アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

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エリザベスの望まれた婚姻

【6】

元より下校は独りであった。邸に戻れば直ぐに母に執務を習うから、人と会うことは滅多にない。妹でも婚約者でも。

それが朝の登校も昼食時も独りになれば、もうヘンリーとの接点は無くなった。

エリザベスは次期当主に定まっていたから、学園では「領地経営科」で学んでいる。シャーロットは「淑女科」で、ヘンリーは「一般科」である。他には「騎士科」があって、武門の家系の子女や騎士爵を得ようと騎士を目指す生徒はそこを選択するのだが、中には婿入りに際して当主となる妻の護衛となる為に騎士科を選ぶ子息もいる。

ヘンリーは、「騎士科」を選ばなかった。
彼は生家で鍛えているそうで、敢えて学園で剣術を学ぶ事を選ばなかった。成績が優秀であるから「一般科」のトップクラスにいて、そこでやはり成績優秀な子女らと交流している。

ヘンリーは、学園の入学前にはスタンリー伯爵家への婿入りが決まっていたから、騎士爵を得る必要は無かった。彼が貴族の一般常識を学び好成績を上げて、幅広い交流を深めて行くのは、婿入りの令息として至極真っ当な選択だった。だが、全クラスの総合試験では、彼がエリザベスを越えた事はこれまで一度も無かった。

学年が同じでも、学科もクラスも交友関係も異なるヘンリーとの繋がりは、ほんの少しエリザベスが行動を変えただけで容易く希薄なものになった。

シャーロットがどうだとかヘンリーがどんなであるかは、エリザベスはもう考えない事にした。あの悲痛なほどのシャーロットの叫びは、エリザベスの中からヘンリーへの思慕を削ぎ落としてしまった。

ヘンリーへの恋心なら確かにある。降り積もる粉雪の様に少しずつ積み重なって、揺るがない礎の様になっていた。だが、その静かな愛よりも濃く深い恋情を見せられて、自分の抱く恋が到底シャーロットのそれに及ばないと自覚したから、それが全ての答えなのだと思った。

エリザベスの知るヘンリーとは、決して愚かな人物ではない。本来の彼は勤勉で努力家で、婿入りする自分の立場に卑屈な感情を見せることも無かった。
少なくとも、去年シャーロットが学園に入学するまでは、エリザベスと共に研鑽を重ねる姿を見せていた。
それが見えなくなったのは、物理的にエリザベスと会う時間が減ったからだろう。彼の時間とは、今やすっかりシャーロットとの時間であった。

最終学年に進み、来春にはエリザベスは学園を卒業する。勿論、ヘンリーも同様で、来年の今頃には、二人の婚姻式が執り行われる。だが、その確定していたと思われる未来には、既にエリザベスが手を加えていた。

あの晩餐から二日程経った日に、エリザベスはヘンリーとの婚姻の凍結を母に願い出た。それがシャーロットとヘンリーの覚悟を問う猶予であると母は見做して、エリザベスの申し出を許した。それは、ヘンリーの生家へも伝えられた事だろう。

スタンリー伯爵家の許しなくして、ヘンリーの婿入りは叶わない。だが現実には、エリザベスこそ選択されるのを待つ身であるのだと、エリザベス自身は思っている。

ヘンリーがシャーロットとの未来を幸福と選び取るなら、エリザベスは早急に次の伴侶候補を選ぶこととなる。
初夏の学園の庭園で咲き誇る薔薇を見て思った様に、志を共にする伴侶と共にこの貴族社会で生きて行く。


当初シャーロットが望んだ様な、エリザベスとシャーロットの立場を差し替えることとは現実には起こり得ない事であった。

両親がエリザベスを後継と定める意志に変わりはなく、それは一族の総意である。その総意を覆すものをシャーロットは持ち合わせていない。そうして交換先だと彼女が思った縁談も、既に無くなっていた。

シャーロットに持ち込まれた子爵家との縁談は、結ばれる前に先方から断りが謝罪と共に届けられた。

『ご令嬢には既に、懇意にしている令息がおられると聞き及んだ。若い令嬢であるから有り得る事と理解は出来るが、それが姉の婚約者であるなら話しが変わる。王城に出仕する文官の身の上では、不貞も醜聞も共に法度である。こちらから申し込んだ縁談であるが、此度の縁は爵位の低い末端貴族の過ちとどうかお許し願いたい。』

纏めてしまえばそんな内容であった。
シャーロットの縁談は、子爵嫡男との顔合わせの前に破談となってしまった。母がそれをシャーロットにどう伝えたかはエリザベスは知らないが、貴族の耳目の恐ろしさを改めて知ったのである。


エリザベスとの婚姻の凍結。加えてシャーロットの縁談の破談。それは当然、ヘンリーの生家であるリンド伯爵家にも知らされている筈で、朝の登校を別にしたエリザベスの行動もリンド伯爵家は重く受け止めただろう。

ヘンリーの生家は、あれから朝の迎えを辞退している。エリザベスとシャーロット、そうしてヘンリーは、別々の馬車で別々に登校しており、その姿を学園の貴族子女らは「そういう事か」と見るだろう。現に、書類上は婚約者がいるエリザベスには、この頃縁談を願う釣書きが届けられる様になった。

可憐で社交的なシャーロットにも、勿論、釣書きが届いていたが、爵位はどれも生家より低い家が大半であった。

そうしてもう一つ。エリザベスにも変化があった。

「お嬢様、ご所望のチケットが取れました。今回はボックス席でございますので、ゆっくりご鑑賞なさる事が出来るかと。」
「まあ!ソーマ、有難う。とても嬉しいわ。」
「お嬢様、此度はハンカチが二枚必要ですのでお忘れなき様に。」
「ええ、ええ、勿論よ、ソーマ。大判を二枚用意するわ。」

エリザベスはすっかり観劇の虜となっていた。舞台の緞帳が上がれば、途端にそこは物語の世界が広がって、エリザベスは俳優達が演じる迫真の演技に魅入られてしまう。
嫡女の立場で自らの行動を律する心の発露とは、観劇での感動と、悲恋に喘ぐヒロインの心情に思いを重ねて流す涙であった。

泣けないエリザベスは、劇場のボックス席では涙腺も心も開放して盛大に泣けるようになった。

独りきりの空間で、現実では起こり得ない物語の世界での出来事に涙が零れる。幼い頃に母から抱き締められた記憶が蘇って、記憶の母が優しく背中をさすってくれる。
独りで流す涙は温かで、エリザベスの心の傷も憂いも全て洗い流してくれた。





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