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シャルロッテはそう言って、ごく自然にアストリウスの横に座った。シャルロッテは侯爵家の人間なので、それで当然であるのだが、アウローラはそんな些細な事まで気になってしまう。
「先程も言いましたけれど、私は前当主の妻です。女主人としてこの邸を任されておりましたの。」
シャルロッテは、アウローラを出迎えた際の台詞と同じ事を繰り返した。
「先程ご挨拶させて頂きましたが改めまして。アストリウス様と婚約させて頂いておりますアウローラ・マセット・スタンリーと申します。」
なんだかな、と思いながらアウローラも同じ台詞を繰り返す。
「フランク。」
アウローラの挨拶へは然程関心を見せず、シャルロッテは徐ろにフランクを呼んだ。
「シャルロッテ様、如何なさいましたか。」
「いつから茶葉を変えたのかしら。」
「そちらは旦那様が帝国より取り寄せておられる茶葉でございます。旦那様とアウローラ様のご会合の際には、こちらをお出ししております。」
フランクは、言外に急に同席をしたのはシャルロッテだと示している。
「変えて頂戴。渋いわ。」
シャルロッテが笑みを浮かべたまま鷹揚に言う。主の口に合わないのであれば、それは当たり前の要求である。であるのに、アウローラはいちいちカチンカチンと気に障ってしまう。自分がこんなに狭量であるのに内心驚く。
「ミルクを、」
「は?」
「温かいミルクをお入れになってみては如何でしょう。コクが出て美味しゅうございます。それに寒い日には特に身体が温まりますわ。」
アウローラは思わず口を挟んだ。
「ああ、義姉さん。アウローラの言う通りなんだよ。私はこの茶葉が好きでね、それでミルクをたっぷり入れて楽しんでいるんだ。」
「そう。」
アウローラを庇う様に、透かさずアストリウスが援護射撃を放った。それが嬉しい筈なのに、臍が曲がったまま戻りきらないアウローラは、そんなアストリウスに素直に感謝が出来ない。
アウローラは、アストリウスのウイットに富んだ言動を好ましく思っている。大人の魅力とも感じていたし、難しい場面にあっても軽やかに場を和ませ、それでありながら自身の要件をしっかり通すアストリウスの話術は素晴らしいと思っていた。
だから、こんな場面でこそアストリウスが、義姉とは云え婚約者同士の会合に突入する行為をいつもの様に諌められずにいる事へ、僅かな失望を感じていた。
同時に、アストリウスが関わる場面では、沸点が低くなる自分に驚いた。どちらかと言えば我慢強い質であると思っていたのだが、この邸に来てからアウローラは、ずっと気持ちが逆立って、シャルロッテの言動の一つ一つが気に障る。シャルロッテばかりでなく、アストリウスにまで八つ当たりめいた事を思う。端的に言うなら「しっかりしてよ」と言ってやりたい気持ちに駆られる。
「義姉さん。」
「なあに?アストリウス。」
何を見せられているんだ。
アウローラは、表情が抜け落ちるのが自分でも解った。酷く冷たい顔をしているのだろうなと思う。
「今日は聖夜だよ。」
「そうね。晩餐の料理は貴方の好物を作らせるわ。」
「お気遣い有難う。お気遣いついでに、申し訳ないのだがアウローラと二人にしてもらって良いだろか。」
「ご令嬢と二人になど出来るわけないじゃない。」
「ああ、そうだね。アウローラは確かにご令嬢であるね。けれども彼女は私の婚約者なんだ。もうすぐ私の妻になる。」
「...」
「晩餐に招待出来なかったんだ。今だけでもご遠慮願いたい。」
アストリウスの言葉をどう思ったのか、シャルロッテはそこで立ち上がった。
そうして、
「失礼するわ」と言って席を外した。
扉へ向うシャルロッテの背を、アウローラは目を離せずに見つめていた。だから、扉の前で振り返り、こちらに視線を向けたシャルロッテと目が合った。年嵩の女性から向けられる険のある眼差しに内心たじろぐも、目を逸らす事はどうにか耐えた。
甘やかな香りと共にシャルロッテの姿が扉の向うに消える。同時に、
「「はあぁ」」
二人揃って溜息が出た。
侍女が何度目かのお茶を淹れ替えてくれて、二人してミルクをたっぷり注ぐ。
「こんな行儀の悪い飲み方は君としか出来ないな。」
「美味しいのですもの、仕方ありませんわ。」
「笑わないでもらえるなら、」
「?」
「蜂蜜を入れると更に旨いんだ。」
「まあ。それは確かに美味しそうですね。」
「子供の飲み物だろう。」
「チョコレートを嗜む紳士も多いと聞きます。」
「チョコレートも好きだな。」
「甘いものがお好きなのですね。」
「うん。チョコレート色の髪も好きなんだ。」
そう言って、アストリウスはアウローラを見つめた。アウローラの濃い栗毛色の髪をチョコレートだと言っている。
「た、食べないで..」
「それは無理な相談だ。」
急に甘やかな雰囲気を醸し出して、アストリウスはアウローラを追い詰める。
「旦那様、蜂蜜をお持ちしましょう。」
「邪魔するな。」
フランクがアウローラに助け舟を出したのをアストリウスが拒否する。
「は、蜂蜜を、お持ち致しますっ」
真逆のアウローラの侍女までが、侯爵家の侍女を差し置いてそんな事を言い出したから、アウローラは思わず笑ってしまった。
「はは、」
アストリウスまで笑いが漏れて、それから二人は互いに顔を見合わせて小さく笑った。
イガイガと胸の内を苛んだ嫌な感情が、逆立った毛を優しく撫でられるように静まっていくのを感じていた。
「先程も言いましたけれど、私は前当主の妻です。女主人としてこの邸を任されておりましたの。」
シャルロッテは、アウローラを出迎えた際の台詞と同じ事を繰り返した。
「先程ご挨拶させて頂きましたが改めまして。アストリウス様と婚約させて頂いておりますアウローラ・マセット・スタンリーと申します。」
なんだかな、と思いながらアウローラも同じ台詞を繰り返す。
「フランク。」
アウローラの挨拶へは然程関心を見せず、シャルロッテは徐ろにフランクを呼んだ。
「シャルロッテ様、如何なさいましたか。」
「いつから茶葉を変えたのかしら。」
「そちらは旦那様が帝国より取り寄せておられる茶葉でございます。旦那様とアウローラ様のご会合の際には、こちらをお出ししております。」
フランクは、言外に急に同席をしたのはシャルロッテだと示している。
「変えて頂戴。渋いわ。」
シャルロッテが笑みを浮かべたまま鷹揚に言う。主の口に合わないのであれば、それは当たり前の要求である。であるのに、アウローラはいちいちカチンカチンと気に障ってしまう。自分がこんなに狭量であるのに内心驚く。
「ミルクを、」
「は?」
「温かいミルクをお入れになってみては如何でしょう。コクが出て美味しゅうございます。それに寒い日には特に身体が温まりますわ。」
アウローラは思わず口を挟んだ。
「ああ、義姉さん。アウローラの言う通りなんだよ。私はこの茶葉が好きでね、それでミルクをたっぷり入れて楽しんでいるんだ。」
「そう。」
アウローラを庇う様に、透かさずアストリウスが援護射撃を放った。それが嬉しい筈なのに、臍が曲がったまま戻りきらないアウローラは、そんなアストリウスに素直に感謝が出来ない。
アウローラは、アストリウスのウイットに富んだ言動を好ましく思っている。大人の魅力とも感じていたし、難しい場面にあっても軽やかに場を和ませ、それでありながら自身の要件をしっかり通すアストリウスの話術は素晴らしいと思っていた。
だから、こんな場面でこそアストリウスが、義姉とは云え婚約者同士の会合に突入する行為をいつもの様に諌められずにいる事へ、僅かな失望を感じていた。
同時に、アストリウスが関わる場面では、沸点が低くなる自分に驚いた。どちらかと言えば我慢強い質であると思っていたのだが、この邸に来てからアウローラは、ずっと気持ちが逆立って、シャルロッテの言動の一つ一つが気に障る。シャルロッテばかりでなく、アストリウスにまで八つ当たりめいた事を思う。端的に言うなら「しっかりしてよ」と言ってやりたい気持ちに駆られる。
「義姉さん。」
「なあに?アストリウス。」
何を見せられているんだ。
アウローラは、表情が抜け落ちるのが自分でも解った。酷く冷たい顔をしているのだろうなと思う。
「今日は聖夜だよ。」
「そうね。晩餐の料理は貴方の好物を作らせるわ。」
「お気遣い有難う。お気遣いついでに、申し訳ないのだがアウローラと二人にしてもらって良いだろか。」
「ご令嬢と二人になど出来るわけないじゃない。」
「ああ、そうだね。アウローラは確かにご令嬢であるね。けれども彼女は私の婚約者なんだ。もうすぐ私の妻になる。」
「...」
「晩餐に招待出来なかったんだ。今だけでもご遠慮願いたい。」
アストリウスの言葉をどう思ったのか、シャルロッテはそこで立ち上がった。
そうして、
「失礼するわ」と言って席を外した。
扉へ向うシャルロッテの背を、アウローラは目を離せずに見つめていた。だから、扉の前で振り返り、こちらに視線を向けたシャルロッテと目が合った。年嵩の女性から向けられる険のある眼差しに内心たじろぐも、目を逸らす事はどうにか耐えた。
甘やかな香りと共にシャルロッテの姿が扉の向うに消える。同時に、
「「はあぁ」」
二人揃って溜息が出た。
侍女が何度目かのお茶を淹れ替えてくれて、二人してミルクをたっぷり注ぐ。
「こんな行儀の悪い飲み方は君としか出来ないな。」
「美味しいのですもの、仕方ありませんわ。」
「笑わないでもらえるなら、」
「?」
「蜂蜜を入れると更に旨いんだ。」
「まあ。それは確かに美味しそうですね。」
「子供の飲み物だろう。」
「チョコレートを嗜む紳士も多いと聞きます。」
「チョコレートも好きだな。」
「甘いものがお好きなのですね。」
「うん。チョコレート色の髪も好きなんだ。」
そう言って、アストリウスはアウローラを見つめた。アウローラの濃い栗毛色の髪をチョコレートだと言っている。
「た、食べないで..」
「それは無理な相談だ。」
急に甘やかな雰囲気を醸し出して、アストリウスはアウローラを追い詰める。
「旦那様、蜂蜜をお持ちしましょう。」
「邪魔するな。」
フランクがアウローラに助け舟を出したのをアストリウスが拒否する。
「は、蜂蜜を、お持ち致しますっ」
真逆のアウローラの侍女までが、侯爵家の侍女を差し置いてそんな事を言い出したから、アウローラは思わず笑ってしまった。
「はは、」
アストリウスまで笑いが漏れて、それから二人は互いに顔を見合わせて小さく笑った。
イガイガと胸の内を苛んだ嫌な感情が、逆立った毛を優しく撫でられるように静まっていくのを感じていた。
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