アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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先日、アウローラが侯爵邸を訪問した際にアストリウスが不在だったのは、新たに商会の支店を立ち上げる予定の土地を視察に行っていた為である。

王都の東側に位置するそこは、港を擁する地方都市で、王都からは馬車で二日程の距離にある。
港から荷揚げされた物資を王都に運ぶ為に交通網も整っていたし、何より海路で帝国へ渡れる事から帝国に長く住んでいたアストリウスにとっては馴染みのある街だと思った。

「それ程でもないかな。私は帝国に渡ってからは帰国をしていなかったから、結局、海路を使ったのは帰国した時の一度きりなんだ。帝国に渡った時は陸路だったからね。」

前侯爵と兄の病により、急ぎ帰国をしたアストリウスは、そこで海路を選んだのだという。港街からは馬を駆けたそうで、その際に街道の様子を記憶していたらしい。

「古くからある商会が店を閉めることになったのは、帰国した際に耳にした。港を開いた時に入植した商会であったから、立地が良くてね。今回、そこを土地ごと買い取る事にしたんだよ。父も以前から気に掛けていたらしくて、多分、流行病を得なければ、今頃は父と兄が視察していたのではないかな。」

アウローラが意外に思ったのは、アストリウスが仕事の話しもアウローラ相手に億劫がる事なく話してくれることであった。
母に付いて当主教育を受けていたアウローラを、アストリウスなりに信用してくれているようで、アウローラはそんな彼の行為を嬉しく思った。

仕事の話しなんて、婚約早々のカップルの会話では無いだろう。なんと甘さの足りないお茶会だと、端からは見えるかも知れない。
けれども、アストリウスはアウローラより人生経験が長く、そうして帝国でも外商に勤めてから人当たりが良い。多分、御婦人方の扱いに慣れているのだろう。

黒髪の下に見える青い瞳は理知的であるし、低めの声も耳に馴染む。トーマスの明るく柔らかな金髪と翠の瞳に憧憬を覚えていたアウローラは、ここにきて初めて自身の好みがこんな大人の男性であるのに気が付いた。

好みだなんて。
自分で気付いておきながら、そんな心の内は絶対にアストリウスには知られたくないと思う。隠したところで練れたアストリウスが小娘の機微に気が付かない筈が無いのだが、はしたない娘だと思って欲しくはなかった。


「これを君に。遅くなってしまったが、婚約の記念をと思って。」

アストリウスがジャケットの内ポケットから何やら取り出す。

「リボンを頂戴しましたわ。」

アウローラが透かさず言ったのには、「そんなのは記念の品とは言えないだろう」と至極当然の様に言う。

アウローラは、今日はサテン生地のリボンを髪に結んでいた。
アストリウスは、自身が贈ったリボンで髪を結う婚約者には直ぐに気が付いて、良く似合っていると言ったのは訪問の挨拶をした際であった。

「ボールドウィン公爵家のエリザベス様からお褒めのお言葉を頂戴しました。青が似合うと。」

アウローラの言葉を正しく理解したアストリウスは、

「ダンヴィル公爵家の小公爵とは、紳士クラブでお会いしている。次の会合で礼を言うとしよう。」と言った。

ダンヴィル公爵家の嫡男とはエリザベスの婚約者である。エリザベスとアウローラ、未来の夫人達を通して、ダンヴィル公爵家とフェイラー侯爵家で良好な関係が結ばれる兆しに、アウローラは少しは役に立てただろうかと嬉しく思った。

「エリザベス嬢とは面識があるんだよ。彼女の兄は私の後輩に当たるからね。」

「後輩、ですか?」

「ああ。歳は少し離れているが、彼が帝国大学に入学した際に、少しばかり世話をした。気取らぬ良い男だよ。」

未来の公爵家当主を気取らぬ良い男と称するアストリウスに、アウローラはなんと答えてよいのか分からなかった。

「まあ、そんなのは置いといて。私を小さな男と思って欲しくないな。婚約者に贈り物も満足に出来ないだなんて。私はね、そんな小さな事を気にする小さな男なんだよ。だから余計に小さな男と思われたくない。」

「ふふ、小さいが多いですわね。」

小さい小さいと言うアストリウスは背が高い。アウローラも令嬢としては上背のある方であるが、そのアウローラよりも頭一つ高いから、彼と並ぶとアウローラは見上げる形となる。

「小さい男の小さい願いを聞いてくれるか?」

そう言って、アストリウスは小さな箱をアウローラの手渡した。

「小さいだろう?」
「確かに、小さな箱ですわね。小さいですね。」
「こら、小さいと言ったな。」

小さい小さいを連呼する二人を、執事が呆れ顔で見るのも気にならない。

アストリウス様とお話しするのはとても楽しいわ。
アウローラは、自分がころころとアストリウスの手の平で転がされているのを解りながら、ずっところころ転がっていたいと思う。

「開けても宜しいでしょうか?」
「是非。」

白い小箱には青く細いリボンが掛けられている。それすら愛しく思えるのは、浮かれ過ぎであろうか。

「素敵...」
「お気に召して頂けただろうか。」
「ええ、ええ、勿論!」
「貸してご覧。」

アストリウスは、たった今贈ったばかりの品をアウローラから受け取って、そうして席を立ってアウローラの側へ来た。

「こちらを向いてくれるか?」

そう言って、アウローラが頬を染めて見上げるのに目を細めた。それから、アウローラの左耳に、右耳に、手に持つ物を嵌めてくれる。
ひやりと耳に感じた金属の感触も、直ぐに熱くなってしまった。アウローラは、頬が茹だる様に思われた。多分、真っ赤になっているだろう。

瞳まで潤んでしまうアウローラの耳朶を、アストリウスが指先で撫でた。

「似合っている。」

贈り物は黒蝶真珠であった。
大粒のひと粒真珠である。アウローラの親指の爪より大きいだろう。

「南洋真珠だよ。海を渡った南の国で採れる。港には大陸諸国からの交易品が最初に入るんだよ。だから王都に劣らず流行に敏感なんだ。この南洋真珠も本真珠より安価であるが美しい。平民でも多少の財があれば求めやすい。商会で仕入れを考えていたのだが、君を見て良く解った。これは仕入れるべきだとね」

「小さい男が、恋人に大きな真珠を贈って気を大きくするのを、君は笑わないでくれるかな?」

もう、どこから突っ込んで良いのか解らない。耳も頬も首筋も、真っ赤に染め上がったアウローラは、瞳を潤ませアストリウスを見上げるので精一杯になってしまった。

アストリウスが触れた耳朶に、「恋人」という言葉がいつまでもいつまでも残って離れなかった。



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