コートニーの箱庭

桃井すもも

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第五章

 その日の授業が終わると、コートニーは急いで図書室へと向かった。
 御者には朝のうちに、迎えは半刻遅く来てほしいと頼んでいた。

 コートニーが使用人になにかを頼むことは少なくて、彼らはそんなコートニーが希望を口にするなら快く叶えてくれる。

 使用人であれば従うのは当然と思う貴族子女らも多いが、コートニーにその感覚は薄い。

 ベネディクトの母である公爵夫人は、そこのところが実に鮮やかで、家内の使用人たちにものを言いつけるにも鷹揚な気品がある。


 図書室に入ると、真っ先に隅っこの席を目指した。
 人目を避けて読みたい本とは、行動も怪しくさせるのだろう。

 人気の小説は面白かった。人気になるには理由があるのだと思った。
 官能が過ぎるだとか猥褻わいせつだとか、色々言われているけれど、そう評した人々も、きっと隅々まで読んだのだろう。そうでなければ批判すらできないのだから。

 貴族夫人と使用人の恋物語。
 似たような題材は過去にもあったのに、赤裸々な感情の吐露だとか、まるで側で目撃しているような緻密な描写が人々を物語の世界に没入させるのだろう。

 コートニーにしても、主人公が恋人と愛を交わす場面では、その先を読むことに躊躇ためらいを感じた。だが、それも含めてのストーリーであったから、結局は読み進んでしまった。

 それで出した結論が、これは伯爵邸の自室に置いていてはいけないだろうということだった。掃除に入ったメイドに見られたりしたら、そう考えるだけで恥ずかしくなる。

 それで少しずつ学園の空き時間に読んでいたのだが、当然ながら、それはそれで落ち着かない。
 結果的には、物語に思いっきり没頭したくて、放課後に図書室で読むという正攻法に辿り着いた。


 密かな人気席である、奥の角の窓際席が空いているのを見て、コートニーは足早にそちらへ向かった。

 背後が壁になるのも具合がよく、窓から日が入るのも読みやすい。隙間風が入り込んで冷えるのは、この際、気合で頑張ろう。

 鞄からカバーを掛けてある本を引っ張り出して、早速、栞を挟んだページを開く。そこでふと、今朝のことを思い出した。

 教室では何気ないふうを装って読んでいるのに、ジョゼフから何を読んでいるかを尋ねられて、あっさり答えてしまった。

 同性の友人なら、そこで密かに意気投合するなんてこともあるかもしれない。けれど、異性の学友にセンセーショナルな話題を呼んだ小説であると話すのは、普段のコートニーであればあり得ないことだった。

 しかも、その後もコートニーは小説についての感想をジョゼフに話して聞かせている。ジョゼフもまた、そんなコートニーを「はしたない」なんて言わずに付き合ってくれた。

「ふふ」

 自分でも気づかぬうちに笑みが零れた。自分の発した小さな笑いで我に返って、コートニーは開きっぱなしにしていたページに漸く視線を落とした。


 物語に描かれている愛とは、純愛といえば純愛だった。だが、目線を変えれば不貞ともいえる。
 心を通わせるだけなら、プラトニックな心の交流と言えるだろう。だが、夫人は男の愛を受け入れてしまう。

 彼女の目線で没入すると、貴賤の垣根を超えた純愛が成就してほしいと願ってしまう。だが、現実の貴族社会を知るコートニーは、こんな行動が許されるには、どれほどの犠牲があるのかと思ってしまう。

 愛だけで、愛した人と結ばれる。その後はどうするか考えているのだろうか。夫は?家は?身分は?

 そんなことを考えるから、没頭しながら完全には入り込めない、そんな矛盾を抱えるのである。
 そこで思ったのは、現実で容易く叶わないから物語なのだということだった。

 社交界では、時折、本当にこんな噂話を聞くことがある。夫人たちはとんでもない破廉恥な事件のように噂をするが、本心では、そんな何もかも投げうって誰かと愛し合いたいと、そう思っているのではないだろうか。

 コートニーはそこで、亡くなった実父を思い出した。焦げ茶色の癖のある髪も、茶色が混じる青い瞳も、コートニーは父親から受け継いでいる。

 父は騎士だった。生家は男爵家で父はそこの三男で、自身は一代限りの騎士爵を得ていた。
 コートニーは、辛うじて貴族の娘ではあったが、それは限りなく下位に位置するものだった。

 母の生家のほうが身分が高く、両親は所謂、格差のある婚姻だった。まるで今読んでいる物語そのものだった。
 父は、元は母の護衛騎士であったから。

 コートニーが、これほどこの小説に惹かれたのは、そんな両親の血を受け継いでいるからなのか。

 現実のコートニーには、選ぶ道なんてものはない。
 婚約者の生家は貴族の頂点にある公爵家で、たとえ誰かに恋をしても、物語や両親たちのような生き方なんて選べるはずもない。

 なにより、ベネディクトは完全無欠な貴公子で、彼は格下の伯爵家の令嬢を妻に迎えようとしてくれている。
 コートニーが母の連れ子であることも承知しているし、寧ろ、母の娘であるコートニーと婚約できて喜ばしいと言われたことがある。

 令嬢時代の母は、社交界で可憐な華と謳われて殿方の視線を釘付けにしたのだとは、どこかの茶会の席で耳にしたことである。

 母は、身分も未来も評判も、格上の婚約者も全てを投げ捨てて、使用人であった父と結ばれる道を選んでいる。


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