アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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それからは、アストリウスに連れられて貴族達へ挨拶回りをした。挨拶回りと言っても、殆どがあちらから声を掛けて来て、アストリウスがその都度アウローラを紹介すると云うものであった。

好奇の目に射抜かれる。
社交に出る際は、いつも両親と共にいたから、成人貴族達と挨拶する様はそれなりに見てきたつもりであったのだが、商会を経営するフェイラー侯爵家とは関わる貴族も異なっており、殆どが初対面であった。
随分お若いご婚約者だと言われる度に、それが小さな棘を伴ってチクチク不快な痛みを感じた。

勿論、そんな貴族ばかりではなく、王家が結んだえにしだと、二人を祝福する声も多くあった。そうしてやはり、夫人等は目敏くて、アウローラのドレスを褒めた。

「彼女は長く後継教育を受けておりましたから、若い令嬢ながらしっかり者で落ち着きがありましてね。けれども、私にしてみればただ可憐でしかないのですよ。ドレスだって悩みに悩んで贈りました。なにせ、女性にドレスを贈るだなんて久しぶりの事ですからね。」

アストリウスは、アウローラを好奇の目から庇うのに、心遣いの言葉を忘れなかった。そうして言葉の端々に「可憐である」と添えるのだった。
けれどもアウローラのアンテナに引っ掛かったのは、「久しぶり」と言う言葉であった。

久しぶりと言うのだから、過去に令嬢にドレスを贈った事になる。ドレスを贈るだなんて、そういう関係、つまりは婚約者と云う事だろう。

アストリウスは二十六歳。次男であっても侯爵家の令息であるのだから婚約者がいない方が可怪しい。寧ろ、婚約どころか婚姻していて当然なのだ。

そうして大抵、不安要素とは、一度心に影を落とすと芋づる式に姿を現す。婚約者がいたかもしれない。それは、アストリウスが過去に誰かに恋をしていたかもしれない事で、そこからするする思い浮かぶのは、彼が帝国にいた頃の、第二皇女との恋であった。

アストリウスが母国に帰国をしなかったのは、そうして誰とも婚姻しなかったのは、既に臣籍降下した皇女を忘れられないからだというのは、社交界でも噂になった話しである。

「喉が渇いただろう。シャンパンは飲めるかな?」

アウローラの表情が微かに曇るのを見逃さなかったアストリウスは、アウローラが疲れたのだと思ったらしい。スマートな仕草で給仕からシャンパンを受け取る。

慣れない若い貴族などは、きょろきよろ見回し給仕を探したりするが、彼は既にそれも把握していた様で、給仕がこちらに近付くタイミングを逃さなかった。


壁際に向かうのかと思っていたら、テラスの方へ誘われた。冬の今は、テラスは硝子の扉が閉められていた。それでも粉雪の舞う外の風景が眺められる。火照った身体に冷えた空気が心地よい。

「君との初の社交に乾杯しよう。」

そう言ってグラスを軽く掲げ持つアストリウスを見上げた。

美しい男性ひとだと思う。この端正な風貌に、見惚れた令嬢がどれだけいたのだろう。どれほどの令嬢達が彼を見上げて、この深く濃く鮮やかな青い瞳に見入ったのだろう。

むくむくと湧き上がる、過去の令嬢達の影に対する苛烈な感情をシャンパンと共に飲み込んだ。
きりりと冷えたシャンパンの細かな粒が喉を潤して、本当に喉が渇いていたのだと気が付いた。

こんな感情なんて知らない。
ミネットに懸想するトーマスを長く見つめたアウローラには、妹に心を寄せる婚約者への思慕も嫉妬も羨む気持ちも既に知ったものであるのに、こんな苛烈な感情を覚えたのは初めての事だった。

アストリウスが気を利かせて、他愛の無い話しをするのに耳を傾けながら、もう契約で縛られたこの婚約が覆る事など無いのだと、自分自身に言い聞かせた。
アウローラ、大丈夫、今度は大丈夫よ。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。

初めから、アストリウスの皇女との噂は聞いていた。それを承知で婚約を結んだ。
アストリウスにしても、十五の年に婚約していたアウローラを受け入れた。決してアストリウス自身が望んだ縁ではなかっただろう。
けれども彼は、家と傘下貴族と事業の為にアウローラとの婚姻を受け入れたのである。

「アストリウス様、有難うございます。」

それはアウローラの口から自然と漏れ出た言葉であった。望まない婚姻を、初めて会う年の離れた令嬢を、厭う風も見せずに受け入れてくれた事への感謝であった。

それをアストリウスは、アウローラが疲れてしまったと思ったのだろう。離れた所で控えていた侍従に目配せをした。

「少し早いがこの辺で仕舞いにしよう。」

そう言って、邸に送るために会場の出入り口へとアウローラをいざなった。

クロークでファーコートを受け取って、アウローラの肩に羽織らせてくれる。そんな仕草の一つ一つが洗練されていて、どれほどの令嬢にこんな事をしていたのだろうと考える。

もう、アウローラの頭の中は、燻りながら燃え続ける黒い感情に覆われて、今日ほど自分が嫌になる事はなかった。


馬車止めには既に侯爵家の紋が入った馬車がいた。従者が扉を開けばアストリウスがアウローラの手を取って、その指先を握った。ステップを上がり馬車の中へ入る。直ぐにアストリウスが入って来たて、それが思ったよりもタイミングが早かった為に、危うくアウローラを抱え込みそうになった。

冷える筈で、外は粉雪が舞い路には薄っすら雪が積もっていた。先に出た馬車の車輪の跡が見える。灯りの向うはガス燈に照らされた所がほんのり白く明るく見えていた。

物思いに更け込む事で燻る思いを胸に内に仕舞い込んだアウローラを、疲れてしまったのだと慮ったらしいアストリウスとは、会話らしい会話は無かった。

程なくして、見慣れた風景に続いて伯爵家の門扉が見えた。馬車のスピードが緩まり敷地に入る。玄関ホールの灯りが見えて、帰って来たのだと思った。


御者がノックをして扉が開けば、侍従が先に降りた。その侍従の背に向けてアストリウスは、

「ジョージ、扉を閉めて待っていてくれ。」と言った。

そうして、二人きりになった馬車の中でアウローラの揺れる瞳を見つめて、

「アウローラ。私に聖夜の慈悲をくれないか。」
そう言った。

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