エバーシェリンは百舌鳥の巣に入る

桃井すもも

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第二章

「マリールイーズ様、初めまして。これからしばらくの間、お世話になります」

 一回りも年下の少女に、エバーシェリンは微笑みながら挨拶をした。

 マリールイーズの濃いチョコレート色の髪は艶やかで、ふわふわとしたウェーブが見るからに柔らかそうだった。
 ロイヤル・ブルーの瞳がエバーシェリンを見つめている。美しい瞳だった。だがそれも、彼女にとって幸福ばかりとは言えなかった。

 この屋敷にいる者なら、みんなわかっていることだろう。彼女の真価は高貴なものでありながら、その立場は薄い氷の上に立つように危うい。

「初めまして。マリールイーズと申します。貴女のことをお名前でお呼びしてもよろしいかしら」

 十歳と思えないほど丁寧に言葉を選ぶマリールイーズは、控えめにしていても利発さがうかがえる少女だった。

「もちろんですわ。どうぞエバーシェリンと、そのままお呼びになってください」

 少女の目線に合わせて話せば、マリールイーズははにかむような笑みを浮かべた。
 その表情に、エバーシェリンは覚えがある。目の前の少女がこれから歩む人生を、初対面であるのに案じずにはいられなかった。

 そこで二人の会話を見守っていた青年執事が言った。

「エバーシェリン様、遠いところをお越しいただきお疲れでしょう。どうぞ中へお入りください」

 リチャード・ハイド・モーティア。
 ロングフォール子爵家の遠縁に当たる男爵家の次男である。
 二十二歳と若年にして子爵家の執事となっている彼のことを、エバーシェリンは知っている。

 彼とは学園で同窓だった。
 エバーシェリンもリチャードも、ともに王都の貴族学園で学んでいた。

 黒髪に榛色の瞳。今は長く伸びて背中で結わえている髪も、学生時代は襟足で短く切り揃えられていた。
 端正な顔立ちや、すらりとした体躯が目を引いて、令嬢たちに人気のある青年だった。

 成績も容姿も抜きん出るほどのものではなかったエバーシェリンを、彼はきっと憶えていないのだろう。
 今も、学園を卒業して四年ぶりに会うのだが、エバーシェリンのことは客人としか認識していないようだった。

 風がなく日射しが柔らかな昼下がりだった。だが、流石に屋外で長く会話をするには冷えを感じた。よい頃合いで屋敷の中へ招かれ安堵した。

「エバーシェリン様。私がご案内いたしますわ」

 少しませた口ぶりをして、マリールイーズはエバーシェリンの手を取った。その行動が子供らしく、孤独な少女がこれまで精一杯背伸びをしなければならなかったことに、再び胸が痛んだ。

「まあ、ありがとうごさいます。お願いいたします」

 そう答えれば、マリールイーズは途端に破顔した。早春の陽光が青い瞳を照らしてきらめいた。


 思った通り、屋敷の中は古い様式ではあるが美しく整えられていた。家は主の顔と言われるが、その通りなのだろう。
 行方知れずとなっている子爵家当主は、勤勉で実直な人柄で知られていた。
 領地領民の繁栄に尽力する、賢明な領主だった。

 ロングフォール子爵領は、王国の北東部に位置する。国境線にもほど近く、長く連なる山脈は大雪をもたらす。
 それでも今の時期は、麓にも春の気配が感じられたが、子爵邸は山裾やますそから少し登ったところに建てられていた。

 エバーシェリンが子爵領について詳しいのは、前もって情報を知らされていたこととは別に、ロングフォール子爵領の隣領とゆかりがあるからだった。

 ここに来たのはその隣領、ラグウッド伯爵家から遣わされてのことである。
 辻馬車を降りるまでは、伯爵家の使用人と護衛がついていた。

 ラグウッド伯爵家は、隣領で起こった子爵行方不明にあたり、当主不在の内政を王家の命にて確認することとなった。
「管財人」という名目のもと、子爵家と一人残されたマリールイーズの様子を確かめるべく、エバーシェリンに頼んだのである。


 応接室に案内されて、香りのよいお茶で冷えた身体が温まる。瀟洒しょうしゃな造りの室内も目を楽しませて、ここまでの長旅の疲れも癒えるようだった。

「それでは、レヴィルス伯爵様は三日後にご到着のご予定なのですね?」

 家令のハロルドに尋ねられて、エバーシェリンは頷いた。

「ええ。伯爵は、王都からこちらへ向かっておられます。それで予定よりも到着が遅くなっているのです」

 申し訳なく思いながら答えれば、家令も執事も、マリールイーズ以外の使用人たちは安堵するような顔をした。
 その意味を知らぬまま、マリールイーズはエバーシェリンを見つめていた。

 彼女には母がいない。
 あまりに若く娘を産んで、マリールイーズの誕生と入れ替わるように亡くなっている。

 彼女には本当のところ、父親もいない。それは行方知れずの子爵ではなく、彼女は母が未婚のまま産み落とした私生児だった。

 父と呼ぶ子爵は、母の兄である。
 妹を亡くした子爵は、マリールイーズを養女として迎えていた。

 彼にも長い婚約のあと娶った妻がいた。だがその妻はマリールイーズ誕生の前年に、初産で命を落としている。マリールイーズのように赤子は生き残ることはできなかった。母子ともども冥府に旅立ってしまった。

 その翌年に妹をお産で亡くし、子爵はもう生涯結婚しないと誓ったのだという。

 出産というものが命懸けのことであることを身をもって知った。妻も妹もその賭けに負けたように連れて行かれた。
 再婚すれば、また妻を身籠らせることになる。娶った妻を石女うまずめにするわけにはいかない。

 もう死はたくさんだ、私にはマリールイーズがいてくれると言って、彼は姪を我が子として大切に養育してきたのである。

 立て続けの不幸に、ロングフォール子爵家は哀しみに沈んでいた。それなのに、神は彼の両親、マリールイーズの祖父母も天へ召してしまわれた。

 マリールイーズが生まれた冬は殊更寒さが厳しかった。長い寒波に見舞われて、初めに祖母が感冒をこじらせた。

 それはどうやらただの感冒ではなかったらしく、麓の街にも多くの罹患者が現れた。
 祖母は高熱にうなされながら、弱り切った心がくじけてしまったのだろう。数日後には他界してしまう。それから幾日もせず、同じ病を得た祖父も妻のあとを追うように亡くなった。

 わずか数年のうちに、子爵家には父と娘だけが残された。
 その頃から、子爵家は不吉な渾名で呼ばれるようになる。

 子爵が行方をくらませたのは昨年末、間もなく聖夜がくるという雪の夜のことだった。



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