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エリザベスの望まれた婚姻
【10】
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「リズ、」
エリザベスの名を呼んだきり、ヘンリーは声を詰まらせてしまってその先の言葉が続かない。
エリザベスは、そんなヘンリーを辛抱強く待った。彼が発する言葉を遮らぬよう、その息遣いの僅かな揺らぎも聞き逃さない。
「リズ、私は、私は、」
再び俯いてしまったヘンリーは、膝の上に置いた手を強く握り締める。
「君を失うだなんて、そんな事、考えた事もなかったんだ、」
辿々しく、一言ずつ言葉を発するヘンリー。
「ごめん、ごめんリズ、リズがいなくなるだなんて考えた事も無かったんだ。」
「だから、君が一緒に過ごす事が無くなってしまって、君は忙しいからと諦めたんだ。」
「諦めた?」
「うん、諦めていた。私と関わる事が忙しい君から時間を奪っているのだと、そう思っていた。」
「シャーロットは、義妹だよ。いつまでも私達を追いかける小さなロッテだ。それ以上に考えた事なんて、ただの一度も無かった。忙しい君に代わって面倒を見ているつもりで、異性と感じた事なんて無かったのに、」
「シャーロットは、貴方を愛していたわ。貴方だって、気付かなかった訳ではないでしょう。」
「...」
「あの子の愛は本物よ。私とは比べものにならないほどに。」
「君は?君は私を愛していないのか?」
「ちゃんとお慕いしていたわ。だって貴方は私の初恋だもの。」
「初恋、」
「初めて会った時から、私の中ではいつでも貴方が一等賞だったわ。だから、婚約出来て嬉しかった。私なりに、貴方を大切に思っていたのよ。気付かなかった?」
「いや、君が慕ってくれているのは、ちゃんと解っていた。君の夫になるのは自分だと、誇りに思っていた。君の視線が他の男に向かない事も、全部分かっていた。だから、会えなくなっても時が来れば夫婦になるのだと、そう信じていたんだ。」
「貴方が私を探してくれたのは、図書室に来た時だけだったわ。朝も、昼も、放課後も、いつだって私は学園の同じ棟の教室にいたのに。」
「シャーロットが、いつも迎えに来るんだ。君は忙しいから先に待っていようと。」
「学園で二人きりで過ごす事にも、街を連れ立って歩く事にも疑問を感じなかったの?」
「ロッテだよ。義妹なんだ、家族なのだとそう思って、」
「それでシャーロットは破談になってしまったわ。」
「悪かったと思っている。軽率だったとも。それから君にも、リズ、」
ヘンリーは薄翠の瞳でエリザベスを見た。潤む瞳から雫が零れてしまわない様に、瞳を見開いて必死に涙を押し留めている。
「貴方だけの所為じゃない。私がそうさせてしまったのだわ。貴方とシャーロットの仲に入り込む気持ちになれなかった。」
「そんなんじゃない、リズ。シャーロットをそんな風に思った事なんて無いんだ。」
「貴方のご両親も、私の両親も。貴方とシャーロットを放置した。」
「両親は、私がシャーロットを義妹としか思っていないのを知っていた。」
「私の両親は、シャーロットの行く末を承知して、その上で静観していた。」
「静観?」
「今がその行く末だわ。」
「あああっ」
ヘンリーは両手で顔を覆い項垂れた。小さく肩が震えて微かに嗚咽が漏れている。
「なんで間違えてしまったんだ。どうしてこんな事になったんだ。考えても考えても考えても、一秒だって過去には戻れない。君を失う位なら、ロッテの事なんてどうでも良かった。君がいなくなるだなんて、死んでしまったほ「死なないで。死んでは駄目よ。」
「リズ」
「貴方は私にとってもシャーロットにとっても、とても大切なひとなのよ。」
「君も、私を大切だと思ってくれるのか?」
「当たり前じゃない。貴方と一緒に生きていく為に、懸命に学んで来たのよ。領地も領民も一族も、貴方と一緒に支えて盛り立てて、子を儲けて生きて行くと夢みていた。」
「リズ、夢にしないでくれ、夢なんかじゃ嫌だ、君の側にいさせてくれ、君じゃなきゃ駄目なんだ、」
「それは私に爵位が無くても?」
「そんなの要らない。下級役人でも一兵卒でも、商人でも荷運び人でも、君を養うなら何でもする。平民でも生きていける。」
「平民でも?」
「ああ、そうだよ。賢い君となら、きっと王国の何処に住んでも上手くやれる。二人で何だって出来る。いや、何だってやるさ。私は三男だ。元より貴族籍など諦めていた。君と出会えて幸運だと思ったのは、君が嫡女だからじゃない。君の夫に選ばれたからだ。」
涙でぐしょぐしょに濡れた顔を晒してヘンリーは言う。
「リズ、君が好きなんだ。もっと言葉にして言えば良かった。君が慕ってくれるから、言わなくても通じると、会わなくても無くならない関係だと思ってた。不安な日だってあったんだ。君が私を見てくれなくて、朝も一人で登校を始めて。朝も昼も、待っても待っても現れなくて。兄や友人に、可怪しくないかと言われても、君が私を捨ててしまうだなんて思ってもみなかった。」
「私が、貴方を、捨てる?」
「そうなんだろう?不甲斐ない私に呆れて嫌になったんだろう?」
そうじゃあない。捨てたかったのはヘンリーへの恋情だ。シャーロットより可憐でも可愛くもない自分がヘンリーの心を繋ぎ止められない事に、自分で自分を捨てたくなった。
「嫌になったのは、私自身にだわ。」
「リズ、リズはリズでいてくれ。何も変わらないでくれ。まだ一粒でも私への情けが残っているなら、お願いだ、今のままの君でいてくれ。そのままの君が好きなんだ。」
「君をこんなに愛してると、今更気が付くだなんて。」
涙と鼻水と目を囲む濃い隈は、ヘンリーの綺麗な顔を台無しにした。
そんなしょぼくれたヘンリーの顔が、エリザベスは今までで一番愛おしいと思った。
エリザベスの名を呼んだきり、ヘンリーは声を詰まらせてしまってその先の言葉が続かない。
エリザベスは、そんなヘンリーを辛抱強く待った。彼が発する言葉を遮らぬよう、その息遣いの僅かな揺らぎも聞き逃さない。
「リズ、私は、私は、」
再び俯いてしまったヘンリーは、膝の上に置いた手を強く握り締める。
「君を失うだなんて、そんな事、考えた事もなかったんだ、」
辿々しく、一言ずつ言葉を発するヘンリー。
「ごめん、ごめんリズ、リズがいなくなるだなんて考えた事も無かったんだ。」
「だから、君が一緒に過ごす事が無くなってしまって、君は忙しいからと諦めたんだ。」
「諦めた?」
「うん、諦めていた。私と関わる事が忙しい君から時間を奪っているのだと、そう思っていた。」
「シャーロットは、義妹だよ。いつまでも私達を追いかける小さなロッテだ。それ以上に考えた事なんて、ただの一度も無かった。忙しい君に代わって面倒を見ているつもりで、異性と感じた事なんて無かったのに、」
「シャーロットは、貴方を愛していたわ。貴方だって、気付かなかった訳ではないでしょう。」
「...」
「あの子の愛は本物よ。私とは比べものにならないほどに。」
「君は?君は私を愛していないのか?」
「ちゃんとお慕いしていたわ。だって貴方は私の初恋だもの。」
「初恋、」
「初めて会った時から、私の中ではいつでも貴方が一等賞だったわ。だから、婚約出来て嬉しかった。私なりに、貴方を大切に思っていたのよ。気付かなかった?」
「いや、君が慕ってくれているのは、ちゃんと解っていた。君の夫になるのは自分だと、誇りに思っていた。君の視線が他の男に向かない事も、全部分かっていた。だから、会えなくなっても時が来れば夫婦になるのだと、そう信じていたんだ。」
「貴方が私を探してくれたのは、図書室に来た時だけだったわ。朝も、昼も、放課後も、いつだって私は学園の同じ棟の教室にいたのに。」
「シャーロットが、いつも迎えに来るんだ。君は忙しいから先に待っていようと。」
「学園で二人きりで過ごす事にも、街を連れ立って歩く事にも疑問を感じなかったの?」
「ロッテだよ。義妹なんだ、家族なのだとそう思って、」
「それでシャーロットは破談になってしまったわ。」
「悪かったと思っている。軽率だったとも。それから君にも、リズ、」
ヘンリーは薄翠の瞳でエリザベスを見た。潤む瞳から雫が零れてしまわない様に、瞳を見開いて必死に涙を押し留めている。
「貴方だけの所為じゃない。私がそうさせてしまったのだわ。貴方とシャーロットの仲に入り込む気持ちになれなかった。」
「そんなんじゃない、リズ。シャーロットをそんな風に思った事なんて無いんだ。」
「貴方のご両親も、私の両親も。貴方とシャーロットを放置した。」
「両親は、私がシャーロットを義妹としか思っていないのを知っていた。」
「私の両親は、シャーロットの行く末を承知して、その上で静観していた。」
「静観?」
「今がその行く末だわ。」
「あああっ」
ヘンリーは両手で顔を覆い項垂れた。小さく肩が震えて微かに嗚咽が漏れている。
「なんで間違えてしまったんだ。どうしてこんな事になったんだ。考えても考えても考えても、一秒だって過去には戻れない。君を失う位なら、ロッテの事なんてどうでも良かった。君がいなくなるだなんて、死んでしまったほ「死なないで。死んでは駄目よ。」
「リズ」
「貴方は私にとってもシャーロットにとっても、とても大切なひとなのよ。」
「君も、私を大切だと思ってくれるのか?」
「当たり前じゃない。貴方と一緒に生きていく為に、懸命に学んで来たのよ。領地も領民も一族も、貴方と一緒に支えて盛り立てて、子を儲けて生きて行くと夢みていた。」
「リズ、夢にしないでくれ、夢なんかじゃ嫌だ、君の側にいさせてくれ、君じゃなきゃ駄目なんだ、」
「それは私に爵位が無くても?」
「そんなの要らない。下級役人でも一兵卒でも、商人でも荷運び人でも、君を養うなら何でもする。平民でも生きていける。」
「平民でも?」
「ああ、そうだよ。賢い君となら、きっと王国の何処に住んでも上手くやれる。二人で何だって出来る。いや、何だってやるさ。私は三男だ。元より貴族籍など諦めていた。君と出会えて幸運だと思ったのは、君が嫡女だからじゃない。君の夫に選ばれたからだ。」
涙でぐしょぐしょに濡れた顔を晒してヘンリーは言う。
「リズ、君が好きなんだ。もっと言葉にして言えば良かった。君が慕ってくれるから、言わなくても通じると、会わなくても無くならない関係だと思ってた。不安な日だってあったんだ。君が私を見てくれなくて、朝も一人で登校を始めて。朝も昼も、待っても待っても現れなくて。兄や友人に、可怪しくないかと言われても、君が私を捨ててしまうだなんて思ってもみなかった。」
「私が、貴方を、捨てる?」
「そうなんだろう?不甲斐ない私に呆れて嫌になったんだろう?」
そうじゃあない。捨てたかったのはヘンリーへの恋情だ。シャーロットより可憐でも可愛くもない自分がヘンリーの心を繋ぎ止められない事に、自分で自分を捨てたくなった。
「嫌になったのは、私自身にだわ。」
「リズ、リズはリズでいてくれ。何も変わらないでくれ。まだ一粒でも私への情けが残っているなら、お願いだ、今のままの君でいてくれ。そのままの君が好きなんだ。」
「君をこんなに愛してると、今更気が付くだなんて。」
涙と鼻水と目を囲む濃い隈は、ヘンリーの綺麗な顔を台無しにした。
そんなしょぼくれたヘンリーの顔が、エリザベスは今までで一番愛おしいと思った。
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