エバーシェリンは百舌鳥の巣に入る

桃井すもも

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第五章

「それでは、私から申し上げてよろしいでしょうか」

 そう言って、ハロルドは話し始めた。

「あの夜」

 子爵はその日、外出してから帰宅が遅くなっていた。
 晩餐の時間になっても帰ってこず、マリールイーズは酷く心配したという。

「旦那様は、午後も遅くなってからお出かけになりました。それでお帰りになられた時には、すっかり夜になっておりました」

「遅かったということは、一旦は戻っていらしたのですね?」

 エバーシェリンが尋ねると、ハロルドは「はい」と答えた。

「マリールイーズ様へのお誕生祝いの品が出来上がる日でした。その日の午後には仕上げると、店主はそう言ったので」

「お誕生祝い……マリールイーズ様のお誕生日はいつですの?」

「聖夜です。あのお方は、聖なる夜に神がお授けになられた奇蹟なのです」

「奇蹟……」


 ハロルドはそれから、仔細についてを語った。

 子爵はその日、麓にある宝飾店へ向かった。小さな店だが、良質の色石を取り揃えており腕もよい。子爵家では長く贔屓ひいきにしていた。
 主人と職人がいるだけで、外商のような人手のない店だった。それで子爵は、領地の視察も兼ねて自ら赴くことにしていた。

 数日前から大雪が続いており、ハロルドもリチャードも、翌朝、明るくなってから行くように勧めた。リチャードに至っては、それなら自分が取りに行くとも言った。

『マリールイーズへの贈り物だよ。最初に私が確かめたいんだ』

 子爵はそう言ったという。
 そこでリチャードは、自分も同行すると申し出た。

『いや、帰りはだいぶ遅くなる。きっとマリールイーズが心配するだろう。君はあの子のそばにいてやってくれ』

 そう言って、護衛を一人つけて馬車ではなく馬で向かった。

「大雪とは、その日も?」
「ええ。朝から振り続いておりました。幸い風がなく、春先の雪のように湿ってもおりませんでした。それに、我が子爵家の馬は雪道に強いのです」

 エバーシェリンは、馬車に繋がれていた黒馬を思い出した。大きな体躯の馬は胸回りも脚の太さも規格外で、たてがみは長く艷やかだった。

「その夜は流石に馬も雪に足を取られたようで、お戻りはすっかり遅くなってしまわれました」

 ハロルドは続けた。

「旦那様は、雪塗れになってお戻りになられました。ですが大変嬉しそうなお顔をなさいました」

『ハロルド、良い品だった。きっとあの子に似合うだろう。聖夜が楽しみだな』

 子爵は若干浮かれ気味になって、心配した使用人たちが拍子抜けするほどだった。

『ああ、リチャード。マリールイーズはもう寝てしまったかな。そうか、心配させて可哀想なことをした』

 そう言って、子爵は懐から小箱を取り出した。

『明日、あの子に食べさせてやってくれ』

 マリールイーズはチョコレートが好きだった。子爵は娘への土産にチョコレートを買っていた。

「キノコの形をしたトリュフチョコレートでございました。チョコレートトリュフのトリュフだと仰って。きっと、マリールイーズ様がそれでお笑いになるのを思い浮かべていらしたのでしょう」

 エバーシェリンは、胸が苦しくなってそれ以上は聞きたくないと思った。
 子爵は結局、マリールイーズが喜ぶ顔を見ることはできなかった。そしてマリールイーズはあの日から、何日も笑えずに暮らしていたのだろう。

「はあ」

 思わずついてしまった溜め息だった。子爵は屋敷に戻っていた。それなのに、どうして行方知れずになったのか。

 エバーシェリンの様子に、あの夜を思い出したのか、ジョージアナもまた釣られるように溜め息をついた。

 だが、重要な話はここからだった。

「子爵はお戻りになったのに、どうして居場所がわからなくなったのです?」

 この質問こそ、彼らが数え切れぬほど受けたものだろう。それにもかかわらず、もう一度あの夜を思い出そうとしている。

「雪がいっとき止んだのです」

 そう言ったのはリチャードだった。

「満月を過ぎたばかりでしたから、雪雲の間から大きな月が見えて月明かりが差したのです。玄関ポーチが明るく見えて、そこで旦那様が仰いました」

『おや? 雪が止んだぞ。そうだ、今のうちに』

「今のうちになんと?」

 リチャードに尋ねると、彼は無言のまま首を横に振った。

「旦那様はそこで私に贈り物をお預けになると、再び外に出られました。どこに行くとは仰いませんでした。私がお尋ねすると、すぐ戻ると」

『心配いらない、ああ、付いてこなくて大丈夫だよ、ここは私の屋敷だぞ?』

「そう仰って出て行かれました」

 それが子爵の最後の姿となった。
 すぐ戻ると言ったまま、束の間の雪の晴れ間に屋敷を出た。

「ここは私の屋敷だぞ……。それって、門から外には出ていない、屋敷の近くということなのでは?」

 エバーシェリンが考えたことは、既に皆が考えていたのだろう。暗い表情のまま、ハロルドが言った。

「誰もがそう思いました。旦那様は遠くには行かれてはいないと。側付きを付けずに敷地内を歩くことは、珍しいことではございませんでした」

 子爵はこの屋敷で生まれ育っている。どこもかしこも幼い頃から自由に歩いた、言わば、目を瞑っていても歩ける場所だった。

「雪が止んだのはほんの数分のことでした。すぐに大粒の綿雪が降ってきました」

 ハロルドは、その風景を生涯忘れられなくなっただろう。
 何度も繰り返し思い出して、主がいつ、どこへ行ってしまったのか、今も考え続けている。

 それはきっと彼ばかりではないのだろう。子爵邸は今もまだ、聖夜が間近な雪の夜から時が進まないままでいる。

「まるで神隠しに遭ったように、旦那様は消えてしまわれた」

 ハロルドの声が、主の戻らない執務室に響いた。

 子爵家には、いつになったら春が来るのか。
 マリールイーズが心からの笑える日は、いつになったら訪れるのだろう。



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