エバーシェリンは百舌鳥の巣に入る

桃井すもも

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第十四章

「マリールイーズ様……」

 扉が開かれ、隙間からマリールイーズが顔を覗かせた。
 エバーシェリンの声に扉を開けてくれた少女の目元は、暗がりでもわかるほど、ほんのり紅くなっていた。

 エバーシェリンはそんな少女に、咄嗟にどう声を掛けてよいのか、言葉が見つからなかった。

「入れていただいてもよろしい?」

 ランプも持たず寝間着のまま扉の前に立つエバーシェリンに、マリールイーズははしたないなんてことは言わない。
 こくりと頷くと、扉を開いて中へ入れてくれた。

 デイジーが遅い時間まで暖炉の火を絶やさないでいたのだろう。マリールイーズの部屋は冷えた夜でもほのかに暖が残っていた。

「エバーシェリン様は、起きていらしたの?」

 マリールイーズは鼻声だった。
 泣いている貴女が気になったのだとは言えないから、
「枕が変わると寝られない癖があるのです」と答えた。

「マリールイーズ様も、起きていらしたのね?」

 そう尋ねれば、少女は俯き加減になって再びこくりと頷いた。

 さてどうしたものか。気になってそのままにはできなかった。だがこれでは真夜中に押しかけて眠りを妨害しただけとなる。
 かといって、このまま部屋に戻るのも違う気がする。なによりエバーシェリンは、もうこれ以上、マリールイーズを独りにはしたくなかった。

 暗闇の中で流す涙は、時に出口を見失わせる。夜がいつまでも続くようで、哀しみもいつまでも癒えないような気持ちにさせられる。

 マリールイーズは、もう十分すぎるほど、そんな夜を独りきりで過ごした筈だ。だから今夜くらいは珍客に眠りを妨げられても、優しいこの子は許してくれるだろう。

「マリールイーズ様、よろしければ今晩は一緒に寝ませんか?」
「え?」

 母親を知らない彼女はきっと、人肌に包まれながら眠る温もりも知らないだろう。子爵がどれほど彼女を大切にしても、流石に添い寝は無理だと思った。
 そもそも貴族の令嬢は、幼い頃から一人寝で、添い寝なんて経験のほうが珍しい。

「なんてことはございませんわ。ただ一緒の毛布にくるまって、侍女に見つからないように、ひそひそ内緒のお話をするんです」

「内緒のお話?」

 途端に瞳に光を取り戻したマリールイーズの肩を抱く。そのまま寝台へ歩きながら、エバーシェリンは続けた。

「女の子は、秘密が多いものなのです」
「女の子の、秘密……」

 エバーシェリンは、幼い頃に友人を招いたお泊まり会を思い出した。

 丁度、今のマリールイーズと同じ年頃だった。確か友人が婚約したばかりで、二人で寝台に潜り込んで「婚約者」について飽きるまで話し続けた。

 彼女も今は妻となり母となっている。
 当時の婚約者、後の夫のことを、夜通し友人に話して聞かせたことも、多忙な彼女は忘れてしまっただろう。

 懐かしい思い出に、エバーシェリンはふっと笑みを漏らした。そのささやかな気配をマリールイーズは見落とさなかった。

「女の子の秘密のお話とは、楽しいものなのですか?」

 どうやら彼女は、「女の子の秘密」という言葉の響きに引きつけられたようだった。

 二人はそこで、並んで寝台の縁に腰掛けた。
 素足に床から冷気が上がって冷えを感じた。

「さあ、マリールイーズ様。裸足のままではお寒いでしょう。風邪を引いてしまっては、デイジーが心配してしまいますわ」

 侍女の名前が出たことで、マリールイーズもそれはいけないと思ったようだ。寝台に上がると這うように端のほうへ移動し、エバーシェリンにも、というようにスペースを空けてくれた。

 女の子はこれだから可愛らしくて堪らない。
 少女のこんな愛らしい時期を、パトリシアは知ることができなかった。
 永遠の乙女のように壁に掛かる肖像画の彼女のことを思った。

 寝台の主にお招きいただいて、エバーシェリンも寝台に上がり、二人で毛布に潜り込んだ。
 マリールイーズは大人用の寝台を使っていた。それは多分、パトリシアが使っていたものではないかと思った。

 寝台の中で二人、向かい合わせに横寝になった。そうすると、まるでパトリシアを真ん中にして、マリールイーズとエバーシェリンと三人で同じ寝床にいるような気持ちになる。

 パトリシアは、生前、お泊まり会の経験はあっただろうか。子爵家近辺の貴族家を思い浮かべて、同じ年頃の令嬢がいたかと考えたが思い当たらなかった。

「女の子は、どんな秘密を持っているの?」

 先ほどまで嗚咽を堪えて泣いていた少女は、今は秘密の香りに胸を躍らせているようだった。

「そうですわね。一番多いのは、好きな男の子のことでしょうか」

 マリールイーズの周りには年頃の少年はいなかった。麓の街には領民の子もいるのだろうが、マリールイーズがそうそう麓に行くとは考えられなかった。

 案の定、彼女は暗がりでもわかるほどがっかりとしたようだった。

「男の子でなくてもよいのです。好きなお方のことなら」
「好きなお方……」

 マリールイーズの呟きが吐息と一緒に漏れ出ると、それだけで切ない気持ちが伝わるようで、エバーシェリンは身悶えしたくなってしまった。

 彼女が「好きなお方」なんて、聞かずともわかることだった。彼に贈りたくて、あんなに一所懸命にハンカチに刺繍をしたのである。
 大人の彼に、少女なりに恋心を捧げているのだから。

「……」

 マリールイーズは、秘密のお話に心惹かれはしたが、リチャードのことを打ち明けるのは躊躇《ためら》うようだった。急に黙り込んでしまった。

「秘密とは、自分の胸のなかに大切に仕舞っておくから秘密なのです」
「大切に仕舞っておくのですか?」
「ええ。マリールイーズ様の秘密も、そうして大切になさってよろしいのです」

 マリールイーズは大きな瞳でエバーシェリンを見つめると、はにかむような顔をした。

「秘密ではないのだけれど、大切なことならお話ししてもよいかしら?」

 生真面目なマリールイーズは、内緒話のテーマが「秘密」から逸れることを心配しているようだった。

「勿論ですわ。それでは、ここは私から先にお話ししましょうか」

 少女に先に話させるのは、どうもフェアーではないようで、エバーシェリンから話をすることにした。

 では何から話そうかと思いながら、やはりここはちょっと恋の話にしようと思う。

「私の恋は、マリールイーズ様と同じお年の頃ですわ」
「まあ!エバーシェリン様の恋!?」

 マリールイーズは、見事なほど女の子らしい反応を示した。

「そのお方が初恋でしたの」
「初恋……」

 リチャードへ初めての恋を抱いている少女は、「初恋」と呟くと、酸っぱい物を噛んだような顔をして目を細めた。


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