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第三章
案内された応接室には、マリールイーズのほかに、家令と執事、侍女頭とマリールイーズ付きの侍女、そして護衛騎士が一人いた。
その中でもリチャードが最も若く、あとは見たところ三十代から五十代だろうと思われた。
デイジーと名乗った侍女は、元はマリールイーズの母である子爵令嬢に仕えていたのだという。
子爵とマリールイーズは、この古めかしくも美しい佇まいの子爵邸で、使用人たちとは家族のように暮らしていたのだろう。
先ほどから気がついていたのだが、マリールイーズはエバーシェリンを目で追っているようだった。
その気配を感じて彼女を見れば、必ず青い瞳と目が合った。
その理由はきっと、エバーシェリンの容姿にあるのだろう。偶然ながら、マリールイーズの母親とは似た髪色と瞳である。
ここへ来るまでの回廊はロングギャリーとなっていて、壁には子爵家の人々だろう肖像画が飾られていた。
その中で、一際若い令嬢の絵姿があった。
濃いチョコレート色の髪は、マリールイーズも同じ色をしている。それはどうやら子爵家に受け継がれる色のようで、肖像画の人々の大半がそうだった。
通りすぎるときになって、エバーシェリンは令嬢の肖像画を間近で見た。
彼女は美しい翠色の瞳でこちらを見つめて微笑んでいた。ふわふわと柔らかそうな髪はマリールイーズと同じだった。その髪に、彼女は赤い山査子の実を飾っていた。
肖像画を描かせたのは晩秋から冬にかけてだったのか。
山査子の実は食用のほかは、聖夜に飾るリースの装飾に使われる。
花言葉は『ただひとつの恋』
花言葉が不思議なのは、ときに対比されるような言葉が一緒にあることか。山査子にはこのほかには『希望』ともう一つ、『慎重』という言葉がある。
彼女はこの時には既に、恋をしていたのだろう。宝石でも花でもなく、『ただひとつの恋』を表す赤い実を髪に挿した。
肖像画からも、彼女が可憐な令嬢だったことがわかる。持って生まれた容姿は、彼女に甘美な夢と同時に絶望を与えたのだろうか。
若々しく可憐な母の姿を、マリールイーズは物心がついてから今日まで、肖像画に探していたのだろう。
子爵の行方がわからず不安な日々に、突然現れたエバーシェリンのビリジアンの瞳に、母の面影を見つけたのではないか。
彼女は今、難しい立場にある。
不穏の種がいつ芽吹くのか。
エバーシェリンはそんな彼女をわずかな間、そばで見ていることしかできない。だがそれが管財人見習いとして託された務めだった。
エバーシェリンの本当の目的は、姿を消した子爵の行方の捜索でもなく、子爵家の会計帳簿や領地の運営の見直しでもない。
何がマリールイーズにとって望ましい選択なのかを、じっと見ていることである。
自分の人生であるのに、少女であるマリールイーズには、望む未来を選び取る力がない。
だからこそ、この屋敷の人々は小さな主を必死に守っているのだろう。
子爵がいたことで保たれていた均衡が、今になって揺らいでいる。
「エバーシェリン様のお部屋なんだけれど……」
少女らしい表情を覗かせて、マリールイーズがもじもじとした。
「その……私の隣のお部屋では、お嫌かしら」
なんとも愛らしい言い方だった。
「嫌なんてことはございませんわ。私がお隣でよろしいのでしょうか。イビキが酷くて夜中に起こしてしまったら申し訳ございません」
そう答えると、マリールイーズはクスクスと笑った。頬をそよ風に撫でられるような、くすぐったい笑みだった。
荷物は先に運ばれており、エバーシェリンは小さなハンドバッグ一つでここに来た。多分、今頃はマリールイーズの隣の部屋に荷が運び込まれているのだろう。
客間ではなく、小さな女主人の居住エリアに寝泊まりできることは、エバーシェリンにとっても都合がよかった。
間もなく王都から彼がやってくる。誠実な人だけれど、彼に頼み事をした人物はどうなのだろう。
信頼できるはずの彼からも、マリールイーズを守らねばならないのだろうか。
カップに残る紅茶を見つめて、これからどうすべきなのかを考えた。
その日は晩餐の時間まで、マリールイーズとともに過ごした。子爵家の運営状況の確認といったことは、今、エバーシェリンが手を付けても、彼が到着すれば一から見直すだろう。
なによりこの屋敷には、不正めいた匂いは感じられなかった。昼間に会った門番も含めて、使用人たちはひたすらマリールイーズを守ることに努めている。
「それじゃあ、エバーシェリン様のお住まいには、もうお庭に花が咲いているのね?」
子爵家の庭園は残雪に覆われて、芽吹きの季節はもう少し先のようだった。
「ええ。クロッカスはもう咲き終わる頃ですし、今はチェリーブロッサムが見頃になるところですわ」
「チェリーブロッサム? それはさくらんぼなのかしら?」
晩餐の席で、マリールイーズは旺盛な好奇心を露わにした。本来彼女はこういう利発な少女なのだろう。
話すたびに瑞々しい知性が窺われて、子爵は彼女に質の高い教育を与えていたようだ。
「マリールイーズ様は、ガヴァネスからお勉強を習っていらっしゃるのですか?」
そう聞いてみれば、彼女はエバーシェリンも知る名前を言った。
「ええ。ミーガン夫人から教えて頂いているのだけれど、今はお休みになっているの」
子爵が行方不明となって、ガヴァネスとの契約も途絶えてしまったのだろう。
だが、エバーシェリンが驚いたのはそこではなかった。
マリールイーズが言うミーガン夫人とは、かつて王城で妃教育に教鞭を振るっていた高名な教育者である。
エバーシェリンは王族とは近い間柄ではないが、王都にいたころ彼女の名は耳にしている。
彼女は教養ばかりでなく、権力に阿ることのない公明正大な人柄だったと聞く。
現在の王妃の王太子妃教育で、姿勢が悪いと言って、背中に長定規を差し込んだ話は有名だった。
まさかそのミーガン夫人が、こんな北の外れにあるような子爵家でガヴァネスを務めていたとは。
「その……ミーガン夫人は貴女の背中に定規を入れたりしたのかしら?」
もしやと思って尋ねてみれば、マリールイーズは目を丸くした。
「そんなことはなさらないわ。ミーガン夫人はとてもお優しかったもの。私の手を握って仰ったの」
マリールイーズはそこで、ガヴァネスを思い浮かべるような顔をした。それから彼女が言ったことを教えてくれた。
「よくできましたマリルー様。いつ王都に出ても立派なレディと胸を張って言えますわ。流石はマリルー様です、って仰ったわ」
どうやらミーガン夫人は、マリールイーズを愛称で呼ぶほど熱心に教育を授けていたようだった。
その中でもリチャードが最も若く、あとは見たところ三十代から五十代だろうと思われた。
デイジーと名乗った侍女は、元はマリールイーズの母である子爵令嬢に仕えていたのだという。
子爵とマリールイーズは、この古めかしくも美しい佇まいの子爵邸で、使用人たちとは家族のように暮らしていたのだろう。
先ほどから気がついていたのだが、マリールイーズはエバーシェリンを目で追っているようだった。
その気配を感じて彼女を見れば、必ず青い瞳と目が合った。
その理由はきっと、エバーシェリンの容姿にあるのだろう。偶然ながら、マリールイーズの母親とは似た髪色と瞳である。
ここへ来るまでの回廊はロングギャリーとなっていて、壁には子爵家の人々だろう肖像画が飾られていた。
その中で、一際若い令嬢の絵姿があった。
濃いチョコレート色の髪は、マリールイーズも同じ色をしている。それはどうやら子爵家に受け継がれる色のようで、肖像画の人々の大半がそうだった。
通りすぎるときになって、エバーシェリンは令嬢の肖像画を間近で見た。
彼女は美しい翠色の瞳でこちらを見つめて微笑んでいた。ふわふわと柔らかそうな髪はマリールイーズと同じだった。その髪に、彼女は赤い山査子の実を飾っていた。
肖像画を描かせたのは晩秋から冬にかけてだったのか。
山査子の実は食用のほかは、聖夜に飾るリースの装飾に使われる。
花言葉は『ただひとつの恋』
花言葉が不思議なのは、ときに対比されるような言葉が一緒にあることか。山査子にはこのほかには『希望』ともう一つ、『慎重』という言葉がある。
彼女はこの時には既に、恋をしていたのだろう。宝石でも花でもなく、『ただひとつの恋』を表す赤い実を髪に挿した。
肖像画からも、彼女が可憐な令嬢だったことがわかる。持って生まれた容姿は、彼女に甘美な夢と同時に絶望を与えたのだろうか。
若々しく可憐な母の姿を、マリールイーズは物心がついてから今日まで、肖像画に探していたのだろう。
子爵の行方がわからず不安な日々に、突然現れたエバーシェリンのビリジアンの瞳に、母の面影を見つけたのではないか。
彼女は今、難しい立場にある。
不穏の種がいつ芽吹くのか。
エバーシェリンはそんな彼女をわずかな間、そばで見ていることしかできない。だがそれが管財人見習いとして託された務めだった。
エバーシェリンの本当の目的は、姿を消した子爵の行方の捜索でもなく、子爵家の会計帳簿や領地の運営の見直しでもない。
何がマリールイーズにとって望ましい選択なのかを、じっと見ていることである。
自分の人生であるのに、少女であるマリールイーズには、望む未来を選び取る力がない。
だからこそ、この屋敷の人々は小さな主を必死に守っているのだろう。
子爵がいたことで保たれていた均衡が、今になって揺らいでいる。
「エバーシェリン様のお部屋なんだけれど……」
少女らしい表情を覗かせて、マリールイーズがもじもじとした。
「その……私の隣のお部屋では、お嫌かしら」
なんとも愛らしい言い方だった。
「嫌なんてことはございませんわ。私がお隣でよろしいのでしょうか。イビキが酷くて夜中に起こしてしまったら申し訳ございません」
そう答えると、マリールイーズはクスクスと笑った。頬をそよ風に撫でられるような、くすぐったい笑みだった。
荷物は先に運ばれており、エバーシェリンは小さなハンドバッグ一つでここに来た。多分、今頃はマリールイーズの隣の部屋に荷が運び込まれているのだろう。
客間ではなく、小さな女主人の居住エリアに寝泊まりできることは、エバーシェリンにとっても都合がよかった。
間もなく王都から彼がやってくる。誠実な人だけれど、彼に頼み事をした人物はどうなのだろう。
信頼できるはずの彼からも、マリールイーズを守らねばならないのだろうか。
カップに残る紅茶を見つめて、これからどうすべきなのかを考えた。
その日は晩餐の時間まで、マリールイーズとともに過ごした。子爵家の運営状況の確認といったことは、今、エバーシェリンが手を付けても、彼が到着すれば一から見直すだろう。
なによりこの屋敷には、不正めいた匂いは感じられなかった。昼間に会った門番も含めて、使用人たちはひたすらマリールイーズを守ることに努めている。
「それじゃあ、エバーシェリン様のお住まいには、もうお庭に花が咲いているのね?」
子爵家の庭園は残雪に覆われて、芽吹きの季節はもう少し先のようだった。
「ええ。クロッカスはもう咲き終わる頃ですし、今はチェリーブロッサムが見頃になるところですわ」
「チェリーブロッサム? それはさくらんぼなのかしら?」
晩餐の席で、マリールイーズは旺盛な好奇心を露わにした。本来彼女はこういう利発な少女なのだろう。
話すたびに瑞々しい知性が窺われて、子爵は彼女に質の高い教育を与えていたようだ。
「マリールイーズ様は、ガヴァネスからお勉強を習っていらっしゃるのですか?」
そう聞いてみれば、彼女はエバーシェリンも知る名前を言った。
「ええ。ミーガン夫人から教えて頂いているのだけれど、今はお休みになっているの」
子爵が行方不明となって、ガヴァネスとの契約も途絶えてしまったのだろう。
だが、エバーシェリンが驚いたのはそこではなかった。
マリールイーズが言うミーガン夫人とは、かつて王城で妃教育に教鞭を振るっていた高名な教育者である。
エバーシェリンは王族とは近い間柄ではないが、王都にいたころ彼女の名は耳にしている。
彼女は教養ばかりでなく、権力に阿ることのない公明正大な人柄だったと聞く。
現在の王妃の王太子妃教育で、姿勢が悪いと言って、背中に長定規を差し込んだ話は有名だった。
まさかそのミーガン夫人が、こんな北の外れにあるような子爵家でガヴァネスを務めていたとは。
「その……ミーガン夫人は貴女の背中に定規を入れたりしたのかしら?」
もしやと思って尋ねてみれば、マリールイーズは目を丸くした。
「そんなことはなさらないわ。ミーガン夫人はとてもお優しかったもの。私の手を握って仰ったの」
マリールイーズはそこで、ガヴァネスを思い浮かべるような顔をした。それから彼女が言ったことを教えてくれた。
「よくできましたマリルー様。いつ王都に出ても立派なレディと胸を張って言えますわ。流石はマリルー様です、って仰ったわ」
どうやらミーガン夫人は、マリールイーズを愛称で呼ぶほど熱心に教育を授けていたようだった。
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