55 / 65

【55】

しおりを挟む
濃い焦げ茶の髪に榛色の瞳。
なんて地味は人なんだろう。

「奥様」の第一印象は、それ位しか記憶に無い。
 
「さっぱりとした気質の穏やかな妻だ。いつものファニーでいたなら、きっとお前のことも本当の娘の様に愛してくれる。何も心配いらないから、いつもの様に笑って挨拶するんだよ。」

父は本妻である「奥様」との面会の前に、ファニーにそう言って聞かせた。

「お義母様、初めまして。ファニーと言います。お世話になります。」

街で見た貴族婦人達は、皆煌く金髪に青い目であった。明るい色のドレスに装飾品もふんだんに身に着けて、ドレスは遠目にも上質の生地であるのが見て取れた。

けれども目の前の奥様、これからは義母と呼ぶこの貴族婦人は、確かに身綺麗に見えるが、髪色ばかりでなくドレスも化粧もぱっとしない、地味な女にしか見えなかった。
隣で微笑む義兄も見目は義母とそっくりで、ファニーは実母によく似た自分の容姿が、貴族の中でも劣らぬ程に優れている事を改めて知ったのだった。

ファニーの周りは、ファニーを大好きな人達ばかりであった。
両親や祖父母だけでなく、近所の男の子もお店のお客さんも、平民が通う学校の男子生徒もみんなみんな、ファニー、ファニーと声を掛けて来る。そうして一人残らずファニーには飛びきり優しかった。

だから子爵家の邸にいて、使用人達がファニーを街の男達と同じ様に接して来ないのが不思議であった。
執事も庭師も下働きの小僧さえも、男と名のつく者達が、みんな何だか微妙に距離を取る。

「お嬢様、異性にそんなに近付いてはなりません。ご自分からお手を触れてもなりません。お口を大きく開い笑っては歯が見えてしまいます。そうです、お口は閉じて微笑むのが宜しいのです。」

義母が付けた家庭教師は兎に角うるさい。

走っては駄目、大きな声を出しては駄目、音を立ててお茶を飲んでは駄目。何より男の身体に触れては駄目だとしつこい位に言ってくる。

大体、今までだって大きな声で話したからと誰からも咎められる事など無かった。
ファニーの声は鈴の音の様だ、愛らしい声だ。そう褒められはしても注意を受けるだなんて只の一度も無かった。

憧れのドレスを着られるのは物凄く嬉しいけれど、ワンピースなどは丈が長くて歩き難い。折角綺麗だと褒められる足をすっぽり隠してしまうのだから、ファニーには不満しか無かった。

「ファニー、マナーの勉強は頑張っているかい?」

「はいっ、お父様。今日も褒めて頂きました!」

「そうか、ファニー、良かったね。そうだ、今度義兄さんがドレスを一緒に選んであげるよ。」

晩餐の席では、父と兄が代わる代わる交互にファニーを褒めてくれる。
家庭教師は「まあ、今日のところはこれで良しと致しましょう。」と言ったから、「良し」と褒められたのだろう。
エクセレントと言われたことの無いファニーは、「良し」が最良評価であった。

確かに義母は、ファニーが知る華やかな毒花、貴族婦人達とは違って見えた。けれども、つんと澄ましているのに変わりはない。

何より父が言った様にファニーを可愛いがってはくれないのが、ファニーは不思議で仕方が無かった。
ファニーの知る愛情表現と、子爵夫人がファニーを思う情け心とは余りに乖離が有り過ぎて、そもそも不貞の末の庶子を義娘と認めてくれた事実こそが、夫人からの何よりの歩み寄りなのだと思い至る事も無い。

ファニーにとっての義母とは、街で見た毒花である貴族婦人達と同類で、この家の中でファニーを抑圧する物事の筆頭の様に思えていた。


「旦那様、まだ貴族学園の編入は早いでしょう。せめて夏の休みが終わってからでも、」

「心配する程の事でもないさ。ファニーには貴族の友人が必要だ。勉学もマナーも学ぶより慣れろと言うじゃないか。夏休みの前に編入出来れば休みの間に令嬢方から茶会に招待される機会も出来るだろう。その時には、お前には義母としてあの子を助けてやって欲しいのだよ。」

「旦那様のお気持ちはよく解ります。ですが、もう少しばかり教師に付いて学ぶ方が宜しいかと。教師からは合格点は頂戴しておりませんもの。学園は逃げたりしませんわ。お茶会だって、これからいくらでも参加出来ますのに。」

父は、可憐なファニーであれば貴族の友人など直ぐに出来ると言っていた。
学園には同じ年代の貴族子女ばかりが通っている。中には平民もいると言うし、何より王子様が在籍している。

フランシス王太子殿下。私の王子様。一目会ったらきっと恋に落ちるだろう。
つんと澄ました婚約者など、そんなのは毒花なのだから殿下も嫌に決まっている。父が母を愛した様に、婚約者から逃げ出してファニーを求めてくれるに決まってる。

義母はファニーには必要無い。
ファニーの幸せに難しい事を言ってくる煩い人だ。一層の事、居なくなっても平気である。
祖母はアレが毒にも薬にもなると言っていた。あれは夏の盛りから花が咲く。いつもこの時期には母の店で売っていた。


ファニーは父に強請って実母に会いに行った。子爵家に迎えられてから初めての事であった。
母は日中は花屋にいる。
令嬢らしいワンピース姿で訪れたファニーに、母は涙を浮かべて尋ねた。「幸せかい?」と。

ファニーは母に満面の笑みで答えた。

「とっても幸せよ、お母さん。」

ファニーはこれから幸せになる。
煩い義母がいなくなれば、ファニーはもっと幸せになれる。
学園に通って、お友達が沢山できて、お茶会も夜会もひっきりなしにお呼ばれされる。

そうして王子様と恋をする。
みんなに愛されるファニーと一目会ったなら、王子様は一瞬でファニーと恋に落ちるのだから。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

一年だけの夫婦でも私は幸せでした。

クロユキ
恋愛
騎士のブライドと結婚をしたフローズンは夫がまだ婚約者だった姉を今でも想っている事を知っていた。 フローズンとブライドは政略結婚で結婚式当日にブライドの婚約者だった姉が姿を消してしまった。 フローズンは姉が戻るまでの一年の夫婦の生活が始まった。 更新が不定期です。誤字脱字がありますが宜しくお願いします。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...