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第七章
明日にはレヴィルス伯爵が来るという日になって、エバーシェリンはマリールイーズと一緒にいた。
彼女には常にリチャードが付き添っている。
マリールイーズと一緒にいるということは、必然的に彼ももれなくついてくる。
それも仕方のないことだった。
マリールイーズには、同年代の友人が一人もいない。リチャードや侍女のデイジーといった使用人たちが彼女の話し相手だった。
彼女はこれまで、静かに秘されるように生きてきた。本人はそれを当たり前と思うようで、自身の境遇へ疑問を抱く様子は見えない。
マリールイーズの濃く澄んだロイヤル・ブルーの瞳は、実はそれほど珍しいものではない。
貴族にも王族の血を引く者は多い。
高位貴族であれば、辿れば先祖に王女や王子が降嫁や臣籍降下している。
そんな家からは、当然ながら王族の特徴を受け継ぐ者が現れる。
王家の色とされるロイヤル・ブルーの瞳にしても、王都の社交界なら時折見かけるものだった。
だがここは、辺境伯領とも接する王国の端である。彼女の瞳を見て、美しいとだけ思う貴族は皆無だろう。
なにより子爵は理由があってマリールイーズを世間から遠ざけていた。それは公然の秘密と言ってよいものだったが、秘することに変わりはなかった。
マリールイーズは、いつまでも子供のままではいられない。領主としての将来を考えるなら、いずれは学園で学ばねばならない。
だがそれにしても、必ず王都の学園でなければいけないわけではない。
王都のほかにも学び舎はあり、ここからなら王国の東側に令嬢ばかりの寄宿学校がある。
マリールイーズの将来について、子爵がどう考えていたかはわからない。少なくとも爵位を継ぐまでは、王都には行かせない心づもりでいたのだろう。
マリールイーズが女子爵となったときには、リチャードが伴侶となり彼女を守る。
子爵はきっと、その日を頼みにして愛娘を守り続けていたのではないか。
エバーシェリンは子爵とは面識がない。
だが、人伝に聞く彼は実直で意志が固く、思いやりがあって愛情深い。
ここに来るまでに接した麓の人々が領主様と呼ぶ声には、はっきりと親しみや敬愛が込められていた。
彼らもまた子爵の行方を案じている。そしてマリールイーズの身の上についても理解している。領民たちは、王家の血を引く彼女のことを外に漏らせない秘密としながら、子爵領にもたらされた誇りと思っている。
前領主の娘だったパトリシアの記憶は、彼らの中で今も消えてはいなかった。かつて人々を魅了する可憐な子爵令嬢がいたことを、彼女が遺した「奇蹟」とともに大切に思っている。
そんな子爵領こそマリールイーズが最も穏やかに暮らせる場所であることは、明らかなことだった。
「エバーシェリン様、どうかしら」
マリールイーズはそう言って、エバーシェリンを見上げた。
なんて愛らしい表情なのか。涼しげな父親似の面立ちも、こんな時には年相応の少女そのものとなる。
二人はマリールイーズの私室にいて、隣同士になって刺繍をしていた。
ミーガン夫人から手ほどきを受けている彼女は、この辺りでは珍しい王都流の刺繍を刺す。
国境にほど近い子爵領近辺は、隣国の刺繍のほうが主流となっている。アルファベットで頭文字を刺すにしても図案が異なる。
辿れば元は同じ民族なのだろう隣国のものは、格式ばった厳格なデザインが多く、王都では、今は流麗な飾り文字が流行っている。
エバーシェリンにしても、最近の王都の流行りには疎くなっていた。学生時代は王都にいたが、今は離れて久しい。
もしかしたら、ミーガン夫人のほうが流行に敏感なのではと思ったが、マリールイーズが持ち出した刺繍図案集はエバーシェリンが持っているものと同じだった。
今日も朝からよい天気で、窓から差し込む日射しはぽかぽかと暖かい。
窓辺に椅子を置いて、マリールイーズと肩を並べて刺繍をしていた。
マリールイーズは今、濃紺のハンカチに「R」の文字を刺繍している。
銀色の糸で、糸が捩れていないことを確かめながら、丁寧に針を刺す。その手つきには、贈る相手へ向ける確かな想いが感じられた。
銀糸は扱いが難しい。刺し直しなどすれば、たちまち箔が剥げてしまう。しなやかさにも乏しく、糸を引きすぎると薄い生地ならつっぱってしまう。
だが、仕上がりはほかの糸にはない気品がある。
濃紺のハンカチに銀色の糸が映えて、それが日射しを浴びて燦めいた。
小さな手の中にある刺しかけの刺繍は、もうすでに美しかった。
昨日の午後から刺し始めていたのだが、ミーガン夫人の自慢の生徒は筋がよかった。朝餉を済ませてすぐに刺繍をしていたのだが、この分なら今日中に仕上がりそうだった。
明日、王都から彼が到着すれば、エバーシェリンは勿論だが、リチャードも応対しなければならないだろう。
「今日中にお渡ししましょうね」
小さな耳に近寄り囁けば、彼女はその意味がわかったようで頰を染めた。
少女はいつまでも子供ではない。
一日一日成長して、心に抱く想いも育っていく。
一回りも年上の青年に、彼女は確かな思慕を抱いている。それがどんな感情なのか、わざわざ名前をつける必要はないだろう。
扱いの難しい糸を使い、限りなく黒に近い濃紺の生地に刺繍する。黒髪の青年が喜んでくれるのか、そればかりを考えている。
その小さな背中を見守る青年は、贈られることを知りながら、どんな気持ちでいるのか。
生憎、彼はエバーシェリンたちの後ろにいて、その表情はどんなであるかわからなかった。
彼女には常にリチャードが付き添っている。
マリールイーズと一緒にいるということは、必然的に彼ももれなくついてくる。
それも仕方のないことだった。
マリールイーズには、同年代の友人が一人もいない。リチャードや侍女のデイジーといった使用人たちが彼女の話し相手だった。
彼女はこれまで、静かに秘されるように生きてきた。本人はそれを当たり前と思うようで、自身の境遇へ疑問を抱く様子は見えない。
マリールイーズの濃く澄んだロイヤル・ブルーの瞳は、実はそれほど珍しいものではない。
貴族にも王族の血を引く者は多い。
高位貴族であれば、辿れば先祖に王女や王子が降嫁や臣籍降下している。
そんな家からは、当然ながら王族の特徴を受け継ぐ者が現れる。
王家の色とされるロイヤル・ブルーの瞳にしても、王都の社交界なら時折見かけるものだった。
だがここは、辺境伯領とも接する王国の端である。彼女の瞳を見て、美しいとだけ思う貴族は皆無だろう。
なにより子爵は理由があってマリールイーズを世間から遠ざけていた。それは公然の秘密と言ってよいものだったが、秘することに変わりはなかった。
マリールイーズは、いつまでも子供のままではいられない。領主としての将来を考えるなら、いずれは学園で学ばねばならない。
だがそれにしても、必ず王都の学園でなければいけないわけではない。
王都のほかにも学び舎はあり、ここからなら王国の東側に令嬢ばかりの寄宿学校がある。
マリールイーズの将来について、子爵がどう考えていたかはわからない。少なくとも爵位を継ぐまでは、王都には行かせない心づもりでいたのだろう。
マリールイーズが女子爵となったときには、リチャードが伴侶となり彼女を守る。
子爵はきっと、その日を頼みにして愛娘を守り続けていたのではないか。
エバーシェリンは子爵とは面識がない。
だが、人伝に聞く彼は実直で意志が固く、思いやりがあって愛情深い。
ここに来るまでに接した麓の人々が領主様と呼ぶ声には、はっきりと親しみや敬愛が込められていた。
彼らもまた子爵の行方を案じている。そしてマリールイーズの身の上についても理解している。領民たちは、王家の血を引く彼女のことを外に漏らせない秘密としながら、子爵領にもたらされた誇りと思っている。
前領主の娘だったパトリシアの記憶は、彼らの中で今も消えてはいなかった。かつて人々を魅了する可憐な子爵令嬢がいたことを、彼女が遺した「奇蹟」とともに大切に思っている。
そんな子爵領こそマリールイーズが最も穏やかに暮らせる場所であることは、明らかなことだった。
「エバーシェリン様、どうかしら」
マリールイーズはそう言って、エバーシェリンを見上げた。
なんて愛らしい表情なのか。涼しげな父親似の面立ちも、こんな時には年相応の少女そのものとなる。
二人はマリールイーズの私室にいて、隣同士になって刺繍をしていた。
ミーガン夫人から手ほどきを受けている彼女は、この辺りでは珍しい王都流の刺繍を刺す。
国境にほど近い子爵領近辺は、隣国の刺繍のほうが主流となっている。アルファベットで頭文字を刺すにしても図案が異なる。
辿れば元は同じ民族なのだろう隣国のものは、格式ばった厳格なデザインが多く、王都では、今は流麗な飾り文字が流行っている。
エバーシェリンにしても、最近の王都の流行りには疎くなっていた。学生時代は王都にいたが、今は離れて久しい。
もしかしたら、ミーガン夫人のほうが流行に敏感なのではと思ったが、マリールイーズが持ち出した刺繍図案集はエバーシェリンが持っているものと同じだった。
今日も朝からよい天気で、窓から差し込む日射しはぽかぽかと暖かい。
窓辺に椅子を置いて、マリールイーズと肩を並べて刺繍をしていた。
マリールイーズは今、濃紺のハンカチに「R」の文字を刺繍している。
銀色の糸で、糸が捩れていないことを確かめながら、丁寧に針を刺す。その手つきには、贈る相手へ向ける確かな想いが感じられた。
銀糸は扱いが難しい。刺し直しなどすれば、たちまち箔が剥げてしまう。しなやかさにも乏しく、糸を引きすぎると薄い生地ならつっぱってしまう。
だが、仕上がりはほかの糸にはない気品がある。
濃紺のハンカチに銀色の糸が映えて、それが日射しを浴びて燦めいた。
小さな手の中にある刺しかけの刺繍は、もうすでに美しかった。
昨日の午後から刺し始めていたのだが、ミーガン夫人の自慢の生徒は筋がよかった。朝餉を済ませてすぐに刺繍をしていたのだが、この分なら今日中に仕上がりそうだった。
明日、王都から彼が到着すれば、エバーシェリンは勿論だが、リチャードも応対しなければならないだろう。
「今日中にお渡ししましょうね」
小さな耳に近寄り囁けば、彼女はその意味がわかったようで頰を染めた。
少女はいつまでも子供ではない。
一日一日成長して、心に抱く想いも育っていく。
一回りも年上の青年に、彼女は確かな思慕を抱いている。それがどんな感情なのか、わざわざ名前をつける必要はないだろう。
扱いの難しい糸を使い、限りなく黒に近い濃紺の生地に刺繍する。黒髪の青年が喜んでくれるのか、そればかりを考えている。
その小さな背中を見守る青年は、贈られることを知りながら、どんな気持ちでいるのか。
生憎、彼はエバーシェリンたちの後ろにいて、その表情はどんなであるかわからなかった。
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