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第九章
「マリールイーズ嬢。よろしければ君をエスコートさせては頂けないかな」
ロバートソンの言葉に、マリールイーズばかりでなく、周囲も驚き息を呑んだ。勿論、エバーシェリンも驚いた。
彼はたった今、到着して挨拶を交わしたばかりで、相手は年端もいかない少女である。
なにより子爵家の人々は、ロバートソンを警戒している。
彼はフェルナンドの遣いだと、そう認識されている。それも当然のことだとエバーシェリンでさえ思う。
子爵家の人々は、王家が子爵行方不明の事態に乗じようとしていると考えているだろう。
今頃になってマリールイーズを掠め取るように奪おうと目論んでいると、血ばかりを求める王家に不審と警戒を強めている。
そのことを状況ばかりでなく肌で感じている筈なのに、ロバートソンは瞳を柔らかく細めると、マリールイーズに手を差し出した。
彼女にはリチャードがついている。だが彼の身分は男爵家の次男という、伯爵家当主に物言える立場ではない。
仕方ない。
ここで、この誰の懐にもするりと入り込む人タラシを制御できそうなのは、自分しかいないだろう。
エバーシェリンは、彼の邪魔をしたいわけではないが、厳しい表情を浮かべるリチャードの心中が痛いほどわかった。
彼にとって、マリールイーズこそ本当の意味で「姫」だろう。
小さな手が扱いの難しい銀糸で刺繍をしたのは、ひとえに彼に贈りたいためである。
ひと刺しひと刺し、彼女の手が「R」の文字を生み出す過程を、彼は静かに見守っていた。その気持ちは、言葉に表す必要なんてないだろう。
彼はあの後、マリールイーズからハンカチを贈られたときに、彼女の前で跪いた。
それはまるで、童話のナイトが姫君に騎士の誓いを捧げるように見えた。
エバーシェリンはすっかり胸を打たれてしまって、頬を染めるマリールイーズの姿が涙で霞んでよく見えなかった。
一回りの年の差など、貴族にはよくあることだろう。同じ年の差でも、相手が老人ということだって珍しい話ではない。それで睦まじい夫婦だっている。
少女であるマリールイーズがリチャードへ抱く想いが、親愛なのか幼い恋心なのかわからない。
だが、二人は確かに相愛と言ってよいし、リチャードにとってマリールイーズは、正真正銘「姫君」だった。
エバーシェリンはそこで、マリールイーズの前にいるロバートソンに声をかけた。
「ロバートソン様。マリールイーズ様にはエスコートなさるお方がおいでですわ」
エバーシェリンの言葉で、周囲の雰囲気が明らかに和らいだ。マリールイーズに至っては、横にいるリチャードを見上げて控えめな笑みを浮かべている。
すっかりお邪魔虫扱いとなったロバートソンは、だがそれでへこたれるような男ではなかった。
「なるほど。姫君にはすでにナイトがおいでか」
まるでエバーシェリンの心の中を覗いたようなことを言った。
そればかりでなく、
「それでは私は、君をエスコートしようかな。エバーシェリン」
そう言って、心底楽しそうに笑った。
こうしてエバーシェリンは、なし崩し的にロバートソンにエスコートされることとなった。
エスコートといっても、玄関ホールに入るまでのことである。ロバートソンは初めから揶揄っていただけだった。
二人で並んで歩いていると、ロバートソンが話しかけてきた。彼は背が高いから、エバーシェリンと会話するには少し身体を屈める。
「まさか君が来るなんて」
「私も驚いております」
エバーシェリンがここに来たのは、名目上では管財人、の見習いである。
だからそのままをロバートソンに伝えた。
「ヘンリー様から命を受けましたの」
「……へえ。どんな?」
「管財人、の見習いですわ」
そこでロバートソンが「ぶふっ」と吹いた。失礼である。
横目で抗議の眼差しを向ければ、彼は「ごめん」と言いながら、また小さく吹き出した。
「どうして君が?」
「ヘンリー様に呼ばれてしまいましたもの。私にお断りなんてこと、できませんわ」
「確かに。だが君が来てしまっては、そうだ、マリルーはどうしてる?」
マリルーとは、マリールイーズのことではない。同じ愛称を持つほかの令嬢のことである。
「ラグウッド邸におりますわ」
「なんだって?」
そこでロバートソンは立ち止まった。お陰で、後ろからついていた侍女がぶつかりそうになって慌てた。
「貴方が会いたいだろうと思ったんです。ご迷惑でした?」
「いや、そうじゃない、その、長旅は危ないじゃないか」
「……」
エバーシェリンは、隣領のラグウッド伯爵邸から更に北に位置する子爵家まで来ていた。それだって十分長旅である。
「んっん、まあ、私は君のことを考えて気が気ではなかった」
「……」
「本当だ」
ロバートソンの言葉が嘘ではないとわかっている。ただ珍しく必死な様子の彼が面白くて放っておいた。
子爵邸に入って、彼はこれから「子爵行方不明の状況確認」という体で、子爵家の人々から事情を聴くこととなっている。
エバーシェリンも同席するのだが、その前に、ほんの少し揺さぶりをかけることにした。
「ここまでいらしたのですから、ヘンリー様にもご挨拶をお忘れにならないでくださいませ」
ヘンリーとは、前ラグウッド伯爵家当主である。
伯爵家はすでに子息が跡を継いでいるが、隠居となったヘンリーは矍鑠としており、息子である当主も頭が上がらない。
そのヘンリー翁に呼び出されて、エバーシェリンは「管財人、の見習い」を仰せつかることとなった。
本来なら、隣領ということで王家から子爵家の様子見を任されたラグウッド伯爵家は、王家側と言えるだろう。
だが実情は、ヘンリーが目を光らせていることで、子爵家は王家に介入されずにいる。
エバーシェリンはここで加わったロバートソンが、フェルナンドとヘンリーのどちらに傾くのか、中立の立場となって見守らなければならないだろう。
ロバートソンの言葉に、マリールイーズばかりでなく、周囲も驚き息を呑んだ。勿論、エバーシェリンも驚いた。
彼はたった今、到着して挨拶を交わしたばかりで、相手は年端もいかない少女である。
なにより子爵家の人々は、ロバートソンを警戒している。
彼はフェルナンドの遣いだと、そう認識されている。それも当然のことだとエバーシェリンでさえ思う。
子爵家の人々は、王家が子爵行方不明の事態に乗じようとしていると考えているだろう。
今頃になってマリールイーズを掠め取るように奪おうと目論んでいると、血ばかりを求める王家に不審と警戒を強めている。
そのことを状況ばかりでなく肌で感じている筈なのに、ロバートソンは瞳を柔らかく細めると、マリールイーズに手を差し出した。
彼女にはリチャードがついている。だが彼の身分は男爵家の次男という、伯爵家当主に物言える立場ではない。
仕方ない。
ここで、この誰の懐にもするりと入り込む人タラシを制御できそうなのは、自分しかいないだろう。
エバーシェリンは、彼の邪魔をしたいわけではないが、厳しい表情を浮かべるリチャードの心中が痛いほどわかった。
彼にとって、マリールイーズこそ本当の意味で「姫」だろう。
小さな手が扱いの難しい銀糸で刺繍をしたのは、ひとえに彼に贈りたいためである。
ひと刺しひと刺し、彼女の手が「R」の文字を生み出す過程を、彼は静かに見守っていた。その気持ちは、言葉に表す必要なんてないだろう。
彼はあの後、マリールイーズからハンカチを贈られたときに、彼女の前で跪いた。
それはまるで、童話のナイトが姫君に騎士の誓いを捧げるように見えた。
エバーシェリンはすっかり胸を打たれてしまって、頬を染めるマリールイーズの姿が涙で霞んでよく見えなかった。
一回りの年の差など、貴族にはよくあることだろう。同じ年の差でも、相手が老人ということだって珍しい話ではない。それで睦まじい夫婦だっている。
少女であるマリールイーズがリチャードへ抱く想いが、親愛なのか幼い恋心なのかわからない。
だが、二人は確かに相愛と言ってよいし、リチャードにとってマリールイーズは、正真正銘「姫君」だった。
エバーシェリンはそこで、マリールイーズの前にいるロバートソンに声をかけた。
「ロバートソン様。マリールイーズ様にはエスコートなさるお方がおいでですわ」
エバーシェリンの言葉で、周囲の雰囲気が明らかに和らいだ。マリールイーズに至っては、横にいるリチャードを見上げて控えめな笑みを浮かべている。
すっかりお邪魔虫扱いとなったロバートソンは、だがそれでへこたれるような男ではなかった。
「なるほど。姫君にはすでにナイトがおいでか」
まるでエバーシェリンの心の中を覗いたようなことを言った。
そればかりでなく、
「それでは私は、君をエスコートしようかな。エバーシェリン」
そう言って、心底楽しそうに笑った。
こうしてエバーシェリンは、なし崩し的にロバートソンにエスコートされることとなった。
エスコートといっても、玄関ホールに入るまでのことである。ロバートソンは初めから揶揄っていただけだった。
二人で並んで歩いていると、ロバートソンが話しかけてきた。彼は背が高いから、エバーシェリンと会話するには少し身体を屈める。
「まさか君が来るなんて」
「私も驚いております」
エバーシェリンがここに来たのは、名目上では管財人、の見習いである。
だからそのままをロバートソンに伝えた。
「ヘンリー様から命を受けましたの」
「……へえ。どんな?」
「管財人、の見習いですわ」
そこでロバートソンが「ぶふっ」と吹いた。失礼である。
横目で抗議の眼差しを向ければ、彼は「ごめん」と言いながら、また小さく吹き出した。
「どうして君が?」
「ヘンリー様に呼ばれてしまいましたもの。私にお断りなんてこと、できませんわ」
「確かに。だが君が来てしまっては、そうだ、マリルーはどうしてる?」
マリルーとは、マリールイーズのことではない。同じ愛称を持つほかの令嬢のことである。
「ラグウッド邸におりますわ」
「なんだって?」
そこでロバートソンは立ち止まった。お陰で、後ろからついていた侍女がぶつかりそうになって慌てた。
「貴方が会いたいだろうと思ったんです。ご迷惑でした?」
「いや、そうじゃない、その、長旅は危ないじゃないか」
「……」
エバーシェリンは、隣領のラグウッド伯爵邸から更に北に位置する子爵家まで来ていた。それだって十分長旅である。
「んっん、まあ、私は君のことを考えて気が気ではなかった」
「……」
「本当だ」
ロバートソンの言葉が嘘ではないとわかっている。ただ珍しく必死な様子の彼が面白くて放っておいた。
子爵邸に入って、彼はこれから「子爵行方不明の状況確認」という体で、子爵家の人々から事情を聴くこととなっている。
エバーシェリンも同席するのだが、その前に、ほんの少し揺さぶりをかけることにした。
「ここまでいらしたのですから、ヘンリー様にもご挨拶をお忘れにならないでくださいませ」
ヘンリーとは、前ラグウッド伯爵家当主である。
伯爵家はすでに子息が跡を継いでいるが、隠居となったヘンリーは矍鑠としており、息子である当主も頭が上がらない。
そのヘンリー翁に呼び出されて、エバーシェリンは「管財人、の見習い」を仰せつかることとなった。
本来なら、隣領ということで王家から子爵家の様子見を任されたラグウッド伯爵家は、王家側と言えるだろう。
だが実情は、ヘンリーが目を光らせていることで、子爵家は王家に介入されずにいる。
エバーシェリンはここで加わったロバートソンが、フェルナンドとヘンリーのどちらに傾くのか、中立の立場となって見守らなければならないだろう。
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