【電子書籍化】ソレイユの夜明け

桃井すもも

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第五章

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 父の執務室に通されるのは初めてのことだった。
 領地から王都に着いた日は、ソレイユは客間に通された。そこで父と兄姉との顔合わせをしたのである。

 執務室までは本邸の執事に案内されて、彼の後ろについて長い廊下を歩いた先に、父の侍従が扉の前で待っていた。

「お嬢様、旦那様は中でお待ちです」

 ソレイユは侍従の言葉に頷いて応えた。それから彼に向けて礼を述べた。

「ありがとう、アーノルド」

 侍従は笑みを浮かべてソレイユを見つめた。それから扉の向こうへソレイユの訪れを告げた。


 入室を許されて促されるまま、ソレイユは父の向かいに腰掛けた。

「お話があると伺いました」

 朝餉のあとにトーマスから聞いたのは、父から呼ばれているということだった。昨晩、晩餐を共にしたときには何も言われていなかったから、朝の内に何か起こったのだろうか。

「前にも話していたが、お前に王家からの縁談がある」

 それは既に聞いていた話で、ソレイユの意思は初めから求められてはいなかった。 
 ソレイユが王都に呼ばれた理由には、学園入学であるとか社交デヴューであるとか、それらしい説明はされていたのだが、本当の目的はノックスとの縁談だろう。

 ソレイユは、ただ生まれて生きているだけだった。
 何のために生まれたのか、何のために生きるのか、それを教えてくれる人はいなかった。
 ソレイユが生きるために多くの使用人たちが世話をしてくれたし、教師やガヴァネスはわざわざ王都から呼ばれてソレイユに教えを授けてくれた。

 それらは全て、ソレイユがどう生きるかということではなく、どう使われるかというそのためにソレイユを育て導いてくれるものだった。

 異論も意見も無いままに、ソレイユが父の話の続きを待っていると、父もまたソレイユが何を思うのかを窺うような間を置いた。
 ソレイユが何も言い出さないのを確かめて、父はその先を続けた。

「殿下との面会がある」
「それは、いつでしょうか」
「明日だ」
「……承知致しました」

 父は、王家からの書簡を今朝がた受け取ったらしい。

「学園の入学前に顔合わせをするそうだ」

 ソレイユはそれにも「はい」と答えてから、父に質問をした。

「お父様は以前、私を婚約者候補とおっしゃいました」

 父はソレイユの言葉に頷いた。

「明日は、ほかの候補者の方々もご一緒なのでしょうか」
「候補者はお前一人だ」

 父の答えが不可解に思えて、ソレイユは質問を重ねた。

「では、殿下がお気に召さなければ、私は候補から降りるのでしょうか」

「殿下は否とはおっしゃらない」

 単に様式に則って、一旦は候補という形を取ってソレイユを挙げたのだろうか。

「承知致しました」

 ノックスが否とは言えないように、ソレイユもまた従うよりほかに術はない。ソレイユは既に敷かれた道を辿るように、ノックスと顔合わせをすることとなった。


 白亜の王城に足を踏み入れて、その荘厳さにソレイユは思わず天井を見上げた。門扉に立っていた衛兵も、回廊に立つ騎士たちも、誰とも視線が合うことはなかった。

 前を歩く父の背中を追いながら、庭園に面した外回廊を歩く。
 王城の庭園は美しい。春の盛りの花が競うように咲いている。領地では見たことのない花を見つけて、あれはなんという名の花なのか、できれば植物図鑑と見比べてみたいなどと余計なことを考えるほど回廊は長かった。

「この先は、お前だけで行きなさい」

 王城には区画があるらしく、父は近衛騎士が護る通路の前でソレイユにここからは一人なのだと告げた。
 そこで父とは別れ、王城の侍女に案内されて先へと進む。後ろの騎士の靴音が背中に迫ってくるようで、ソレイユは少しばかり早足になり侍女の後ろにピタリとついて歩いた。

 更に先を進むと目の前に扉が現れて、二名の騎士が左右を護って立っていた。侍女と目配せし合った騎士が横にずれて、誰もひと言も発していないのに、なんでわかったのか扉が中から開かれた。

 どこかで誰かが見張っているのか、ソレイユは思わず振り返って、その時初めて後ろに控える騎士と目が合った。咄嗟に黙礼をすれば、騎士も黙礼で返してくれた。

「アルマール公爵令嬢様、こちらへ」

 入室した先には、生れて初めて会う高貴なお方がいて、重厚な椅子に背を預けてこちらを静かに見つめていた。

 てっきりノックスに会うのだと思っていた。
 だが目の前に座していたのは、ソレイユにもひと目でわかる特別な装いの女性だった。

 どのタイミングで名乗れば良いのだろう。ちらりと侍女を見て、彼女が小さく頷いたのを確かめてからソレイユは渾身のカーテシーで礼をした。

「面を上げて」

 静かに耳に響く声。ソレイユは姿勢を戻して高貴な女性を見た。

「待っていたのよ、ソレイユ嬢。私はノックスの母よ」

 まさかの王妃であった。王妃は自分を「ノックスの母」と名乗った。ノックスを愛し守る母なのだと、そのひと言だけでソレイユには伝わった。

 先ほどまでの緊張がほんの少し緩んだのは、王妃が公人を名乗る前に「母」と名乗ったからだろう。

「こちらへはいつ?」
「三週間ほど前でございます」
「王都の暮らしには慣れたかしら」
「いえ、まだ邸から出たのは本日が二度目でございます」
「まあ。公爵は貴女を花の盛りの植物園にも観劇にも連れていってはいないの?」
「私が慣れるのを父は待っていたのだと思います」
「……賢いのね。まあ良いでしょう。私が貴女を誘いましょう」

 何に誘われるのだろう。

 ソレイユは何もわからないあまりに「ありがとうございます」としか答えられなかった。

「それで、どう聞いているのかしら」

 それはノックスとの事だと思われた。

「私がノックス殿下の婚約者候補であると伺いました」

「候補、ねえ」

 何か含みのあるような、王妃はそんな口ぶりだった。


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