エバーシェリンは百舌鳥の巣に入る

桃井すもも

文字の大きさ
30 / 39

第三十章

 執務室を出て東側に向かうと、玄関ホールから二階に通じる大階段が見えてきた。

 マリールイーズを彼女の私室まで連れて行こうと思っていたが、エバーシェリンのなけなしの体力も、そこで尽きてしまった。

「エバーシェリン様、私、歩けるわ」

 気を遣ったマリールイーズが涙声のまま言って、このままでは彼女を引き摺ってしまいそうだったエバーシェリンは、情けないがお言葉に甘えることにした。

 階段まであと数歩というところでマリールイーズを降ろすと、そのまま二人はどちらからともなく手を繋いだ。
 そこからは手を繋いだまま、マリールイーズと一緒に階段を上がって彼女の部屋まで歩いた。


 マリールイーズの部屋は、窓から日射しが燦々と入り込んで暖かだった。暖炉の火は消えてはいなかったが、熾火だけでほんのりと暖まっていた。

 今日は朝からよい天気で、早朝のうちから雪が融けはじめていた。酷い雪害に見舞われた子爵邸にも、ようやく春が訪れていた。

 マリールイーズの部屋には、小振りなソファが二脚ある。ローテーブルを挟んで向かい合わせになっているのだが、二人は並んでソファに座った。
 ちょっと窮屈ではあるけれど、エバーシェリンはマリールイーズの身体から発せられる温もりをまだ感じていたかった。

 彼女はすっかり泣き止んで、目尻を少し紅くさせていた。いつもよりちょっと垂れ目になって、そうすると父親似の彼女にもパトリシアの面影が浮かんで見えた。

「ごめんなさい、マリールイーズ様」

 彼女の目の前で散々大人たちは話し合い、その話のすべてが彼女に関わることだった。
 その挙句、最も心を寄せているリチャードを疑うことまでしたのは誰でもない、エバーシェリンである。

 彼はギルバートからマリールイーズを託されており、何より彼女にとってリチャードは、幼心に恋を抱かせた男性だった。

「いいえ」

 マリールイーズは小さく首を振って、大丈夫だと言った。高貴な血筋のためなのか、大人ばかりに囲まれて育った彼女は、年齢以上に精神が成熟している。
 それでもあと少し、せめて数年だけでも平穏に暮らすことができなかったか。

 彼女はこれからますます、急いで大人になろうとするだろう。
 子爵は間もなく死亡とされて、その身を王家がどうするかわからぬまま、マリールイーズは後見人を据えて爵位を継承することになるだろう。

 数日のうちには、子爵の仮初めの葬儀を執り行う筈で、思うに今頃は、マリールイーズが退席した執務室で、残った大人たちは葬儀の段取りについて話し合っているだろう。

「エバーシェリン様は、何も悪くなんてありません。だって私は知っていたの」

「知っていた……とは?」

 恐る恐る尋ねれば、マリールイーズは俯いたまま答えた。

「ミーガン夫人はいつも王妃様のことをお話しになっていたし、それにリチャード様のことだって……」

 マリールイーズは使用人である彼に敬称をつけて呼ぶ。それは彼女がリチャードを未来の伴侶と思って尊重しているからだろう。

「彼は偽りを言ってはおられませんわ。あのお方も貴族のお生まれです。抗えないものはおありでしょう。ですが、マリールイーズ様を大切になさるお気持ちは本当だと思います」

 それはエバーシェリンの本心だった。彼にサンドラの命が伝わっているのかわからないが、少なくともマリールイーズに危害の及ぶことをすることはないと思った。

「リチャード様は、婚約するところだったのですね」

 マリールイーズは自分のことより、彼に婚約話が持ち上がっていたことを気にかけた。それは十歳の彼女の中に悋気めいたものを感じさせて、どれほど幼くても女は女なのだと思わせた。

「マリールイーズ様だけが、私に秘密を教えてくださいました」

 それは夜半に打ち明けあった「秘密のお話」のことだろう。エバーシェリンは初恋を、マリールイーズは大切な贈り物を明かしていた。

「もう一つだけ秘密があるの」
「秘密?」

 マリールイーズは頷いて、そこでエバーシェリンを見上げた。

「とても小さなときでした。まだミーガン夫人もリチャード様もいらっしゃらなかったから」

 リチャードは、学園に入学する頃にはすでに、マリールイーズの将来の伴侶と目されていた。
 そうであるなら、彼女が言った「小さなとき」とは、今から七年ほど遡る。

「マリールイーズ様が三歳頃ということ?」
「多分……」

 そんな幼い頃の記憶があるものだろうか。そう思ったところで、自分にも確かに同じくらいの頃の記憶があると思い出した。
 エバーシェリンにとっての大切な思い出もまた、三歳頃から始まっていた。あの頃、彼はすでにエバーシェリンにとって特別な存在だったと思い出す。

 多分、と曖昧なことを言った後で、マリールイーズは遠い記憶を思い返しているようだった。

「お父様からお客様が来ると言われて、私は一人だけで貴賓室にいたのですけれど……」

 平素なら、客人が訪れている間は侍女と私室にいるように言われていたのだろう。だがその日ばかりは貴賓室に一人きりにされて、それで鮮明な記憶として憶えていたのではないか。

「多分、貴賓室だったと思うの。だって、大きな壺が飾ってあるのは貴賓室だったから」

 マリールイーズの言う壺を、エバーシェリンも見ていた。東国からの輸入品とおぼしきオリエンタルな壺は対になっており、確かに三歳児の身の丈ほどはあるだろう。

「そこにお父様とお客様がいらして、お客様は私の前に座ってから」

 マリールイーズは虚空に視線を合わせるように一点を見つめた。

「『君は、パトリシアによく似ている』って、そう仰ったの」

 マリールイーズはそう言うと、虚空に向けていた眼差しをエバーシェリンへと戻した。







あなたにおすすめの小説

「仲睦まじい夫婦」であるはずのわたしの夫は、わたしの葬儀で本性をあらわした

ぽんた
恋愛
サヤ・ラドフォード侯爵夫人が死んだ。その葬儀で、マッケイン王国でも「仲睦まじい夫婦」であるはずの彼女の夫が、妻を冒涜した。その聞くに堪えない本音。そんな夫の横には、夫が従妹だというレディが寄り添っている。サヤ・ラドフォードの棺の前で、夫とその従妹はサヤを断罪する。サヤは、ほんとうに彼らがいうような悪女だったのか?  ※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。

愛人を連れて帰ってきた翌朝、名前すら呼ばれなかった私のもとに王太子殿下が迎えに来ました 〜三年間冷遇された妻、今は毎日名前を呼ばれています〜

まさき
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 夫に名前を呼ばれたことは、一度もなかった。 社交の場ではただ隣に立つだけ。 屋敷では「妻」としてすら扱われない。 それでも、いつかは振り向いてもらえると信じていた。 ――けれど、その期待はあっさりと壊れる。 夫が愛人を伴って帰宅した、その翌朝。 私は離縁状を残し、静かに屋敷を出た。 引き止める者は、誰もいない。 これで、すべて終わったはずだった―― けれどその日、私のもとに現れたのは王太子殿下。 「やっと手放してくれたか。三年も待たされました」 幼い頃から、ただ一人。 私の名前を呼び続けてくれた人。 「――アリシア」 その一言で、凍りついていた心がほどけていく。 一方、私を軽んじ続けた元夫は、 “失ってはいけないもの”を手放したことに、まだ気づいていない。 これは、三年間名前を呼ばれなかった私――アリシアが、 本当の居場所と愛を取り戻す物語。

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

勇者になった幼馴染は聖女様を選んだ〈完結〉

ヘルベ
恋愛
同じ村の、ほのかに想いを寄せていた幼馴染のジグが、勇者に選ばれてしまった。 親同士も仲良く、族ぐるみで付き合いがあったから、このままいけば将来のお婿さんになってくれそうな雰囲気だったのに…。 全てがいきなり無くなってしまった。 危険な旅への心配と誰かにジグを取られてしまいそうな不安で慌てて旅に同行しようとするも、どんどんとすれ違ってしまいもどかしく思う日々。 そして結局勇者は聖女を選んで、あたしは――。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

君は僕の番じゃないから

椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。 「君は僕の番じゃないから」 エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。 すると 「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる イケメンが登場してーーー!? ___________________________ 動機。 暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります なので明るい話になります← 深く考えて読む話ではありません ※マーク編:3話+エピローグ ※超絶短編です ※さくっと読めるはず ※番の設定はゆるゆるです ※世界観としては割と近代チック ※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい ※マーク編は明るいです

愛していると気づいたから、私はあなたを手放します

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
愛しているのに、触れられない。 幼なじみの夫は、こう言った。 「もう、女性を愛することはできない」と。 それでも「君がいい」と言い続ける彼と、 子どもを望む現実の間で、私は追い詰められていく。 だから決めた。 彼のためにも、私は他の誰かを探す。 ――そう思ったのに。 なぜあなたは、そんな顔で私を追いかけてくるの? これは、間違った優しさで離れた二人が、 もう一度、互いを選び直すまでの物語。 ※表紙はAI生成イラストを使用しています。