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エリザベスの望まれた婚姻
【1】
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エリザベス・マセット・スタンリーは、スタンリー伯爵家の嫡女である。
一つ下に妹のシャーロットがおり、他に兄弟姉妹はなかったから、幼い頃から後継と目されて育って来た。
ブルネットに近い栗毛色の髪に、濃く青い瞳。肌が真っ白であるのは、あまり丈夫な体質でなく屋内を好む気質であるからかも知れない。
妹のシャーロットは、姉妹であるのにふわふわの髪の毛で、同じ色でも直毛のエリザベスと違って柔らかな思わず触れたくなるような髪を持っていた。瞳も僅かに翠を帯びて、それは父に似たのだろう。
エリザベスの母は、スタンリー伯爵家の当主である。長く女系の続くスタンリー伯爵家は、ここ数代は全て女伯爵が立ってきた。エリザベスの持つ直毛の髪に王家の色にも似た濃く青い瞳は、スタンリー伯爵家が代々纏う姿であった。
だからだろう。
エリザベスは、淡く美しい色を持つ婚約者のヘンリーに憧れの気持ちを抱いていた。それが恋心だと知ったのは、デヴュタントを迎える少し前である。
ヘンリーは、リンド伯爵家の三男で、エリザベスとは同じ年であった。スペアでもなく家の持つ従属爵位も継がない事から、幼い頃からの他家への婿入りが定めであった。
互いの領地は王国の東に位置してタウンハウスも同じ区画にある。貴族院では共に王政派に属し、爵位は同じ、家格も同等。事業こそ連携するものは無いが、領地経営に問題は無く、何より二人は同い年である。早いうちから双方、良い縁談先だと見做していた。
だから、幼子ばかりのお茶会で顔を合わせて、それが大人達の考えによる事などとは思いもせずに、自身にはない明るい髪と瞳に、垂れ目気味の甘やかな顔立ちに惹かれてしまったのだろう。
淡い金の髪が陽の光を浴びて、柔らかに輝いて見えた。薄い翠の瞳は湖水を思わせて、中心の虹彩がオーロラを帯びて宝石の様だと思った。全体的に淡い色合いのヘンリーは、甘やかな笑みをエリザベスを向けて、いつ会っても優しく穏やかで、女の子に乱暴な事を言う周囲の男の子達とは違って見えた。
「お早う、リズ。」
「お早うございます、ヘンリー様。」
「シャーロットはまだ仕度が掛かっているのかな?」
「ええ。お待たせしてしまって申し訳ございません。」
「いや、全然。いつもの事じゃないか。」
学園へは、毎朝三人で登校している。
ヘンリーが迎えに来た馬車に、エリザベスとシャーロットが同乗する。
それはエリザベスが学園に入ってから毎日の事で、二年になってシャーロットが入学してからは、ずっと三人で通っている。
ヘンリーとエリザベスは、十二歳の年に婚約した。貴族の婚約もひと昔と比べれば自由恋愛を認める気風も生まれていて、幼少の年代での婚約は少なくなっていた。
エリザベスとヘンリーの婚約も、当時としては早い方で、数回同席したお茶会での二人の雰囲気が悪くないのと、互いに条件がマッチしているのを、みすみす他家に介入されまいとする両家の思惑が合致した為であった。
そんな事にエリザベスが気が付いたのは、婚約を結んだずっと後、デヴュタントを迎える頃であった。エリザベスのパートナーとしてデヴュタントに出席したヘンリーに、その頃にははっきりとした恋心を自覚していたから、大人達がお膳立てしたヘンリーとの婚約を、エリザベス本人は幸運な事だと理解していた。
ヘンリーは美しい。
エリザベスはと言うと、気質も見目も母に似て濃く暗い髪と瞳を持ち、口数はあまり多くない。言い様によっては地味だと言える自分には、過ぎた婚約者だと解っていた。
この年齢になって婚約を結ぼうとしたなら、ヘンリーはこの婚姻を喜ぶことは無かったと思う。ただ、爵位を得ず他家に寄らねば身を立てられない彼にとって、寄り先が確保出来た安堵しか、彼の利は無かっただろう。
ヘンリーは優しいから、そんな事はおくびにも出さない。穏やかで優しげなところばかりが際立つが、彼は努力家で勤勉でもある。後継教育を受けたなら、きっと立派に後継者の役割も務められるだろう。
エリザベスは、優しく見目良いばかりでなく努力家でもあるヘンリーに、尊敬の気持ちを抱いていた。
恋心と尊敬。
エリザベスの世界で、ヘンリーは天中に燦く幸運の星、ロイヤルスターであった。
そんなヘンリーの魅力に、エリザベス以外の令嬢が気が付かない訳がない。
早いうちからの婚約であっても、寧ろ自力で判断の出来ない幼年での婚約であるからこそ、横槍めいた事も起こる。
その最たるものが家族であるのに、エリザベスは心が沈む。
妹のシャーロットもまた、ヘンリーに恋心を抱いている。それは二人が婚約を結ぶ前からの事で、けれどもシャーロットは嫁ぐ身で、ヘンリーも婿入りを定められた身の上であったから、初めからシャーロットにはヘンリーとの未来は実現が難しいものだった。
エリザベスと婚約を結ぶ前、ヘンリーは最終的な顔合わせを兼ねて、度々スタンリー伯爵家を訪れて、エリザベスと会合する機会を与えられた。問題が無ければこのまま婚約を結ぶ、そんな二人の会合に、シャーロットが無理矢理割り込むのはいつもの事だった。
優しいヘンリーは、おめかしをして当然の様に隣に椅子を寄せて座るシャーロットに、とても優しかったと思う。
一つ下に妹のシャーロットがおり、他に兄弟姉妹はなかったから、幼い頃から後継と目されて育って来た。
ブルネットに近い栗毛色の髪に、濃く青い瞳。肌が真っ白であるのは、あまり丈夫な体質でなく屋内を好む気質であるからかも知れない。
妹のシャーロットは、姉妹であるのにふわふわの髪の毛で、同じ色でも直毛のエリザベスと違って柔らかな思わず触れたくなるような髪を持っていた。瞳も僅かに翠を帯びて、それは父に似たのだろう。
エリザベスの母は、スタンリー伯爵家の当主である。長く女系の続くスタンリー伯爵家は、ここ数代は全て女伯爵が立ってきた。エリザベスの持つ直毛の髪に王家の色にも似た濃く青い瞳は、スタンリー伯爵家が代々纏う姿であった。
だからだろう。
エリザベスは、淡く美しい色を持つ婚約者のヘンリーに憧れの気持ちを抱いていた。それが恋心だと知ったのは、デヴュタントを迎える少し前である。
ヘンリーは、リンド伯爵家の三男で、エリザベスとは同じ年であった。スペアでもなく家の持つ従属爵位も継がない事から、幼い頃からの他家への婿入りが定めであった。
互いの領地は王国の東に位置してタウンハウスも同じ区画にある。貴族院では共に王政派に属し、爵位は同じ、家格も同等。事業こそ連携するものは無いが、領地経営に問題は無く、何より二人は同い年である。早いうちから双方、良い縁談先だと見做していた。
だから、幼子ばかりのお茶会で顔を合わせて、それが大人達の考えによる事などとは思いもせずに、自身にはない明るい髪と瞳に、垂れ目気味の甘やかな顔立ちに惹かれてしまったのだろう。
淡い金の髪が陽の光を浴びて、柔らかに輝いて見えた。薄い翠の瞳は湖水を思わせて、中心の虹彩がオーロラを帯びて宝石の様だと思った。全体的に淡い色合いのヘンリーは、甘やかな笑みをエリザベスを向けて、いつ会っても優しく穏やかで、女の子に乱暴な事を言う周囲の男の子達とは違って見えた。
「お早う、リズ。」
「お早うございます、ヘンリー様。」
「シャーロットはまだ仕度が掛かっているのかな?」
「ええ。お待たせしてしまって申し訳ございません。」
「いや、全然。いつもの事じゃないか。」
学園へは、毎朝三人で登校している。
ヘンリーが迎えに来た馬車に、エリザベスとシャーロットが同乗する。
それはエリザベスが学園に入ってから毎日の事で、二年になってシャーロットが入学してからは、ずっと三人で通っている。
ヘンリーとエリザベスは、十二歳の年に婚約した。貴族の婚約もひと昔と比べれば自由恋愛を認める気風も生まれていて、幼少の年代での婚約は少なくなっていた。
エリザベスとヘンリーの婚約も、当時としては早い方で、数回同席したお茶会での二人の雰囲気が悪くないのと、互いに条件がマッチしているのを、みすみす他家に介入されまいとする両家の思惑が合致した為であった。
そんな事にエリザベスが気が付いたのは、婚約を結んだずっと後、デヴュタントを迎える頃であった。エリザベスのパートナーとしてデヴュタントに出席したヘンリーに、その頃にははっきりとした恋心を自覚していたから、大人達がお膳立てしたヘンリーとの婚約を、エリザベス本人は幸運な事だと理解していた。
ヘンリーは美しい。
エリザベスはと言うと、気質も見目も母に似て濃く暗い髪と瞳を持ち、口数はあまり多くない。言い様によっては地味だと言える自分には、過ぎた婚約者だと解っていた。
この年齢になって婚約を結ぼうとしたなら、ヘンリーはこの婚姻を喜ぶことは無かったと思う。ただ、爵位を得ず他家に寄らねば身を立てられない彼にとって、寄り先が確保出来た安堵しか、彼の利は無かっただろう。
ヘンリーは優しいから、そんな事はおくびにも出さない。穏やかで優しげなところばかりが際立つが、彼は努力家で勤勉でもある。後継教育を受けたなら、きっと立派に後継者の役割も務められるだろう。
エリザベスは、優しく見目良いばかりでなく努力家でもあるヘンリーに、尊敬の気持ちを抱いていた。
恋心と尊敬。
エリザベスの世界で、ヘンリーは天中に燦く幸運の星、ロイヤルスターであった。
そんなヘンリーの魅力に、エリザベス以外の令嬢が気が付かない訳がない。
早いうちからの婚約であっても、寧ろ自力で判断の出来ない幼年での婚約であるからこそ、横槍めいた事も起こる。
その最たるものが家族であるのに、エリザベスは心が沈む。
妹のシャーロットもまた、ヘンリーに恋心を抱いている。それは二人が婚約を結ぶ前からの事で、けれどもシャーロットは嫁ぐ身で、ヘンリーも婿入りを定められた身の上であったから、初めからシャーロットにはヘンリーとの未来は実現が難しいものだった。
エリザベスと婚約を結ぶ前、ヘンリーは最終的な顔合わせを兼ねて、度々スタンリー伯爵家を訪れて、エリザベスと会合する機会を与えられた。問題が無ければこのまま婚約を結ぶ、そんな二人の会合に、シャーロットが無理矢理割り込むのはいつもの事だった。
優しいヘンリーは、おめかしをして当然の様に隣に椅子を寄せて座るシャーロットに、とても優しかったと思う。
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