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エリザベスの望まれた婚姻
【8】
こんなにもヘンリーが声高になるなど初めてで、エリザベスは驚いた。まばらにいた生徒達も行き成りの事に二人を見る。司書はとうとう席を立ち、こちらへ向かって来る。
だがエリザベスは、今ここで話さなければならない。何も知らせぬままに次に会う機会を待つ訳には行かなかった。
「ヘンリー様、落ち着いて下さい、凍結は、私が母に願い出たものです。」
「君が?何故!何故なんだ!!」
「そこの男子生徒。騒ぐなら退室なさい。」
到頭司書が来てしまい注意を受けた。
「リズ、何故だ、どうして、なんで凍結だなんて!教えてくれ、何故なんだ!」
司書の言葉には全く耳を貸さず、ヘンリーの激昂は止まない。
「警告は二度目です。直ぐ様、退室なさい。ああ、その前にクラスと氏名を。担任の先生にも報告します。」
司書は、毎日図書室へ通うエリザベスは知っていても、ここ一年以上図書室に訪れる事のなかったヘンリーの顔はすっかり記憶から無くなっていたらしい。
「リズ、教えてくれ、どうして、どうしてなんだ、なんで凍結だなんて、」
「ヘンリー・フォンテスキュー・リンド、即刻退室を命じます。これは命令です。」
いや、どうやら司書はしっかりヘンリーを憶えていたらしく、即刻の退室を命じた。
司書は男爵家の夫人である。学園では教師と同等の立場にあり、学生のヘンリーは彼女の言葉に従わねばならない。
ヘンリーはその命令すら聞き入れなかった。まるで司書が視界に入っていない様に、ヘンリーは立ち上がったまま身を乗り出してテーブル越しにエリザベスへと迫る。間にテーブルが無かったなら、掴み掛かるほどの勢いであった。
「お止めなさい、リンド令息、衛兵を呼びますよ、誰か、教師をお願い、男性教師を!」
ヘンリーのあまりの勢いに、エリザベスに危険が及ぶと判断したらしい司書がヘンリーの腕を掴む。司書の言葉に数人の生徒が走り出て行くのが慌ただしい気配で解った。
エリザベスも思わず立ち上がってしまった。だが、そこから一歩も動けない。
「教えてくれ!何故そんな事に!リズ!」
ばたばたと足音がして男性教師が図書室に駆け込んで来た。司書に掴まれたままエリザベスに声を荒げるヘンリーに、そのまま飛ぶ勢いでヘンリーの後ろから羽交い締めに掴み掛かった。
「離してくれ、リズ!教えて、どうして、どうして、どうしてっ」
「ヘンリー・フォンテスキュー・リンド、静かにするんだ。」
男性教師がヘンリーを抑える間に、司書がエリザベスの手を引いて図書室から退避する。
「大丈夫ですか?スタンリー嬢。」
「え、ええ、先生。お騒がせしてしまい申し訳ございません。」
「貴女は話し掛けられていた方でしょう。貴女が謝罪する必要はありません。」
「大丈夫?」
司書はエリザベスとヘンリーの大凡を知っているのだろう。その表情には、妹に懸想して自身の立場を弁えない婚約者を持つ令嬢への憐れみが浮かんで見えた。
それからヘンリーは、一週間の謹慎処分を受けた。
沈黙を要する公共の場で令嬢相手に激昂して大声を上げたこと。再三に渡る司書の注意を無視したこと。退室の命令を受けて尚、それに従わなかった事。そうして最終的に教師に拘束された事。以上の理由での処分であった。
謹慎処分の命令は、リンド伯爵の判断ではなく、学園長からの正式な処罰である。
ヘンリーの謹慎が決まって直ぐに邸に謝罪に訪れたのは、リンド伯爵家の嫡男、ヘンリーの長兄であった。
何故、リンド伯爵本人でないかと言えば、それは長兄が両親には任せられないと、次期当主として彼が表に立つ事を強行したからで、リンド伯爵家の世代交代が近い事を思わせた。
ヘンリーの長兄も次兄も学園を既に卒業しており、今は父伯爵の執務を補佐している。代理としては不足はなかった。
「此度はヘンリーが大変失礼を致しました。エリザベス嬢には不安と不快と恐怖を与えてしまった事を陳謝致します。」
ヘンリーの長兄は、エリザベスに向けて深々と頭を下げた。
次世代を担う青年貴族として貴族社会を歩み始めた長兄と次兄は、爵位も自身の糊口を凌ぐ術も持たない婿入りの身で、婚約者の妹と親しく過ごす軽率な弟の行為についてを恥知らずの愚行と両断した。
当然ながら兄達にも婚約者はおり、それぞれの家からも、「君は大丈夫かね」と義家族に女性関係の甘さを問われて大変な恥を掻いたと言う。
婚約者の令嬢からも、当主が愚息を教育できない手際の悪さを指摘されて、特に長兄の婚約者は、「貴方との子は私の生家から教育者を選ばせて頂きます。貴方の事は信頼しておりますが、ご生家はどうやら貴族の役割も矜持もお教え出来ないお家のようですから」と痛烈な皮肉を受けてしまった。
長兄は、あれ程の恥ずかしく悔しい思いを、これまでした事が無かったと言った。
そうしてエリザベスが思った通り、近い将来、長兄の婚姻を機に父伯爵から爵位を継承する事が一族でも既に認められているのだと明かした。
「以前から、両親にもヘンリー本人にも言っていたのです。エリザベス嬢の温情に甘えてはいないかと。シャーロット嬢の縁談が破談になったと聞き及び、それに対応出来ない両親に私は見切りを付けました。遅まきながらこれからは、二度とこんな愚かな過ちは犯しません。スタンリー伯爵家と当家の友好が揺るがぬ様に尽力させて頂きます。」
長兄の厳しい表情に、母も父も彼の決意を認めた様であった。
「ヘンリーについてですが、」
長兄は、長く切実な詫びの後に、ヘンリーについてを語り始めた。
だがエリザベスは、今ここで話さなければならない。何も知らせぬままに次に会う機会を待つ訳には行かなかった。
「ヘンリー様、落ち着いて下さい、凍結は、私が母に願い出たものです。」
「君が?何故!何故なんだ!!」
「そこの男子生徒。騒ぐなら退室なさい。」
到頭司書が来てしまい注意を受けた。
「リズ、何故だ、どうして、なんで凍結だなんて!教えてくれ、何故なんだ!」
司書の言葉には全く耳を貸さず、ヘンリーの激昂は止まない。
「警告は二度目です。直ぐ様、退室なさい。ああ、その前にクラスと氏名を。担任の先生にも報告します。」
司書は、毎日図書室へ通うエリザベスは知っていても、ここ一年以上図書室に訪れる事のなかったヘンリーの顔はすっかり記憶から無くなっていたらしい。
「リズ、教えてくれ、どうして、どうしてなんだ、なんで凍結だなんて、」
「ヘンリー・フォンテスキュー・リンド、即刻退室を命じます。これは命令です。」
いや、どうやら司書はしっかりヘンリーを憶えていたらしく、即刻の退室を命じた。
司書は男爵家の夫人である。学園では教師と同等の立場にあり、学生のヘンリーは彼女の言葉に従わねばならない。
ヘンリーはその命令すら聞き入れなかった。まるで司書が視界に入っていない様に、ヘンリーは立ち上がったまま身を乗り出してテーブル越しにエリザベスへと迫る。間にテーブルが無かったなら、掴み掛かるほどの勢いであった。
「お止めなさい、リンド令息、衛兵を呼びますよ、誰か、教師をお願い、男性教師を!」
ヘンリーのあまりの勢いに、エリザベスに危険が及ぶと判断したらしい司書がヘンリーの腕を掴む。司書の言葉に数人の生徒が走り出て行くのが慌ただしい気配で解った。
エリザベスも思わず立ち上がってしまった。だが、そこから一歩も動けない。
「教えてくれ!何故そんな事に!リズ!」
ばたばたと足音がして男性教師が図書室に駆け込んで来た。司書に掴まれたままエリザベスに声を荒げるヘンリーに、そのまま飛ぶ勢いでヘンリーの後ろから羽交い締めに掴み掛かった。
「離してくれ、リズ!教えて、どうして、どうして、どうしてっ」
「ヘンリー・フォンテスキュー・リンド、静かにするんだ。」
男性教師がヘンリーを抑える間に、司書がエリザベスの手を引いて図書室から退避する。
「大丈夫ですか?スタンリー嬢。」
「え、ええ、先生。お騒がせしてしまい申し訳ございません。」
「貴女は話し掛けられていた方でしょう。貴女が謝罪する必要はありません。」
「大丈夫?」
司書はエリザベスとヘンリーの大凡を知っているのだろう。その表情には、妹に懸想して自身の立場を弁えない婚約者を持つ令嬢への憐れみが浮かんで見えた。
それからヘンリーは、一週間の謹慎処分を受けた。
沈黙を要する公共の場で令嬢相手に激昂して大声を上げたこと。再三に渡る司書の注意を無視したこと。退室の命令を受けて尚、それに従わなかった事。そうして最終的に教師に拘束された事。以上の理由での処分であった。
謹慎処分の命令は、リンド伯爵の判断ではなく、学園長からの正式な処罰である。
ヘンリーの謹慎が決まって直ぐに邸に謝罪に訪れたのは、リンド伯爵家の嫡男、ヘンリーの長兄であった。
何故、リンド伯爵本人でないかと言えば、それは長兄が両親には任せられないと、次期当主として彼が表に立つ事を強行したからで、リンド伯爵家の世代交代が近い事を思わせた。
ヘンリーの長兄も次兄も学園を既に卒業しており、今は父伯爵の執務を補佐している。代理としては不足はなかった。
「此度はヘンリーが大変失礼を致しました。エリザベス嬢には不安と不快と恐怖を与えてしまった事を陳謝致します。」
ヘンリーの長兄は、エリザベスに向けて深々と頭を下げた。
次世代を担う青年貴族として貴族社会を歩み始めた長兄と次兄は、爵位も自身の糊口を凌ぐ術も持たない婿入りの身で、婚約者の妹と親しく過ごす軽率な弟の行為についてを恥知らずの愚行と両断した。
当然ながら兄達にも婚約者はおり、それぞれの家からも、「君は大丈夫かね」と義家族に女性関係の甘さを問われて大変な恥を掻いたと言う。
婚約者の令嬢からも、当主が愚息を教育できない手際の悪さを指摘されて、特に長兄の婚約者は、「貴方との子は私の生家から教育者を選ばせて頂きます。貴方の事は信頼しておりますが、ご生家はどうやら貴族の役割も矜持もお教え出来ないお家のようですから」と痛烈な皮肉を受けてしまった。
長兄は、あれ程の恥ずかしく悔しい思いを、これまでした事が無かったと言った。
そうしてエリザベスが思った通り、近い将来、長兄の婚姻を機に父伯爵から爵位を継承する事が一族でも既に認められているのだと明かした。
「以前から、両親にもヘンリー本人にも言っていたのです。エリザベス嬢の温情に甘えてはいないかと。シャーロット嬢の縁談が破談になったと聞き及び、それに対応出来ない両親に私は見切りを付けました。遅まきながらこれからは、二度とこんな愚かな過ちは犯しません。スタンリー伯爵家と当家の友好が揺るがぬ様に尽力させて頂きます。」
長兄の厳しい表情に、母も父も彼の決意を認めた様であった。
「ヘンリーについてですが、」
長兄は、長く切実な詫びの後に、ヘンリーについてを語り始めた。
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