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第二十章
「ああ、マリルー様」
小柄でふくよかな老貴婦人が、マリールイーズの両手を取って言う。
ここは子爵邸の玄関ホールで、王都から戻ってきたミーガンを迎え入れたところだった。
「ほんの少し見ないうちに、また背が伸びたのではございませんか?それに、お顔立ちも大人になられたようですね」
そう言って彼女は、桜色の頬をほころばせた。
ミーガンは、エバーシェリンの想像とは違っていた。王子妃教育を担った過去から、教育者らしい教育者、そんな勝手な想像をしていた。
だが、目の前にいるミーガンは、おっとりとした、どちらかといえば乳母のような温かみの感じられる女性だった。
六十はとうに過ぎているはずだが、小柄で丸い体形のためか、もっと若く見えた。
「すっかり留守をしてしまいました。王都のお土産がございますのよ。それから、あちらで流行りの歌劇のこともお教えしたいと思っておりましたの」
ふくよかな手の中に、マリールイーズの手が埋まっているように見えた。柔和な微笑みにはトゲがなく、厳格な教育者とは遠く及ばないミーガンを、エバーシェリンは言葉も出せずに見つめていた。
「ああ、私ったらおしゃべりばかり。失礼いたしました」
マリールイーズはそんな夫人に慣れているのだろう。
「お待ちしておりました。お疲れではございませんか?ミーガン夫人」
大人びたことを言って、にこりと微笑んだ。
ミーガンは、背筋を伸ばして立つマリールイーズに、しばし見惚れるような表情となった。
「マリルー様。またお美しくなられましたね」
十歳の少女への言葉としてはどうかと思うが、確かにマリールイーズは美しく成長するだろう。フェルナンドも、麗しい王太子として名を馳せている。
一頻り、到着の挨拶が終わったころに、ようやくミーガンは新参者たちへ目を向けた。
「こちらにおいでだとお話は伺っておりましたわ。初めまして、レヴィルス伯爵様。私、マリールイーズ様のガヴァネスを仰せつかっておりますの。と、貴女は……」
「エバーシェリンと申します。こちらへはラグウッドの遣いで参りました」
爵位を気にすることなく、年下のロバートソンに先に声をかけてから、ミーガンはエバーシェリンを見て「誰かしら?」という顔をした。
そこでエバーシェリンは、ようやく名乗ることができた。
「まあ、ラグウッドからの。随分お会いしておりませんが、ヘンリー様はお元気なのかしら?」
どうやらミーガンは、ラグウッド伯爵家とは面識があるようだった。ここでもラグウッドの名は、通行証のようにエバーシェリンへ向けられる警戒を薄めてくれた。
ミーガンは、ヘンリーとは同年代と思われた。だが、ヘンリーからは彼女の詳細は聞いてはいなかった。
それは、彼がミーガンをそれほどよくは知らないからか、それとも彼女の背後にあるものへの警戒なのか、どちらかだろう。今のところは、後者のように思われた。
「それにしても、ここは相変わらず雪が残っているのね」
応接室でお茶を飲みながら、ミーガンは道中についてマリールイーズに話していた。
彼女はここに来てから、一度も子爵のことを口にしていない。
それはマリールイーズへの気遣いなのだろうが、綺麗さっぱり避けるところが、かえって不自然に感じられた。
応接室にはマリールイーズとミーガンのほかは、ロバートソンとエバーシェリン、あとは部屋の隅にハロルドとリチャード、それから侍女頭が控えていた。
「王都は春の盛りで、とても暖かでしたわ。庭園はどこも花が咲いて、通りを歩くだけで植物園を眺めるようでした」
「まあ、そんなに花が?それではチェリーブロッサムも?」
マリールイーズは、数日前にエバーシェリンが言った「チェリーブロッサム」を憶えていた。
「そうですわね。水仙もマグノリアもブルーベルも。そうそう」
ミーガンはそこで、手に持つソーサーからカップを持ち上げると、お茶を一口飲んで喉を潤した。それから、花の盛りの続きを話した。
「王城の庭園は、どこも見事なものでしたわ」
彼女は元々、王都に住まう貴族である。
王城には一般開放されている庭園もあり、貴族ばかりでなく平民も、美しい城下の庭を楽しむことができる。
何も特別なことを言ったわけではなかった。
だがミーガンの言葉に、その場の全員が微かな緊張を抱いたのは、気の所為ではないだろう。
ミーガンは、子爵家の止まっていた時計を動かすような存在だった。丸く小柄な老婦人が起爆剤なのだとしたら、彼女は何を知っているのか。
王都で誰と会っていたのだろう。
ロバートソンは何を考えているのか、尽きることのないミーガンの土産話に耳を傾けている。
彼もまた、ここに来る前に王都にいて、フェルナンドと会っていた。
彼はまるで、ミーガンの言葉の答え合わせをしているように見えた。うっすら笑みを浮かべて、ゆったりとソファに背を預け、長い足を組んでいる。
その場にいても、どこからも話題に入っていけないエバーシェリンは、そこで状況を整理してみた。
脳内で一人会議を開きながら、子爵の失踪と現在までの子爵家について、思い返していた。
ささやかな見落としはないだろうか。
もう一度、検めるように記憶を整理する。
その時、エバーシェリンは気がついた。
同時にロバートソンも、そのことに気づいていたのではないかと思った。
エバーシェリンはそこで、隣に座るロバートソンを見上げた。
彼は紳士的な笑みを浮かべて老婦人の話に聞き入っていたが、ダークブルーの瞳には翳が見えるようだった。
小柄でふくよかな老貴婦人が、マリールイーズの両手を取って言う。
ここは子爵邸の玄関ホールで、王都から戻ってきたミーガンを迎え入れたところだった。
「ほんの少し見ないうちに、また背が伸びたのではございませんか?それに、お顔立ちも大人になられたようですね」
そう言って彼女は、桜色の頬をほころばせた。
ミーガンは、エバーシェリンの想像とは違っていた。王子妃教育を担った過去から、教育者らしい教育者、そんな勝手な想像をしていた。
だが、目の前にいるミーガンは、おっとりとした、どちらかといえば乳母のような温かみの感じられる女性だった。
六十はとうに過ぎているはずだが、小柄で丸い体形のためか、もっと若く見えた。
「すっかり留守をしてしまいました。王都のお土産がございますのよ。それから、あちらで流行りの歌劇のこともお教えしたいと思っておりましたの」
ふくよかな手の中に、マリールイーズの手が埋まっているように見えた。柔和な微笑みにはトゲがなく、厳格な教育者とは遠く及ばないミーガンを、エバーシェリンは言葉も出せずに見つめていた。
「ああ、私ったらおしゃべりばかり。失礼いたしました」
マリールイーズはそんな夫人に慣れているのだろう。
「お待ちしておりました。お疲れではございませんか?ミーガン夫人」
大人びたことを言って、にこりと微笑んだ。
ミーガンは、背筋を伸ばして立つマリールイーズに、しばし見惚れるような表情となった。
「マリルー様。またお美しくなられましたね」
十歳の少女への言葉としてはどうかと思うが、確かにマリールイーズは美しく成長するだろう。フェルナンドも、麗しい王太子として名を馳せている。
一頻り、到着の挨拶が終わったころに、ようやくミーガンは新参者たちへ目を向けた。
「こちらにおいでだとお話は伺っておりましたわ。初めまして、レヴィルス伯爵様。私、マリールイーズ様のガヴァネスを仰せつかっておりますの。と、貴女は……」
「エバーシェリンと申します。こちらへはラグウッドの遣いで参りました」
爵位を気にすることなく、年下のロバートソンに先に声をかけてから、ミーガンはエバーシェリンを見て「誰かしら?」という顔をした。
そこでエバーシェリンは、ようやく名乗ることができた。
「まあ、ラグウッドからの。随分お会いしておりませんが、ヘンリー様はお元気なのかしら?」
どうやらミーガンは、ラグウッド伯爵家とは面識があるようだった。ここでもラグウッドの名は、通行証のようにエバーシェリンへ向けられる警戒を薄めてくれた。
ミーガンは、ヘンリーとは同年代と思われた。だが、ヘンリーからは彼女の詳細は聞いてはいなかった。
それは、彼がミーガンをそれほどよくは知らないからか、それとも彼女の背後にあるものへの警戒なのか、どちらかだろう。今のところは、後者のように思われた。
「それにしても、ここは相変わらず雪が残っているのね」
応接室でお茶を飲みながら、ミーガンは道中についてマリールイーズに話していた。
彼女はここに来てから、一度も子爵のことを口にしていない。
それはマリールイーズへの気遣いなのだろうが、綺麗さっぱり避けるところが、かえって不自然に感じられた。
応接室にはマリールイーズとミーガンのほかは、ロバートソンとエバーシェリン、あとは部屋の隅にハロルドとリチャード、それから侍女頭が控えていた。
「王都は春の盛りで、とても暖かでしたわ。庭園はどこも花が咲いて、通りを歩くだけで植物園を眺めるようでした」
「まあ、そんなに花が?それではチェリーブロッサムも?」
マリールイーズは、数日前にエバーシェリンが言った「チェリーブロッサム」を憶えていた。
「そうですわね。水仙もマグノリアもブルーベルも。そうそう」
ミーガンはそこで、手に持つソーサーからカップを持ち上げると、お茶を一口飲んで喉を潤した。それから、花の盛りの続きを話した。
「王城の庭園は、どこも見事なものでしたわ」
彼女は元々、王都に住まう貴族である。
王城には一般開放されている庭園もあり、貴族ばかりでなく平民も、美しい城下の庭を楽しむことができる。
何も特別なことを言ったわけではなかった。
だがミーガンの言葉に、その場の全員が微かな緊張を抱いたのは、気の所為ではないだろう。
ミーガンは、子爵家の止まっていた時計を動かすような存在だった。丸く小柄な老婦人が起爆剤なのだとしたら、彼女は何を知っているのか。
王都で誰と会っていたのだろう。
ロバートソンは何を考えているのか、尽きることのないミーガンの土産話に耳を傾けている。
彼もまた、ここに来る前に王都にいて、フェルナンドと会っていた。
彼はまるで、ミーガンの言葉の答え合わせをしているように見えた。うっすら笑みを浮かべて、ゆったりとソファに背を預け、長い足を組んでいる。
その場にいても、どこからも話題に入っていけないエバーシェリンは、そこで状況を整理してみた。
脳内で一人会議を開きながら、子爵の失踪と現在までの子爵家について、思い返していた。
ささやかな見落としはないだろうか。
もう一度、検めるように記憶を整理する。
その時、エバーシェリンは気がついた。
同時にロバートソンも、そのことに気づいていたのではないかと思った。
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