毎夜、同じ夢をみる

桃井すもも

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「……リ……ディア、リディア」

名を呼ばれて顔を上げた。ノアが心配顔でこちらを見下ろしている。

「どうしたんだ?リディア。顔色がよくない」

リディアはノアと並んで学園の廊下を歩いていた。朝の廊下は生徒たちのざわめきで騒々しい。その中にいて、リディアはまるで無音の世界にいるように思考の中に入り込んでいた。

「すまない。君を悩ませている」

ノアは眉を寄せて苦しそうな顔をした。そうではないと伝えたい。

「ノア様、そうで「ノア様」

え?と思わず振り返った。ここにいない筈の人物だ。リディアは彼女と話をしたことがない。こんなふうに声を掛けられたこともない。だが、彼女のことなら知っている。

「お早うございます、ノア様」

ブルネットの髪は今日も艷やかだ。すらりと痩せた身体は背筋が伸びて、貴族の中にいても堂々として見える。そうだ、彼女は平民だ。今はまだ登校する時間ではない。

「どうなさったの?」

返事を返さないノアに、キャロラインは一歩、二歩と歩み寄ってくる。彼女には、ノアの隣で呆然と佇むリディアの姿は見えないらしい。

ノアはリディアの手をぎゅっと握った。今日も二人は手を繋ぎ、ほんのわずかな逢瀬を離れるまいとしていた。

その手をチラリとキャロラインが見た。見たが彼女は気にしなかった。

「ねえ。行きましょうよ、ノア様」

そう言った彼女の周りには、アルレスも彼の側近候補の姿も見えない。そもそも彼らもまだ登校する時間ではないのだから。

「殿下は……」
「いやね。殿下はまだお越しではないわ。私、今日はお友達に乗せて頂いたの」

それは彼女の取り巻きなのか。学園に旋風を巻き起こしたキャロラインは、彼女に対する否定的な目とは別にファンがいる。どこかの伯爵家あたりの子女が彼女を馬車に乗せたなら、平民であっても貴族と一緒に登校出来る。

「申し訳ございません。婚約者を教室に送ってからお供致します」

平民のキャロラインに向かって、ノアは丁寧に答えた。

「あら、ご自分で歩けるのではなくて?」

キャロラインは尚もリディアを目に映さない。まるで空気のような扱いに、流石に周囲の子女らは、あまりに身分を弁えないとひそひそとささやきあう。

「婚約者を送るのは、私の大切な時間です。貴女がいらっしゃる時間にはお供出来ますが、お早くいらしたのなら一緒に来た者と先に教室に向かって下さい。後から追います」

キャロラインはそこで目を細めて微笑んだ。
その姿はまるで貴族だ。高貴な貴族そのものだ。

キャロラインはそこで、こてんと小首を傾げた。

「殿下はなんておっしゃるかしら」
「殿下は私に婚約者がいることをご存じです」
「まあ。私、紹介して頂けなかったわ。真逆その方、王都でお買い物はなさらないのかしら」

キャロラインは朝の学園で、貴族たちの目の前で、伯爵令嬢のリディアを豪商の自分よりも下にみる言葉で表した。

そこでようやく彼女はリディアを見た。
人生で負けたことなど一度も無い、そんな顔だ。彼女にとって身分とは、財と政の影響力で何とでも出来るものなのだろう。
嫡女でもない、いずれは騎士の妻になるリディアなど、「今だけ貴族」と軽んじている。

ノアはそこでリディアの肩を抱き寄せた。片手に二人分の鞄を持って、もう片方、先ほどまで固く繋いでいた手を離し、そのまま肩を抱き寄せた。

「まあ、ノア様ったら。あまり甘やかさないほうが宜しくてよ」
「彼女を送り届けるのは、私だけの役目です」
「めんどくさい関係ね」

リディアはその言葉に息を呑んだ。けれども、ここで負けてはいられなかった。そうだ、メリンダはきっと、四六時中こんなキャロラインを前にして、あの美しい姿勢で向き合っていたのだ。

メリンダ様。
リディアは瞼にメリンダを思い浮かべた。
大丈夫、大丈夫、私は負けないわ。こんな恥知らずな人に。

はっきりと、キャロラインに対して嫌悪を抱いた。キャロラインだって親の傘の下にいるだけだ。リディアとどっこいどっこいだ。

「行きましょう。ノア様」

リディアの声が廊下に響く。大きな声ではなかったが、辺りが静かな為に思ったよりも響いて聞こえた。

「ああ」

ノアはリディアに微笑んだ。こんな笑みをみるのは久しぶりだ。目元の泣き黒子まで笑っているようで、リディアは思わずノアに向かって白い歯を見せて笑みを浮かべた。

「リディア、行こうか。では、キャロライン様。失礼します」

多分、そんなふうにノアにあしらわれたのは初めてだったのだろう。キャロラインは真逆というように大きく目を見開いた。

キャロラインが口を開いたその時には、ノアとリディアは彼女に背中を向けていた。

「アルレス様に言うわね」

その声は背中に聞こえたのが、それでも二人は振り返らない。ノアに肩を抱かれながら、廊下の先を歩いた。誰も道を塞ぐことなく、二人は左右に分かれた人波の間を歩く。
開け放たれた窓から朝の風が廊下を抜ける。夏の湿った匂いがして、リディアは久しぶりに明るい気持ちになった。

昨夜みた夢の夫へ抱いた哀しみは、風に巻かれて消えていった。

結局アルレスは、定められた時間より早く登校したキャロラインを、ノアが側に侍らないからと何か言ってくることはなかった。それを密かに周囲は見落とさなかった。
なにかが変わってきたのだと、空気の変化に敏感な貴族子女らはそう受け止めた。


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