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アウローラの言葉にミネットは納得した様ではなかった。それでも素直な質の彼女は、「分かったわ」と言って図書室を出て行った。
朝も夕も代わる代わるトーマスとミネットの二人に声を掛けられて、アウローラは邸に帰ろうと思うのに、帰れば二人が待っている姿が容易に想像出来たから、なかなか席を立てずにいた。
妹と婚約者という、最も近くにいて信頼出来る筈の二人と関わる事が、こんなにも億劫になるなんて。
仮にトーマスが嫡男でミネットがその婚約者であったなら、どれほど気持ちが楽だったろう。トーマスはアウローラの初恋の人ではあるけれど、最初からミネットと婚約が結ばれたなら、淡い初恋のまま諦めることも出来たかもしれない。
三年も婚約関係にあって、その大半が妹の関わる婚約期間であった。
実のところ、スタンリー伯爵家の持つ従属爵位である男爵位をミネットが継いで、トーマスをミネットの婿に迎える道もあったのだ。裕福な伯爵家に育った二人が、男爵位を喜んでもらい受けるとは思えないが。
スタンリー伯爵家の持つ男爵位は、アウローラとトーマスの間に将来生まれるであろう第二子に相続する事が決まっていた。
ミネットに継承する話がなかったわけではなく、女男爵になる事より、更に高位な貴族家へ嫁ぐ事を望んだのはミネット本人である。真逆、自家を継ぐとは思わなかっただろうが。
爵位に拘りを持つのは上昇志向の強いミネットらしいが、アウローラなら男爵位でも悪くないと思っただろう。
スタンリー伯爵家の縁戚である男爵が治めていた領地は、後継がいなかった為に爵位と共に母が相続した。
現在は代官を置いて時折父が赴いて見廻る男爵領は、硝子細工の手工芸品を加工する、伝統工芸を製造する職人集団を抱えている。
商会経営をしていないスタンリー伯爵家では、それを領内に元よりあった商店に納めさせて観光土産程度に販売するだけで、敢えて他領への販売ルートを開拓してはいなかった。
小さな領地は王都からそれほど離れていない。面白い領地であるのに、あの二人はそれを放置するだろう。そう考えてアウローラは、婚姻の際の持参金に男爵領を加えてもらおうかと思い立った。男爵位はアウローラが産む子に継承しよう。
フェイラー侯爵家は商会経営の大家である。そんなちっぽけな領地などあるだけ面倒と思うだろうから、アウローラが自由に差配しても問題ないのではなかろうか。
昨日聞かされた行き成りの婚姻話に、人生の青写真を根こそぎ崩されてしまったアウローラは、半ばやけくそ気味になって、母へ小さな我が儘を言ってみたくなった。
漸く重い腰を上げて席を立つ。
迎えの馬車は既に着いて待っているだろう。
玄関ホールへ向かいながら、向こう側に男子生徒数人の集団を見た。
面倒事には面倒事が重なるもので、アウローラは、昨日から厄日が続いているように思った。
集団との距離が近くなり、アウローラは廊下の端へと避けた。それから彼らが近付いて、アウローラは会釈をする。
「やあ、アウローラ。」
集団の中央にいた男子生徒に声を掛けられた。
彼は何故だか出会った最初からアウローラを呼び捨てにしている。アウローラは仮にも高位貴族の令嬢で、そうして彼とはそれほど親しい仲ではない。
「御機嫌よう、殿下。」
現在、学園には王族は彼一人しか通っていないから「殿下」で通用している。
王国の第二王子であるクロノスは、チョコレート色の髪に鮮やかな青い瞳の王子である。兄である王太子殿下に後継が生まれた後には臣籍降下することが定まっていたから、彼は王族でありながらアウローラと同じ「領地経営科」で学んでいる。
「急な事で驚いたろう。」
もう、今日はそれしか話しかけられていない。皆、少しくらいそっとしておいてはくれないのだろうか。
それより、クロノスの言葉は、彼がアウローラへ齎された縁談について知っているという事だろう。
それも当然の事で、現王妃、クロノスの母は、フェイラー前侯爵の妹である。現侯爵のアストリウスとクロノスは、年の離れた従兄弟同士の関係にある。
「従兄上に君を紹介したのは私だよ。」
厄災の原因はお前か!
先程既にやけくそになっていたアウローラは、不敬という言葉がどこかへ飛んで行ってしまった。
「君の状況を鑑みるに、妥当と判断した。能力をみすみす食い潰されるのは見るに忍びないからね。」
痛烈な皮肉である。
生徒会長であるクロノスは、常から生徒会役員であるトーマスとミネットを傍で見ている。アウローラが属さない生徒会という世界で、二人がどんなであるのか知らないが、多分知らない方が良いのだろう。
「家格・能力・才能・気質、それから容姿。合格点だと勧めたよ。」
アウローラは、生まれて初めて人を殴り飛ばしたくなった。ぐっと拳を握り締めれば、クロノスは口元を片方だけ上げて、到底王子らしくない悪い笑みを浮かべた。
「きっと上手く行く。じきに私も王族籍を降りるのだから、君達とは親しく付き合いが出来るだろう。宜しくね、義従姉上。」
くーっと奥歯を噛み締める。蹴りも一発オプションでお見舞いしたくなった。
にやりとしながらクロノスは、去り際に「良い男だよ、アストリウスは」と、要らない予備情報を置いて行った。
馬車では御者が待ちくたびれている事だろう。
もう、一層彼を唆して知らない土地へ逃げ出したくなってしまった。
朝も夕も代わる代わるトーマスとミネットの二人に声を掛けられて、アウローラは邸に帰ろうと思うのに、帰れば二人が待っている姿が容易に想像出来たから、なかなか席を立てずにいた。
妹と婚約者という、最も近くにいて信頼出来る筈の二人と関わる事が、こんなにも億劫になるなんて。
仮にトーマスが嫡男でミネットがその婚約者であったなら、どれほど気持ちが楽だったろう。トーマスはアウローラの初恋の人ではあるけれど、最初からミネットと婚約が結ばれたなら、淡い初恋のまま諦めることも出来たかもしれない。
三年も婚約関係にあって、その大半が妹の関わる婚約期間であった。
実のところ、スタンリー伯爵家の持つ従属爵位である男爵位をミネットが継いで、トーマスをミネットの婿に迎える道もあったのだ。裕福な伯爵家に育った二人が、男爵位を喜んでもらい受けるとは思えないが。
スタンリー伯爵家の持つ男爵位は、アウローラとトーマスの間に将来生まれるであろう第二子に相続する事が決まっていた。
ミネットに継承する話がなかったわけではなく、女男爵になる事より、更に高位な貴族家へ嫁ぐ事を望んだのはミネット本人である。真逆、自家を継ぐとは思わなかっただろうが。
爵位に拘りを持つのは上昇志向の強いミネットらしいが、アウローラなら男爵位でも悪くないと思っただろう。
スタンリー伯爵家の縁戚である男爵が治めていた領地は、後継がいなかった為に爵位と共に母が相続した。
現在は代官を置いて時折父が赴いて見廻る男爵領は、硝子細工の手工芸品を加工する、伝統工芸を製造する職人集団を抱えている。
商会経営をしていないスタンリー伯爵家では、それを領内に元よりあった商店に納めさせて観光土産程度に販売するだけで、敢えて他領への販売ルートを開拓してはいなかった。
小さな領地は王都からそれほど離れていない。面白い領地であるのに、あの二人はそれを放置するだろう。そう考えてアウローラは、婚姻の際の持参金に男爵領を加えてもらおうかと思い立った。男爵位はアウローラが産む子に継承しよう。
フェイラー侯爵家は商会経営の大家である。そんなちっぽけな領地などあるだけ面倒と思うだろうから、アウローラが自由に差配しても問題ないのではなかろうか。
昨日聞かされた行き成りの婚姻話に、人生の青写真を根こそぎ崩されてしまったアウローラは、半ばやけくそ気味になって、母へ小さな我が儘を言ってみたくなった。
漸く重い腰を上げて席を立つ。
迎えの馬車は既に着いて待っているだろう。
玄関ホールへ向かいながら、向こう側に男子生徒数人の集団を見た。
面倒事には面倒事が重なるもので、アウローラは、昨日から厄日が続いているように思った。
集団との距離が近くなり、アウローラは廊下の端へと避けた。それから彼らが近付いて、アウローラは会釈をする。
「やあ、アウローラ。」
集団の中央にいた男子生徒に声を掛けられた。
彼は何故だか出会った最初からアウローラを呼び捨てにしている。アウローラは仮にも高位貴族の令嬢で、そうして彼とはそれほど親しい仲ではない。
「御機嫌よう、殿下。」
現在、学園には王族は彼一人しか通っていないから「殿下」で通用している。
王国の第二王子であるクロノスは、チョコレート色の髪に鮮やかな青い瞳の王子である。兄である王太子殿下に後継が生まれた後には臣籍降下することが定まっていたから、彼は王族でありながらアウローラと同じ「領地経営科」で学んでいる。
「急な事で驚いたろう。」
もう、今日はそれしか話しかけられていない。皆、少しくらいそっとしておいてはくれないのだろうか。
それより、クロノスの言葉は、彼がアウローラへ齎された縁談について知っているという事だろう。
それも当然の事で、現王妃、クロノスの母は、フェイラー前侯爵の妹である。現侯爵のアストリウスとクロノスは、年の離れた従兄弟同士の関係にある。
「従兄上に君を紹介したのは私だよ。」
厄災の原因はお前か!
先程既にやけくそになっていたアウローラは、不敬という言葉がどこかへ飛んで行ってしまった。
「君の状況を鑑みるに、妥当と判断した。能力をみすみす食い潰されるのは見るに忍びないからね。」
痛烈な皮肉である。
生徒会長であるクロノスは、常から生徒会役員であるトーマスとミネットを傍で見ている。アウローラが属さない生徒会という世界で、二人がどんなであるのか知らないが、多分知らない方が良いのだろう。
「家格・能力・才能・気質、それから容姿。合格点だと勧めたよ。」
アウローラは、生まれて初めて人を殴り飛ばしたくなった。ぐっと拳を握り締めれば、クロノスは口元を片方だけ上げて、到底王子らしくない悪い笑みを浮かべた。
「きっと上手く行く。じきに私も王族籍を降りるのだから、君達とは親しく付き合いが出来るだろう。宜しくね、義従姉上。」
くーっと奥歯を噛み締める。蹴りも一発オプションでお見舞いしたくなった。
にやりとしながらクロノスは、去り際に「良い男だよ、アストリウスは」と、要らない予備情報を置いて行った。
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